昭和36年1月17日(火)
4. 舞子

昭和36年1月17日撮影とされたフイルムの中に、ひとコマだけのネガ(下のモノクロ写真)がありました。整理の過程でここに紛れ込んだのかどうか定かではありません。この日、川西 英さん一行は、須磨方面をスケッチして回っていて、36枚撮りフイルムの最後は須磨浦公園でした。もし、この37枚目のひとコマが旅のつづきであるのなら、一行は垂水まで足を伸ばしたことになります。
【舞子公園】

上の写真、須磨浦公園のスケッチといっしょになっていたため、当初、ネガは須磨浦公園として整理されていました。しかし、写真をよくみると、公園内の松、背後を走る電車の線路、須磨浦公園とは、何となく違うのではないかとの疑問がわたしの中で湧きました。もしかすると、このひとコマだけ違う場所であると考えたのです。須磨浦公園でないとすれば、舞子公園以外にありません。現在の写真と比較していただければ、一目瞭然です。

実際に、描かれた画は『97.舞子』です。舞子公園といえば、老松と移情閣なのでしょう。ただし、写真では川西 英さんは東を向いて描いていますので、神戸百景そのもののスケッチとは考えにくいです。唯一、描き替えの理由として考えられるのが、1960(昭和35)年6月10日に開館した明石市立天文科学館です。これを構図に収めようと、神戸百景にぎりぎり間に合わせてスケッチした可能性があります。画の中では、移情閣の後ろに隠れ、目を凝らして見ないと分からないほどです。また、明石市立天文科学館は、JRの線路よりも山側にありますので、実際には川西画のように構図内に入ってきません。果たして、川西 英さんは、何が目的でこの舞子を描き替えたのか、推測の旅は続きます。
