神戸百景探訪 作品No.21〜30

旅人のプロフィール

21.商船大学(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
商船大学

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川西画がスケッチされた同じ年、1952(昭和27)年に神戸商船大学が設立されています。川西 英さんは、新しいものに敏感だったようで、百景でも、新しくできた施設を積極的に取り入れています。「川西 英プロフィール」にもあるように、『神戸百景』は、1952〜1953(昭和27〜28)年に制作したあと、1961(昭和36)年に、100景中35景が描き直されたり、差し替えられたりしています。撮影ポイントを調査するうえで、この1期と2期の間(ま)が、ものすごくキーポイントになりました。

撮影場所
東灘区深江南町5(撮影:2009/7/12)
川西画にある施設は、現存しません。神戸商船大学は、2003(平成15)年に神戸大学海事科学部となりました。川西画にあるポンド付近は埋め立てられ、現在はグラウンドになっています。また、進徳丸があった場所は、現在の総合学術交流棟あたりでしょうか。キャンパスは埋め立てにより、沖合に向けて展開しています。

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22.灘浜(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
灘浜

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場所は分かっているのに、被写体になかなか近づけないポイント、それが灘浜(株式会社神戸製鋼所の神戸製鉄所)でした。川西 英さんは、どのようにして、スケッチすることができたのでしょうか?!当時から、工場南側は、すぐに海です。現在、撮影するとなると、対岸の六甲アイランド、または摩耶埠頭から望遠レンズを使って撮影する、もしくは海上(船上)からの撮影になります。六甲の山並みを川西画と揃えるには、やっぱり工場敷地内で撮影しないといけません。納得のいくアングルで撮るのって難しいですね。

撮影場所
灘区摩耶埠頭(撮影:2010/5/31)
灘浜地区の神戸製鉄所は、1959(昭和34)年に新設され、銑鋼一貫体制を確立とのこと。川西画に描かれている第1高炉があった場所は、現在は、石炭火力発電所となっています。神戸市のピーク電力の約70%をカバーしているそうです。

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23.葺合(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
葺合

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余談になりますが、「葺合」という名前は、神戸で最も古くから存在する地名のひとつです。1889(明治22)年、神戸区・荒田村・葺合村が合併して「神戸市」が誕生しました。1931(昭和6)年には、区制の始まりとともに、葺合区が誕生。そして現在の中央区は、1980(昭和55)年に葺合区と生田区が合併して誕生しました。

撮影場所
中央区北吾妻通3(撮影:2009/5/15)
阪神・春日野道駅の近くにある大阪ガス(旧神戸瓦斯)の葺合供給所です。現在は、LNG (液化天然ガス) を気化したガスを貯蔵するため、球形のガスタンクになっています。川西画にある円筒形のガスタンクは、1968(昭和43)年頃まで存在していたようです。モクモクと煙を吐く煙突群あたりは、現在、神戸東部新都心「HAT神戸」地区になっています。

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24.カナディアン アカデミー(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
カナディアン アカデミー

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カネディアン・アカデミィは、多様な国籍の児童・生徒が学ぶインターナショナル・スクール。1913(大正2)年、カナダ・メソヂスト教会が神戸に創立し、当初は原田の森(現・灘区)の関西学院キャンパスに隣接していたそうです。その後、長峰台に移り、1990(平成2)年から六甲アイランドへ移転しています。

撮影場所
灘区長峰台2(撮影:2009/7/3)
現存せず。旧アカデミィのグラウンドのみ、現在も市立長峰中学校によって使用されています。川西画にあるグロセスターハウス(左)や校舎(右)の跡地には、2002(平成14)年に竣工し、「カネディアンヒル」の名前を冠したマンションが建っています。写真の石積みは、当時のままです。

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25.王子動物園(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
王子動物園

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動物を撮るのがいちばん難しいと言われますが、その通りでした。ゾウを構図に入れるために、3度動物園へ。1回目、平日に行ったため、ゾウはいるが人が全くいないためNG。2回目、休日に行ったものの、今度は、人はいるがゾウが出てこないためNG。3回目、やっとのことで、ゾウと人がイメージ通りになりました。ただし、ゾウ舎の前で数時間も待たされる羽目に。

撮影場所
灘区王子町3丁目1(撮影:2009/9/23)
川西画にあるゾウ舎は、1951(昭和26)年開園時から、現在のドーム型ゾウ舎に建て替えられた1953(昭和28)年までの間、存在していました。建て替えられたゾウ舎は、位置も変更されたため、当時と同じ構図で撮影することは不可能です。おそらくこの「25.王子動物園」は、1952〜53(昭和27〜28)年にスケッチをして、1961(昭和36)年に何かを加筆、修正されていると思われます。開園当初からいたインドゾウの「諏訪子」も、2008(平成20)年4月に永眠しました。

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26.市立美術館(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
市立美術館

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2008(平成20)年、百景探しの中で、ここが最初に取材活動を始めた場所です。市立美術館といわれても、私にはピンと来なかったので、とりあえず市立博物館へ行きました。館内を歩いてみましたが、川西画らしい場所も見あたりません。館内に川西画に詳しい方がいるというので、紹介していただきました。その方から「市立美術館は、中央区熊内町にある現在の神戸市文書館です」と、場所を教えていただきました。その時いただいた名刺をあとから見て分かったことですが、「川西 英さんの展覧会といったら、この人あり」という方だったのです。今思えば、そんな方に、何も知識のない状態で、アポなし取材をしたことに赤面です。

撮影場所
中央区熊内町 1-8-21(撮影:2009/6/11)
1938(昭和13)年、篤志家の池長孟氏が池長美術館として設立し、南蛮関係の美術品が展示されていました。その後、市に寄贈され、神戸市文書館となったのは、1989(平成元)年からです。川西画は2階部分をスケッチしたもので、普段は立ち入ることができません。現在は、倉庫代わりになっています。書架が壁のように配置されているため、広角レンズを使っても難しい構図となりました。また、2階から3階へ上がる階段の手すりには、シカのモチーフがあり、川西画にも描かれています。建物自体は、改装こそしていますが、ほぼ川西画のまま残っています。1階の閲覧室は、誰でも利用できます。2階の見学は、許可が必要です。

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27.布引(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
布引

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川西画の頃とほぼ同じ状態で自然が残っています。樹木が生い茂り、雌滝を直接確認するのは難しくなっています。明治の頃、布引では人力車が活躍していました。茶店は夜間も営業し、とても賑わっていたようです。今からは考えられません。その後、布引ダムができてからは、水量が減少し、大瀑布とは言い難い姿に変わってしまったそうです。川西画では、雌滝前に屋根付きの橋が架かっている様子が描かれています。観瀑橋といわれ、茶店の一部だったそうです。

撮影場所
中央区葺合町(撮影:2009/6/26)
現存。都会のオアシス的な場所でもあります。新神戸駅の真下を抜け、砂子橋(いさごばし)を渡らずに左方向へ直進すると、川西画の風景に出会います。「布引の滝」は4つの滝の総称で、北から順に雄滝(おんたき)・夫婦滝(めおとだき)・鼓ケ滝(つつみがだき)・雌滝(めんたき)と続きます。

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28.三の宮駅附近(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
三の宮駅附近

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古い駅舎が好きな人からすれば、阪急三宮駅や国鉄三ノ宮駅はあこがれの的ですね。ところで「操車塔」ってご存じでしょうか?私は市電を知らない世代です。ですから、調査の過程で、初めは警察官が交通整理をする所と勘違いしていました。ある時、川西画を見ていて気が付きました。この施設が登場する画には、必ず市電あるいは線路が登場しているのです。そこで、視点を変え、市電について調べてみると、古い写真には、交差点の角にいろいろなタイプの塔が立っているではないですか。これは操車塔と言われ、線路のポイントを遠隔操作するための施設だったそうです。川西 英さんは、百景の中で3カ所の操車塔を描いています。その後、信号システムの自動化とともに、操車塔の役目は終わったようです。

撮影場所
中央区小野柄通8(撮影:2009/4/3)
神戸阪急ビルは、建物内に電車が出入りする構造で、1936(昭和11)年に建てられました。三宮駅にありながらビル名に「神戸」と付いているのは、完成当時、この駅の名前は「神戸駅」だったからだそうです。震災ではビルの上部が崩落するなど、大きな被害を受けました。一方、国鉄三ノ宮駅は、1931(昭和6)年に、現在の元町駅の位置から移転しています。

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29.国際会館(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
国際会館

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画集に収められているエッセーは、指揮者の朝比奈 隆さん(1908-2001)です。朝比奈さんは、「昔懐かしい関学チャペルに代わる会館の大演奏会場は、私たち音楽家にとって、日本で最も優れた美しい響きを持つホールのひとつである」と、かつての神戸国際会館大ホールについてコメントされています。朝比奈さんのいう美しい響き、再建された「こくさいホール」にも受け継がれています。

撮影場所
中央区加納町6(撮影:2009/4/3)
1956(昭和31)年に竣工し、当時、神戸でいちばん大きな建物であった会館も、1995(平成7)年、震災により全壊。その後、1996(平成8)年11月に新会館建設が始まり、1999(平成11)年4月に竣工。三宮の新たなランドマークとしてよみがえりました。

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30.市役所と花時計(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
市役所と花時計

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1957(昭和32)年4月から時を刻み始めた花時計。同年の市役所新庁舎(現在の2号館)完成時に、日本初の花時計として設置されました。神戸らしい風景として、さっそく描き加えられたのでしょう。神戸市公園緑化協会発行の「花時計」という本を読んで、川西画が描かれた年月が特定できました。ヒントになったのは、花時計のデザインでした。花時計は、当時は年8回ほど、デザインの変更が行われていました。川西画に描かれているのは「雪の結晶」。1961(昭和36)年1〜2月のデザインでした。

撮影場所
中央区加納町6(撮影:2009/4/3)
現場に立つとよく分かるのですが、川西画のように時計の盤面を上部から眺めるのは、地上からは難しいんです。脚立の上段に立つとか、市役所の2階くらいからのアングルでないと、画にあるような盤面を見ることができません。ということは、画を描いた川西 英さんは、かなりの長身だったに違いない・・・。川西 英さんのもつ独特のアングル、いろいろなポイントで悩まされました。

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