西の部屋

最終更新日:2020年11月4日

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西の部屋

掃きだし窓に注目

『細雪』より引用

幸子を始め三人の姉妹たちは、西洋間の方を子供たちの遊び場所に明け渡して、昼間は大概食堂の西隣の、六畳の日本間へ来てごろごろしていた。そこは廊下を挟(はさ)んで風呂場と向い合っているので、着物を脱いだり洗濯物を束ねて置いたりする場所に使われていて、南側が庭に面してはいるけれども、庇(ひさし)が深くて薄暗い行燈(あんどん)部屋のような所なのであるが、日が遠いのと、西側の壁に低い掃き出し窓が開いているのとで、日中でも冷え冷えとした風が通り、家じゅうで一番涼しい部屋とされているので、三人は争ってその窓の前へ寄り集って、畳に臥(ね)そべるようにしながら最も暑い午後の二、三時間を過した。(中巻11章)

或る日、夕方帰宅した彼は、幸子が見えなかったので、捜すつもりで浴室の前の六畳の部屋の襖(ふすま)を開けると、雪子が縁側に立て膝をして、妙子に足の爪を剪(き)って貰っていた。
「幸子は」
と云うと、
「中姉(なかあん)ちゃん桑山さんまで行かはりました。もう直ぐ帰らはりますやろ」
と、妙子が云う暇に、雪子はそっと足の甲を裾の中に入れて居ずまいを直した。貞之助は、そこらに散らばっているキラキラ光る爪の屑を、妙子がスカートの膝をつきながら一つ一つ掌(てのひら)の中に拾い集めている有様をちらと見ただけで、又襖を締めたが、その一瞬間の、姉と妹の美しい情景が長く印象に残っていた。(中巻29章)

解説

1階の西の端の6畳(実際は4畳半)の日本間は1畳半の縁側がついていて、食堂の西側扉に通じている。食堂から廊下側のふす間をあけてこの部屋に入ると、昼でも薄暗くひえびえしている。それは作品にあるように、南に面していながら庇が深く、陽が縁側、障子を経てしか室内に入らないからである。

三姉妹は、この部屋に夏の間涼を求めに来るのであるが、作品中巻29章には雪子が妙子に爪をきってもらう場面が描かれている。その1枚の絵のようなシーンは読者に強烈な印象を与える。雪子と妙子と―この対照的な2人の女性は、「細雪」という織物の中の二色の縦の糸で、寄ったり離れたりからまったりしながら、見事な模様を描いていくのである。この章の妙子は、恋人板倉との結婚のことで2人の姉と考えが対立して1人孤立している状況にある。そんな中にあっても仲むつまじく妹が姉の足の爪をきってやるのを見て貞之助の、「この姉妹たちは、意見の相違は相違としてめったに仲違いなどはしないのだと云うことを、改めて教えられた気がした。」という感慨深い描写が続く。

この場面は、昭和7年11,12月発表の「蘆刈」のお遊とお静の姉妹に見られる、姉妹愛ゆえに、仕える者と仕えられる者という構図の主従性を一つ乗り越えた、同性愛風な官能美を漂わせているのである。「細雪」は谷崎の作品の中では比較的明朗な部類に属していて、洋の東西を問わず多くの人々に読まれ続けて来たが、谷崎特有の淫靡にして甘美な主旋律はこのように随所に散りばめられていることも見逃せない。
そういう意味で西の部屋は、作りの上からも、先の洋間の<陽>と対照的な<陰>あるいは<淫>なる空間なのである。

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