昭和36年 冬
3. 北野

川西 英さん一行が、この日3番目に訪れた場所は北野町です。北野は、1977(昭和52)年放送のNHK連続テレビ小説「風見鶏」以来、神戸を代表する観光地となりました。当時、川西 英さんは、ここが観光地になるとは思っていなかったでしょう。
【旧サッスーン邸】

不動坂を登る川西 英さんの姿です。神戸百景では、この不動坂の上から神戸港を見下ろす風景を描かれています。
【旧ハッサム邸】



ハッサム邸がこの場所にあったことをご存じの方は、少ないのではないでしょうか。ラインの館の北側にあったのです。
【山手幹線(兵庫県庁付近)】

北野でスケッチを終え、一行は帰路についたのでしょうか。最後の一コマがこの写真でした。この場所は、兵庫県庁北側を通る山手幹線です。車は東から西へ向かって進んでいます。モノクロ写真、右手の黒っぽい建物は、市立山手小学校(現こうべ小学校)です。その右側に、こんもりと木立が見えますが、おそらく相楽園の大クスノキです。

ネガには、北野で百景を描く川西 英さんの姿はとらえられていませんでした。果たしてハッサム邸をスケッチしただけだったのでしょうか。それとも作品『59.北野』を修正、もしくは差し替えしようと考えた上でのスケッチだったのでしょうか。
ひとつ疑問に思ったのが、どうして川西 英さんは、ここ北野を改めて訪れたのかという点です。ハッサム邸は、スケッチの2年後、1963(昭和38)年に相楽園へと移築されていますので、もしかすると、それを知った上でスケッチに訪れた可能性もあります。
