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海軍操練所跡

最終更新日:2025年5月9日

ページID:79169

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遺跡の概要

海軍操練所跡は旧生田川から流れ出た土砂の堆積によって形成された砂嘴(さし)上に位置する遺跡です。
この場所には1855(安政2)年に二ツ茶屋村の呉服商、網屋吉兵衛(あみやきちべえ)が私財を投じて建設した船たで場がありました。
船たで場はその後、1863(文久3)年に設置された神戸海軍操練所、1867(慶応3)年12月7日(1868年1月1日)に開港した神戸港第一波止場へと役割を変え、今の神戸港の発展に続きます。現在は都市開発や神戸港の拡大によって地上から神戸海軍操練所や神戸港第一波止場の痕跡を見ることはできなくなっています。

2004年に「海軍操練所跡」の遺跡名で神戸の発展に寄与した重要な近代遺跡として埋蔵文化財包蔵地に周知されました。包蔵地の範囲は神戸市立中央図書館が所蔵する『神戸海軍操練所平面図』を基に復元しています。

2023年度に神戸市が実施した埋蔵文化財発掘調査によって神戸港第一波止場の遺構を初めて確認し、その下層から神戸海軍操練所に伴う可能性のある遺構を確認しました。
神戸港第一波止場の遺構は南北に2本の防波堤と神戸燈竿(こうべとうかん・海上交通のための標識)が設置された敷石面を確認しました。防波堤、敷石ともに表面に間知石(けんちいし)を並べて造られています。これらは明治時代中期の古写真や古地図と位置や形状が合致しており、発掘調査成果と歴史資料が結び付く貴重な成果です。
神戸海軍操練所に伴う可能性のある石積みは間知石を使用していますが、神戸港第一波止場の防波堤とは石の積み方が異なり、日本列島で主に江戸時代以降の城郭などに用いられる積み方によって造られています。
発掘調査によって
①近代神戸港の様子が古写真、古地図と一致する地点が初めて明らかになった
②幕末から近代にかけての港湾施設の築港に伴う土木技術や構造を発掘調査によって初めて明らかにできた
③幕末の神戸海軍操練所から明治時代の神戸港第一波止場にかけての遺構が重層的に重なり、古い構造物を活用しながら神戸港が発展してきた痕跡を発掘調査で初めて確認できた
といった重要な成果をあげることができました。

海軍操練所跡はみなとまち神戸の発展の原点となる場所であり、神戸市だけではなく日本の幕末、明治時代の政治史、開港史において重要な遺跡です。

発掘調査報告書

  • 海軍操練所跡第1次発掘調査報告書

 2025年3月31日発行

 報告書本文はこちら(PDF:9,936KB)
海軍操練所跡報告書表紙

海軍操練所跡 発掘調査成果報告会

2025年3月16日に神戸市立博物館にて開催しました、「神戸港の歴史に迫る!海軍操練所跡 発掘調査成果報告会」の当日の様子を公開します。

  • 成果報告
  • 質疑応答
  • アニメ作品「KOBEであえたね」監督挨拶

  • アニメ作品「KOBEであえたね」

  • 当日の様子

会場の当日の様子を神戸市公式note「神戸市が龍馬・海舟ゆかりの「海軍操練所」をアニメにした理由」にて配信しています

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文化スポーツ局文化財課