昭和36年1月16日(月)
1. 修法ヶ原外人墓地

昭和36年1月16日(月)、川西 英さん一行は、まず修法ヶ原にある外国人墓地を訪れています。外国人墓地は再度公園に隣接し、とても美しい風景が広がっているところでもあります。川西 英さんが墓地内でスケッチを行ったのは、小野浜地区と呼ばれている場所です。現在、遺族、関係者以外が墓地内に立入ることはできません。唯一の手段としては、神戸市が開催している見学会に参加することぐらいでしょうか。また、写真撮影も限られた場所でのみ許可されていますので注意が必要です。
【小野浜地区】


スケッチ中の川西 英さん。その視線の先には、写真(上)のような景色が広がっています。おそらく当時とあまり変わらないと思います。わたしが訪れたのは真夏の暑い日でしたが、真冬の墓地でスケッチされた川西 英さんも、とても大変だっただろうと思います。

左の写真、川西 英さんの背後に十字架の立つ大きな墓がみえます。これは、1868(慶応4)年に起きた堺事件で、土佐藩士に殺害されたフランス人水兵11名の墓です。

左の写真、川西 英さんの右側に写っている墓石には、「HMS ADVENTURE号の操舵手 William Collins 1867年12月26日29歳で死す(和訳)」と刻まれています。どうやら川西 英さんが立っているところは、船員関係の墓石が多いようです。しかし、幕末の頃の墓がここにあることに驚きました。開国に揺れた神戸、そんな歴史の一幕を見ることができました。

スタートをきったスケッチの旅、最初の訪問地は外国人墓地でした。このスケッチによって描き上げられた作品が、『8.修法ヶ原外人墓地』なのですね。水兵の墓とその下に広がる墓地をひとつの構図におさめて描かれているのがわかりました。実際には、両方を一度に眺めることは不可能です。