HOME > 未公開写真編 > 昭和36年 冬 1. 灘浜

未公開写真編 〜秘蔵ネガフイルムから

昭和36年 冬

1. 灘浜

背山眺望(撮影:2010/6/1)

 4本のネガフイルムのうち1本だけ日付が書かれていないものがあります。おそらく昭和36年初頭のものと思われますが、この日、最初に川西 英さん一行が訪れたのが、灘浜あたりです。川西 英さんの画をみても分かりますが、このあたりの景色には、必ず背景に六甲山系が登場してきます。海側からの景色は、いつ見ても壮観です。

【(株)神戸製鋼所】

(株)神戸製鋼所(左)1961年頃(右)2012年
(株)神戸製鋼所 1961年頃(株)神戸製鋼所 2012年

 神鋼神戸製鉄所は、昭和34年に新設されていますので、川西 英さんがスケッチしているのは、最新鋭の製鉄設備ということになるのでしょうか。この場所は、現在、神鋼の灘浜サイエンススクエアから神鋼神戸発電所にかけてと推定できます。神戸百景調査時に、神鋼さんからいただいた回答では、高炉の場所は、現在の神鋼神戸発電所が建っているところということでした。発電所は高いフェンスに囲まれているため、外部から中の様子をうかがい知ることはできませんが、スケッチ当時は、周辺のどこからでも高炉を眺めることができたのでしょうか。川西画で描かれた製鉄所も、現在はその一部が発電所に変わり、日本の一大産業であった製鉄業と発電事業の両方で神戸の発展を支え続けています。

【沢の鶴(株)】

沢の鶴(株)(左)1961年(右)2012年
沢の鶴(株)(左)1961年(右)2012年

 この場所はどこかと考えているとき、ちょうどモノクロ写真右側に酒樽が並んでいるのを見つけました。中央奥に出光興産の石油貯蔵タンクも見えます。そして横を走る臨港線の線路。現在、この場所は、灘浜サイエンススクエア前、沢の鶴本社の南側にあたります。神戸の酒造メーカーは、阪神淡路大震災によって大きな被害を受け、歴史ある酒蔵は、そのほとんどがなくなってしまいました。これについては、神戸百景『20.灘酒倉』のところで調べています。昔の写真をみると、新在家あたりでは、町のあちらこちらに酒樽が置いてあり、子供たちの遊び場にもなっていたようです。

 実際に、描かれた画は『22.灘浜』です。高炉の手前に高く山積みされているのは、船から陸揚げされた鉄鉱石でしょうか。戦後の復興を支え続けた製鉄所は、神戸を代表する産業のひとつです。そして、現在の発電所は市民の生活を支える新しいスタイルの都市隣接型の発電所として注目されています。

(左)スケッチ中の川西英さん(右)神戸百景22.灘浜
ページの先頭へ