最終更新日:2025年6月6日
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日本全国で刊行された埋蔵文化財の発掘調査報告書を全文電子化して、インターネット上で検索・閲覧できるようにした「報告書のインデックス」です。現在は、国立文化財機構奈良文化財研究所が運用しています。
書名 | 発行年月 | 定価(円) | 概要 | 在庫 |
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明石神戸宝塚線道路改良工事太山寺附近埋蔵文化財確認調査報告(外部リンク) | 1974年1月 | ー | ||
生田遺跡第4次発掘調査概要(外部リンク) | 2006年9月 | 500 | 神戸市内では珍しい縄文時代中期~後期の遺構・遺物が多量に確認され、弥生時代中期の竪穴住居・方形周溝墓などを検出。 | |
生田遺跡第8次発掘調査報告書(外部リンク) | 2016年3月 | 1,000 | 古墳時代の竪穴建物や奈良時代~鎌倉時代初頭の掘立柱建物などを検出。 | |
2003年3月 | 4,500 | 平成9~14年度に発掘調査を実施した今池尻遺跡と新方遺跡の報告書。縄文時代~室町時代の遺構や遺物を検出。特に平安時代と弥生時代の遺跡の内容が豊富に掲載。 | ||
魚崎中町遺跡第3次調査(外部リンク) | 1997年3月 | ー | ||
戎町遺跡第1次発掘調査概報(外部リンク) | 1989年3月 | 750 | 畿内で最古段階の水田址や弥生時代前期の大量の土器、木器が発見された戎町遺跡の最初の調査概要。 | |
戎町遺跡第35・38・50・56次 松野遺跡第32・33・38次発掘調査報告書(外部リンク) |
2005年3月 | 1,900 | 戎町遺跡では、弥生時代中期、古墳時代後期、鎌倉~江戸時代の集落跡や方形周溝墓を確認。松野遺跡では、弥生時代後期、古墳時代後期、鎌倉~江戸時代の集落跡を確認。 | |
2021年3月 | 1,600 | 弥生時代中期初頭~庄内式期の集落跡を発見。また、弥生時代中期の竪穴建物4棟、庄内式期の竪穴建物1棟など多数の遺構を検出。 | ||
淡河木津遺跡第1次・第2次発掘調査報告書(外部リンク) | 2002年3月 | ー | ||
淡河城跡発掘調査概要(外部リンク) | 1977年3月 | ー | ||
大手町遺跡第1~4・6次発掘調査報告書(外部リンク) | 2003年3月 | 1,800 | 平成11~14年に発掘調査を実施した長田区御蔵遺跡の報告書。飛鳥時代~奈良時代の遺構・遺物等を掲載。巻末では御蔵遺跡と郡司・郡街との関係にまで言及。 | |
大橋町遺跡第1次-1~6調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2006年3月 | 800 | 平安時代末から鎌倉時代初頭の建物、井戸、墓などを確認。「屋敷墓」と呼ばれる平安時代後半から鎌倉時代にかけての特徴的な遺構が見られる。 | |
大橋町遺跡第2次発掘調査報告書(外部リンク) | 2007年11月 | 1,100 | ||
大橋町東遺跡第1次~第6次発掘調査報告書(外部リンク) | 2015年3月 | 700 | 弥生時代後期の竪穴建物と古墳時代後期を中心とする時期の竪穴建物や、平安時代の耕作痕を検出。古墳時代の竪穴建物は、近接する松野遺跡との関連で集落構成を検討する資料となる。 | |
岡本東遺跡第3次発掘調査報告書(外部リンク) | 2022年3月 | 600 | 奈良時代の側柱建物2棟、総柱建物1棟、奈良時代から平安時代の大型側柱建物、ピット、弥生時代の竪穴建物2棟を検出。 | |
オキダ古墳群発掘調査報告書(外部リンク) | 1987年3月 | 400 | ||
押部遺跡第2次調査概報(外部リンク) | 1991年3月 | 500 | 明石川上流域の古墳時代前期のV字溝に画された集落址、および弥生時代後期の集落を確認。 | |
伯母野山彌生遺跡(外部リンク) | 1963年3月 | ー |
書名 | 発行年月 | 定価(円) | 概要 | 在庫 |
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海軍操練所跡第1次発掘調査報告書 | 2025年3月 | 1,500 | 海軍操練所跡概要ページ(報告書本文) | 完売 |
神楽遺跡発掘調査報告書(外部リンク) | 1981年3月 | 600 | 古墳時代の製塩土器や平安時代の灰軸・緑軸陶器、「東福」と墨書きされた土器等が出土。 | |
勝雄遺跡Ⅰ第1・2・3・4次埋蔵文化財発掘調査報告書(外部リンク) | 2000年3月 | 2,000 | 平成8年度~10年度に実施した発掘調査報告書。弥生時代末~中世にかけての多数の遺構や遺物が発見。 | |
上沢遺跡発掘調査報告書(外部リンク) | 1995年3月 | 550 | 縄文晩期の突帯文土器と弥生土器が共伴して出土。 | |
上池遺跡第3次発掘調査報告書(外部リンク) | 2010年12月 | 700 | ||
上沢遺跡発掘調査報告書第35次調査(外部リンク) | 2000年1月 | 900 | 古墳時代中期の竪穴住居跡や土師器・須恵器など土器類が出土。 | |
上沢遺跡Ⅲ第38・46・50次調査(外部リンク) | 2004年3月 | 1,400 | 平成12年度~14年度に実施した発掘調査報告書で、弥生時代後期から中世にいたる遺構・遺物を確認。当地域における各時代の居住域の変遷がたどれる。 | |
上沢遺跡第55次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2009年2月 | 1,100 | ||
上沢遺跡発掘調査報告書Ⅴ―第3・12・16・17・23・25・26・37・39・40・42・56・58・60~64次調査―(外部リンク) |
2019年3月 | 1,500 | 平成11年度から平成29年度までの国庫補助金に伴う発掘調査報告書。主に弥生時代から中世までの遺構・遺物が確認。瓦頭を含む瓦の出土は、北方に存在したとされる伝房王寺との関連がうかがえる。 | |
唐崎城跡・尼崎学園古墳群第1次発掘調査報告書(外部リンク) | 2014年3月 | 1,000 | 弥生時代中期の竪穴建物1棟、集石土坑等、古墳時代後期の竪穴建物6棟、掘立柱建物5棟、箱式石棺2基等を検出。武庫川中流域の弥生時代と古墳時代の集落の状況を知ることのできる資料が得られた。 | |
狩口台遺跡発掘調査報告書(外部リンク) | 1990年3月 | 150 | 明石海峡を見下ろす弥生時代の高地性集落。第II様式の紀伊産とみられる土器が出土した土坑や第V様式の竪穴住居址群の報告。 | |
神出窯跡群発掘調査報告書(外部リンク) | 2018年3月 | 3,000 | ||
祇園遺跡第5次発掘調査報告書(外部リンク) | 2000年2月 | 800 | ||
祇園遺跡第14次発掘調査報告書(外部リンク) | 2013年3月 | 500 | ||
祇園遺跡第15次発掘調査報告書(外部リンク) | 2013年3月 | 500 | ||
祇園遺跡第17・18次発掘調査報告書(外部リンク) | 2016年3月 | 1,600 | ||
祇園遺跡第21次発掘調査報告書(外部リンク) | 2016年3月 | 900 | ||
北青木遺跡発掘調査報告書第3次調査(外部リンク) | 1999年3月 | 1,800 | 縄文時代後期~晩期の土器、弥生時代前期~後期の土器、古墳時代の土器、魚撈具や、打製石器・磨製石器など多数出土。 | |
北青木遺跡第7次発掘調査報告書(外部リンク) | 2014年3月 | 2,700 | 弥生時代中期から後期にかけての方形周溝墓・形周溝墓を確認。方形周溝墓からは木棺墓を6基検出した。古墳時代の溝からはガラス玉と管玉が出土。奈良・平安時代の溝からは馬の骨や貝殻が出土。 | |
北青木遺跡第8次発掘調査報告書(外部リンク) | 2018年3月 | 1,500 | ||
北青木遺跡第9・10次 深江北町遺跡第19・20・21次発掘調査報告書 |
2024年3月 | 1,800 |
北青木遺跡では、弥生時代前期末~古墳時代初頭の土坑、ピット、溝、方形周溝墓の周溝、奈良時代の掘立柱建物を検出。
深江北町遺跡では、7世紀後半~8世紀後半の柱穴、ピット、溝、井戸、須恵器大甕埋設遺構などを検出。
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北青木銅鐸(外部リンク) | 2012年3月 | 600 | ||
旧神戸外国人居留地遺跡発掘調査報告書(外部リンク) | 2011年3月 | ー | 完売 | |
楠・荒田町遺跡発掘調査報告書(外部リンク) | 1980年3月 | ー | ||
楠・荒田町遺跡Ⅲ(外部リンク) | 1990年3月 | 400 | 宮滝式の土器が出土した貯蔵穴や弥生時代中期の土器が供献されていた方形周溝墓などを報告。 | |
楠・荒田町遺跡第40・41次発掘調査報告書(外部リンク) | 2008年3月 | ー | ||
楠・荒田町遺跡第42・43・46次発掘調査報告書(外部リンク) | 2011年3月 | 1,200 | ||
楠・荒田町遺跡第53次発掘調査報告書(外部リンク) | 2014年3月 | 800 | 平安時代前期の井戸、平安時代末頃の掘立柱建物・木棺墓、鎌倉時代の掘立柱建物・土坑墓を検出。木棺墓からは青白磁合子や和鏡、土坑墓からは青磁碗と鉄刀が出土。建物の方向性からは福原京の都市計画の一端がうかがえる。 | |
楠・荒田町遺跡第54次発掘調査報告書(外部リンク) | 2014年3月 | 900 | 弥生時代中期の方形周溝墓の可能性が高い溝を検出。当時の集落規模が東西約300mにおよぶことを確認。また明治時代のマッチ工場跡を確認。神戸の主要産業のひとつであったマッチ産業の実態を知るうえで貴重な資料を得た。 | |
雲井遺跡第1次発掘調査報告書(外部リンク) | 1991年3月 | 750 | 縄文時代早期~晩期の土器・石器・弥生時代中期の方形周溝墓群等を紹介。 | |
雲井遺跡第8次調査(外部リンク) | 1998年3月 | ー | ||
雲井遺跡第20次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2006年3月 | 400 | 縄文時代晩期の土坑、古墳時代後期の掘立柱建物とそれらに伴う遺物が出土。 | |
雲井遺跡第28次発掘調査報告書(外部リンク) | 2010年3月 | 3,000 | 完売 | |
雲井遺跡第33次発掘調査報告書(外部リンク) | 2010年12月 | 900 | ||
雲井遺跡第41次発掘調査報告書(外部リンク) | 2021年3月 | 900 | 古墳時代から飛鳥時代の遺構面で竪穴建物や掘立柱建物を検出しました。7世紀代の供膳具について、近隣で出土した資料と合わせて土器様相を記述しています。その他、縄文時代中期の北白川C式土器が出土しました。 | |
熊内遺跡第3次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2003年3月 | 2,600 | 縄文時代~奈良時代の遺構や遺物を検出。弥生時代後期の環濠集落が見つかったことは特筆される。 | |
熊内遺跡第8次発掘調査報告書(外部リンク) | 2020年3月 | 600 | 弥生時代後期後半の方形竪穴建物2棟、溝、落ち込みなどが検出。環濠集落の一部を構成していたと考えられる。 | |
郡家遺跡第3次調査概報(外部リンク) | 1990年3月 | 600 | 古墳時代の良好な水田址の調査と諸分析の報告。あわせて、古墳時代の下層より検出された弥生時代中後期、縄文時代早期の調査報告。 | |
郡家遺跡第83次発掘調査報告書(外部リンク) | 2008年3月 | 2,000 | ||
2011年3月 | 500 | |||
郡家遺跡第95次発掘調査報告書(外部リンク) | 2020年3月 | 800 | 弥生時代後期の竪穴建物と自然流路、古墳時代後期の竪穴建物、掘立柱建物、自然流路、古墳時代後期以降の掘立柱建物と耕作面が発見。 | |
神戸臨港線南本町架道橋範囲確認調査報告書(外部リンク) | 2008年3月 | ー | ||
五番町遺跡発掘調査報告書第12次調査(外部リンク) | 2008年3月 | ー |
書名 | 発行年月 | 定価(円) | 概要 | 在庫 |
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沢の鶴大石蔵発掘調査報告書(外部リンク) | 2001年11月 | 1,000 | 平成8年10月7日から9年1月20日にかけて発掘調査を実施した沢の鶴大石蔵の報告書である。 | |
三番町遺跡第10次発掘調査報告書 | 2024年3月 | 400 | 古墳時代前期の竪穴建物1棟、飛鳥時代の掘立柱建物2棟、土坑、溝、ピット群を検出。また、縄文時代晩期の土器や、ベンガラが付着した土器の破片が出土。 | |
塩田北山東古墳発掘調査報告書(外部リンク) | 2008年3月 | ー | 完売 | |
繁田古窯址発掘調査報告書(外部リンク) | 1988年3月 | 850 | 古代~中世の須恵器の一大生産地であった神出古窯址群と同時期でありながら、神出の地を離れて単独で営まれた特異な窯の報告書。 | |
史跡処女塚古墳(外部リンク) | 1985年3月 | 150 | 昭和54年~59年に実施した灘区の前方後方墳処女塚古墳の整備事業の竣工記念冊子。併せて発掘調査成果の概要も掲載。 | |
史跡五色塚古墳復元・整備概要(外部リンク) | 1987年10月 | 300 | ||
史跡五色塚古墳_小壺古墳_発掘調査・復元整備報告書(外部リンク) | 2006年3月 | ー | 昭和40年度から10年の歳月をかけて、発掘調査と復元整備工事が実施された五色塚古墳の報告書。前期大型古墳の実態を知ることができ、鰭付筒埴輪など400点以上の実測図を掲載。1/300の墳丘測量図も添付。 | 完売 |
篠原遺跡第40次発掘調査報告書(外部リンク) | 2021年3月 | 1,600 | 縄文時代晩期、弥生時代後期~終末期、古代末~中世の3時期の遺構・遺物を確認。また、弥生時代後期の竪穴建物を1棟検出し、建物から銅鏃3点が出土しました。弥生時代後期の同一竪穴建物からの銅鏃の複数出土は市内で3例目です。 | |
下山手遺跡第6次発掘調査報告書(外部リンク) | 2014年3月 | 1,100 | 弥生時代から飛鳥時代にかけての竪穴建物や掘立柱建物を検出。古墳時代後期の竪穴建物からは須恵器高坏を支脚に転用したカマドを確認。その他、製塩土器や飯蛸壺、土錘などの遺物も出土。 | |
城ヶ谷遺跡第4次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2023年3月 | 1,500 | 弥生時代中期末から後期後半の高地性集落で、竪穴建物・段状遺構約30基を検出。また、神戸市内で初めて奈良時代前半の須恵器窯1基を検出。 | |
小路大町遺跡第4次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2004年2月 | 1,500 | 六甲山南麓臨海平野部の砂堆上に位置する当遺跡から、奈良時代の馬鍬やヒョウタンが出土し農耕儀礼を考える上で貴重な遺跡。 | |
白水遺跡第3・6・7次 高津橋大塚遺跡第1・2次発掘調査報告書(外部リンク) |
2000年3月 | 3,000 | 西区伊川谷町潤和及び玉津町高津橋地区で平成5~10年度に実施した発掘調査の報告書。弥生時代末~中世の多数の遺構や遺物を掲載。 | |
白水遺跡第4次発掘調査報告書(外部リンク) | 1999年3月 | 1,000 | 平安時代中期の梵鐘鋳造遺構が確認され、梵鐘の鋳型や溶解炉も遺存し、貴重な資料を掲載。 | |
白水瓢塚古墳発掘調査報告書(外部リンク) | 2008年3月 | 4,500 | 完売 | |
新方遺跡発掘調査概要(外部リンク) | 1977年3月 | ー | ||
新方遺跡野手西方地区発掘調査報告書1(外部リンク) | 2003年3月 | 2,900 | 平成8~9年度に発掘調査を実施した新方遺跡の報告書。縄文人の特徴を持った弥生時代前期の人骨が出土したことが注目される。他にも多くの土器や石器が出土している。 | |
新方遺跡・居住遺跡発掘調査概要(外部リンク) | 1984年3月 | 250 | ||
頭高山遺跡発掘調査報告書 | 2011年3月 | 1500 | ||
住吉宮町遺跡第11次調査(外部リンク) | 1990年3月 | 300 | 弥生・古墳時代の竪穴住居群や平安時代の掘立柱建物群の報告。11世紀の東播系須恵器と灰軸陶器の共伴は貴重な資料。 | |
住吉宮町遺跡第17次・第18次調査(外部リンク) | 1998年1月 | ー | ||
住吉宮町遺跡第19次・20次(外部リンク) | 2001年3月 | ー | ||
住吉宮町遺跡第24・32次調査報告書(外部リンク) | 2001年3月 | 2,600 | 平成9年度~11年度にかけて実施した発掘調査の報告書。弥生時代中期~近世にかけての集落や古墳等が多数発見。 | |
住吉宮町遺跡第37次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2003年12月 | 500 | 古墳時代の遺跡の南限と平安時代の掘立柱建物を確認。 | |
住吉宮町遺跡第45次発掘調査報告書(外部リンク) | 2010年3月 | 700 | ||
住吉宮町遺跡第46次発掘調査報告書(外部リンク) | 2009年12月 | 700 | ||
住吉宮町遺跡第50次発掘調査報告書(外部リンク) | 2014年3月 | 700 | 第1遺構面で中世から近世の掘立柱建物1棟、土坑、溝等を検出。第2遺構面は古墳時代後期の小型古墳や箱式石棺1基、掘立柱建物2棟、土坑、溝、流路状遺構などを検出。住吉宮町古墳群に新たに古墳1基を確認した。 | |
住吉宮町遺跡第56次発掘調査報告書 | 2024年3月 | 500 | 弥生時代後期の竪穴建物1棟、古墳時代中期の古墳2基、箱式石棺、飛鳥時代の竪穴建物1棟、掘立柱建物1棟、平安時代の溝、ピットを検出。 | |
住吉宮町遺跡第57次発掘調査報告書 | 2025年3月 | 1600 | 住吉宮町古墳群を構成する、古墳時代中期の方形墳8基、円形墳2基、低墳丘墓5基を確認。奈郡衙関連遺構群と想定される、良時代の石組み水路1条、飛鳥時代の竪穴建物7棟、飛鳥または奈良時代の掘立柱建物4棟を検出。中世山路惣荘関連遺構と考えられる、中世総柱形掘立柱建物3棟以上を検出。 |
書名 | 発行年月 | 定価(円) | 概要 | 備考 |
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大開遺跡発掘調査報告書(外部リンク) | 1993年3月 | 2,000 | 弥生時代前期前半の環濠集落址の調査報告。環濠集落の全容をほぼ明らかにできた近畿地方では希有の遺跡。 | |
大開遺跡第14次発掘調査報告書 | 2014年12月 | 700円 | 弥生時代前期後半の環濠集落の一端を検出。多量の弥生土器とともに、石器、木製品、人骨などが出土。 | |
高塚山古墳群発掘調査概要(外部リンク) | 1994年3月 | 400 | 明石海峡を望む横穴式石室からなる古墳群のうち9基を調査し、県下でも数少ない線刻画をもつ石室や石室内での火葬が検出された。 | |
玉津田中遺跡発掘調査報告書第8・10・12・13・15次調査(外部リンク) | 2000年3月 | 3,000 | 平成5年度~10年度に実施した発掘調査報告書。弥生時代前期~中世にかけての多数の遺構や遺物が発見。 | |
垂水日向遺跡第1・3・4次調査(外部リンク) | 1992年3月 | 1,500 | 平安~鎌倉時代の漁業にかかわる集落址。下層からは古墳時代、縄文時代の遺物が発見され、縄文人の足跡も見つかっている。 | |
垂水日向遺跡第40・45次発掘調査報告書 | 2025年3月 | 1,200 | 垂水荘の荘所の中核施設とみられる大型の中世総柱建物5棟、大型井戸、舟材転用井戸、地下室のほか、京都系土師皿埋納土坑などを確認。また、微低地から瑞花双鳥文八稜鑑が出土。 | |
垂水日向遺跡第41次発掘調査報告書 | 2025年3月 | 1,600 | 調査により、遺跡形成に至るまでの土地形成の過程に関する知見を得た。 | |
常本地区発掘調査概要(外部リンク) | 1978年3月 | ー | ||
出合遺跡第27次発掘調査報告書(外部リンク) | 1994年3月 | 600 | 弥生時代中期の周溝墓7基(うち木棺4基)を確認。明石川流域の弥生時代の王制を考える上で貴重な遺跡である。 | |
出合遺跡第34・35・37・39・40・43・44次発掘調査報告書(外部リンク) | 2011年3月 | ー | 完売 | |
出合遺跡第45・46次発掘調査報告書(外部リンク) | 2013年3月 | 800 | ||
天王山古墳群発掘調査概要(外部リンク) | 1972年3月 | ー |
書名 | 発行年月 | 定価(円) | 概要 | 備考 |
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長田神社境内遺跡発掘調査概報(外部リンク) | 1990年3月 | 600 | 弥生時代後期を中心とする集落址。多角形住居址、壷棺、土器群等を検出。当地のV様式土器編年に不可欠の資料が多量に出土。 | |
長田神社境内遺跡第17次発掘調査報告書(外部リンク) | 2008年12月 | 500 | ||
西岡本遺跡第4・5・6次発掘調査報告書(外部リンク) | 2009年1月 | 1,000 | ||
西岡本遺跡第8次発掘調査報告書(外部リンク) | 2011年3月 | 600 | ||
2007年3月 | ー | |||
西求女塚古墳第5・7次発掘調査概報(外部リンク) | 1995年3月 | 550 | ||
西求女塚古墳発掘調査報告書 | 2004年3月 | 7,000 | 万葉集や大和物語に詠われた悲恋伝説で有名な当古墳から、三角縁神獣鏡を含む12面の鏡や多数の鉄製品などが出土し話題となった報告書。 | |
日輪寺遺跡発掘調査報告書第4~7次調査(外部リンク) | 2002年1月 | 2,500 | 平成9年度~12年度に発掘調査を実施した日輪寺遺跡の第4次~7次の報告書である。弥生時代後期~古墳時代の土器・石器類等、遺構・遺物が多数出土している。 | |
日輪寺遺跡第10・11・12次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2009年3月 | ー | ||
二宮遺跡発掘調査報告書第2次調査発掘調査(外部リンク) | 2003年11月 | 700 | ||
二宮東遺跡第3次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2010年3月 | 400 | ||
野瀬遺跡発掘調査報告書(外部リンク) | 2002年3月 | ー |
書名 | 発行年月 | 定価(円) | 概要 | 備考 |
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萩原城遺跡埋蔵文化財発掘調査報告書ー第1・3・5次ー(外部リンク) | 2001年3月 | 1,300 | 平成5年度~7年度に発掘調査を実施した北区淡河町野田の萩原城遺跡の報告書である。縄文時代~江戸時代の遺跡であることを確認。戦国という激動の時代の重要遺跡である。 | |
日暮遺跡発掘調査報告書(外部リンク) | 1989年3月 | 650 | 古墳時代の竪穴住居跡群の他、銭貨を埋納した地鎮遺構が発見された平安時代の掘立柱建物群の報告。 | |
日暮遺跡第33・34次発掘調査報告書(外部リンク) | 2010年3月 | 300 | ||
日暮遺跡第39次調査埋蔵文化財発掘調査報告書(外部リンク) | 2016年2月 | ー | ||
兵庫津遺跡発掘調査報告書第14・20・21次調査(外部リンク) | 2010年3月 | 9,000 | ||
兵庫津遺跡第35次発掘調査概要(外部リンク) | 2006年3月 | 200 | 兵庫陣屋および勤番所の遺構と考えられる周濠と石垣が確認された。 | |
兵庫津遺跡第36次発掘調査概要報告書(外部リンク) | 2006年3月 | ー | 兵庫大仏で有名な能福寺の西側に位置する近世寺院の調査。礎石建て堂舎と墓地、多量の遺物を遺棄した土坑などを検出。 | 完売 |
兵庫津遺跡第42次発掘調査報告書(外部リンク) | 2008年3月 | 800 | ||
兵庫津遺跡第45次発掘調査報告書(外部リンク) | 2008年3月 | 900 | ||
兵庫津遺跡第50次発掘調査報告書(外部リンク) | 2010年3月 | 500 | ||
兵庫津遺跡第51次発掘調査報告書(外部リンク) | 2010年12月 | 2,000 | ||
兵庫津遺跡第52次発掘調査報告書(外部リンク) | 2011年3月 | ー | 完売 | |
兵庫津遺跡第53次発掘調査報告書(外部リンク) | 2012年3月 | 1,000 | ||
兵庫津遺跡第57次発掘調査報告書(外部リンク) | 2014年3月 | 1,900 | 中央卸売市場本場跡地の土地活用事業に伴う発掘調査。兵庫城築城当初と考えられる天正期の石垣と堀を確認。その後の兵庫陣屋、勤番所の設置に伴う改修も確認できた。堀の外側では、町屋を検出。 | |
兵庫津遺跡第62次発掘調査報告書(外部リンク) | 2017年3月 | 8,000 | 戦国時代末期に織田家臣の池田恒興によって築城された兵庫城とそれを取り巻く町屋群が見つかりました。兵庫城は、数少ない織豊系城郭の好例として必見です。また、町屋群とそこから出土した多量の陶磁器類は兵庫津研究のみならず、同時期の基準資料として欠かすことはできません。 | |
兵庫津遺跡第69次発掘調査報告書(外部リンク) | 2018年3月 | 2,000 | ||
兵庫津遺跡第79次発掘調査報告書(外部リンク) | 2021年3月 | 1,000 | 中世後半~近世初頭の遺構を発見。16世紀のものと考えられる大型の礎石建物1棟が確認されており、蔵や堂宇の可能性が考えられる。 | |
兵庫津遺跡第84次発掘調査報告書(外部リンク) | 2021年3月 | 1,000 | 室町時代から近世末までの井戸、土坑、柱穴などの遺構や、土師器、瓦質土器、備前焼、丹波焼、肥前磁器などの遺物を、6面の遺構面から検出。 | |
兵庫津遺跡第97次発掘調査報告書 | 2025年3月 | 1,700 | 16世紀末~17世紀初頭の、街路沿いに並ぶ主屋と、奥に塼列建物による土蔵を確認。花隈城出土瓦と同文瓦型式、後出瓦型式を抽出し、奈良時代~室町時代までの大輪田泊・兵庫津の変遷をまとめた。 | |
兵庫松本遺跡第2~4・12・17・19次発掘調査報告書(外部リンク) | 2005年3月 | 2,000 | 兵庫区の松本地区土地区画整理事業に伴う掘調査報告書。縄文時代から鎌倉時代までの土器類が確認され、弥生時代末~古墳時代前期の集落跡や皮袋形土器、赤色顔料塗布土器などが出土。 | |
深江北町遺跡第9次埋蔵文化財発掘調査報告書(外部リンク) | 2002年3月 | 1,600 | 平成12年5月~7月に実施した発掘調査報告書。弥生時代~平安時代の遺構・遺物を検出。平安時代の遺構は、葦屋驛家に関連する可能性が高い。 | |
深江北町遺跡第12・14次調査埋蔵文化財発掘調査報告書(外部リンク) | 2014年3月 | 1,900 | 浜堤上から古墳時代後期の祭祀遺物群や飛鳥時代~平安時代初めまでの竪穴住居・掘立柱建物などを確認。周辺の湿地からは各種の木製品とともに「(葦)屋駅長」「呪願師・天平十□年」などと書かれた木簡のほか墨書土器が出土。駅家に関わる施設が近辺に存在していたことを示唆する資料。 | |
深江北町遺跡第17次調査埋蔵文化財発掘調査報告書(外部リンク) | 2018年3月 | 2,000 | ||
二葉町遺跡発掘調査報告書第3・5・7・8・9・12次調査(外部リンク) | 2001年3月 | 3,000 | 平成8年度~12年度に実施した長田区二葉町遺跡の発掘調査報告書である。縄文時代晩期の自然流路、弥生時代の溝・土坑等を検出。鎌倉時代の舟材を転用した井戸を検出。 | |
二葉町遺跡発掘調査報告書第14~21次調査(外部リンク) | 2008年3月 | 1,900 | ||
二葉町遺跡発掘調査報告書第22次調査報告書(外部リンク) | 2010年3月 | 900 | ||
古川町遺跡第2次発掘調査報告書(外部リンク) | 2014年3月 | 800 | 浜堤上に形成された遺跡で、古墳時代の竪穴建物群、奈良時代から平安時代の掘立柱建物や木棺墓などを検出し、遺物も多く出土。中世以降は耕地として利用され、遺跡の変遷をたどることができる。 | |
扁保曾塚古墳第4次発掘調査報告書 | 2025年3月 | 800 | 前方後円墳である扁保曾塚古墳の、口縁部北側で葺石と基底石を検出。古墳の全長は64mと推定される。 | |
本庄町遺跡第9次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2003年12月 | 1,300 | 弥生時代以降各時代の水田が検出されていたが、今回は弥生時代後期の溝や住居址が確認され、周辺に居住区が存在する可能性が高まった。 | |
本庄町遺跡第10次調査(外部リンク) | 2019年3月 | 800 | 平安時代前期と鎌倉時代のピット、溝、落ち込みなどの遺構と、縄文時代晩期から江戸時代の遺物、堤間湿地と考えられる湿地状の落ち込みを確認。土器類は土師器、須恵器の他に官衙的様相を示す緑釉陶器、灰釉陶器などの施釉陶器や墨書土器、転用硯や、鋤や田下駄などの木製品が出土。今回の調査区に隣接する深江北町遺跡との関連がうかがえる。 |
書名 | 発行年月 | 定価(円) | 概要 | 備考 |
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舞子・東石ヶ谷遺跡Ⅱ(外部リンク) | 1990年3月 | 350 | 明石海峡を望む畿内最西端の弥生時代中・後期の高地性集落の報告。竪穴住居と掘立柱建物が共存。 | |
舞子砲台跡第1~4次発掘調査報告書(外部リンク) | 2006年3月 | ー | 完売 | |
松野遺跡発掘調査概報(外部リンク) | 1983年3月 | 250 | 「宮室楼観城棚厳設」を彷彿とさせる古墳時代の長大な棚列に囲まれた掘立柱建物群の調査概要。 | |
松野遺跡発掘調査報告書第3~7次調査(外部リンク) | 2001年3月 | 3,000 | 平成8年度~11年度に実施した長田区松野遺跡の発掘調査報告書である。縄文時代晩期~弥生時代前期の流路、古墳時代の住居跡・土器類、平安~鎌倉時代の遺構等が出土。 | |
松野遺跡第11~23・25・26・29~31次 水笠遺跡第2・3・5~15・17~21次(外部リンク) |
2002年10月 | 1,000 |
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松野遺跡第42-1・2次発掘調査報告書(外部リンク) | 2010年3月 | 600 | ||
松原城跡発掘調査報告書(外部リンク) | 2021年3月 | 2,200 |
主たる曲輪である曲輪1~3を始め、武者だまりと考えられる曲輪4、腰曲輪の曲輪5~16、堀切、閉塞土塁などを確認。15世紀~16世紀後半にかけての土師器、瓦質土器、陶器、磁器の他、鉄刀、鉄鏃、鉄砲玉、鉄製工具、釘、銅貨などの金属製品が出土。『信長公記』にある「道場河原」の「足懸り」に該当する城の可能性がある。
また、古墳時代と平安~鎌倉時代の遺物が出土しており、城郭形成以前の活動痕跡が確認された。
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完売 |
御影郷古酒蔵群第4次発掘調査報告書(外部リンク) | 2007年12月 | 900 | ||
御影郷波がえし蔵(外部リンク) | 2004年3月 | ー | ||
御影山手遺跡第2次発掘調査概報(外部リンク) | 2006年3月 | 400 | 古墳時代後期の古墳群と、奈良時代の掘立柱建物群を検出。 | |
御蔵遺跡第4・6・14・32次発掘調査報告書(外部リンク) | 2001年3月 | 2,500 | 平成10年度~12年度にかけて発掘調査を実施した御蔵遺跡の報告書である。弥生時代後期末~平安時代末にかけての多数の遺構や遺物が発見され、これらを掲載。 | |
御蔵遺跡第5・7・11~13・18~22・24・28・29・31・32~36・39・41・43次発掘調査報告書(外部リンク) | 2003年3月 | 1,500 | 平成10~12年に実施した発掘調査の報告書。弥生時代~奈良時代の遺構・遺物等を掲載。巻末に弥生時代後期~古墳時代前期の集落の動向に触れる。 | |
御蔵遺跡第8・9・10次調査(外部リンク) | 2000年12月 | ー | ||
御蔵遺跡第17・38次発掘調査報告書(外部リンク) | 2001年3月 | 600 | 平成11年度~12年度に発掘調査を実施した御蔵遺跡第17・38次の報告書である。弥生時代後期末~平安時代末にかけての多数の遺構や遺物が発見され、これらを掲載。 | |
御蔵遺跡Ⅴ第26・37・45・51次発掘調査報告書(外部リンク) | 2003年3月 | 2,100 | 平成11~14年に発掘調査を実施した長田区御蔵遺跡の報告書である。飛鳥時代~奈良時代の遺構・遺物等を掲載。巻末では御蔵遺跡と郡司・郡街との関係にまで言及している。 | |
水笠遺跡第26・27・28・29次発掘調査報告書(外部リンク) | 2009年3月 | 800 | 平成11~14年に発掘調査を実施した長田区御蔵遺跡の報告書である。飛鳥時代~奈良時代の遺構・遺物等を掲載。巻末では御蔵遺跡と郡司・郡街との関係にまで言及している。 | |
水谷遺跡第10次調査 馬掛原遺跡第1次調査(外部リンク) |
2005年3月 | 700 | 水谷遺跡第10次調査では弥生時代の墳墓や古墳時代後期の墳、方墳などが発見されました。馬掛原遺跡第1次調査では、弥生時代の終わりころの方形の区画された遺構が確認された。 | |
南僧尾A・B地点発掘調査概要(外部リンク) | 1976年3月 | ー | ||
南僧尾(外部リンク) | 2000年3月 | 2,000 | 平成10年度~11年度に発掘調査を実施した北区淡河町の木ノ元遺跡、経塚山遺跡、西北遺跡、平井沢遺跡の報告書である。古墳時代末~中世の多数の遺構や遺物を掲載。 | |
元住吉山遺跡発掘調査概要(外部リンク) | 1976年3月 | ー | ||
本山遺跡第12次調査概報(外部リンク) | 1991年3月 | 250 | 遺跡の境界で発見された銅鐸を中心に、大型包丁2点を含む磨製石器群等をカラーで紹介する調査情報。 | |
本山遺跡(第22次調査)(外部リンク) | 1998年3月 | ー | ||
本山中野遺跡第3次発掘調査報告(外部リンク) | 2009年2月 | 700 | ||
森北町遺跡発掘調査報告書(外部リンク) | 1987年3月 | 250 | ||
森北町遺跡第20次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2004年12月 | 400 | 平成15年11月~12月に発掘調査を実施した東灘区森北町遺跡の報告書。鎌倉時代の掘立柱建物、落ち込みなどを検出した。 | |
森南町遺跡発掘調査報告書第1・2次調査(外部リンク) | 2005年3月 | 1,800 | 弥生時代の終わりから古墳時代の初めころの水路と、多数の木杭を打ち込んで構築した堰が見つかり、土地を切り開き、耕地として開発していった様子の一端が、垣間見られる。 |
書名 | 発行年月 | 定価(円) | 概要 | 在庫 |
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雪御所遺跡第5次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2022年3月 | 500 | 平安時代末期~鎌倉時代初頭の土坑や土地区画のための溝を発見。また、弥生時代後期末~古墳時代後期の竪穴建物等を検出。 | |
ゆの山御てん(外部リンク) | 2000年7月 | 600 | 北区有馬温泉で、太閤秀吉の湯山御殿跡が震災後の発掘調査で400年ぶりに発見された。この貴重な発掘調査の記録。 | 完売 |
吉田南遺跡第17・18次調査発掘調査報告書(外部リンク) | 2006年3月 | 2,000 | 弥生時代後期と古墳時代後期の住居が多数見つかり、大量の土器が出土。 |
書名 | 発行年月 | 定価(円) | 概要 | 在庫 |
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若松町遺跡(外部リンク) | 2000年3月 | ー | ||
若松町東遺跡第1~6次発掘調査報告書(外部リンク) | 2013年3月 | 500 |