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こうべキッズ百科:文化(まつり・伝統行事)

最終更新日:2019年11月1日

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十日戎大祭(とうかえびすたいさい)

戎(えびす)は、遠(とお)くの海(うみ)からやって来(き)て、人々(ひとびと)を幸(しあわ)せにする神様(かみさま)だといわれています。
漁業(ぎょぎょう)の神、商売繁盛(しょうばいはんじょう)の神、福(ふく)の神として、古(ふる)くから親(した)しまれています。
海岸沿(かいがんぞい)には、戎(えびす)さんを祭(まつ)る神社(じんじゃ)がたくさんあります。
神戸市(こうべし)では、1692年(ねん)(元禄(げんろく)6年)ごろからあったといわれる兵庫区(ひょうごく)の蛭子神社(えびすじんじゃ)が有名(ゆうめい)です。地元(じもと)の人たちからは「柳原(やなぎはら)のえべっさん」とよばれ、親しまれています。
十日戎大祭と(おかえびすたいさい)は、福(ふく)を授(さず)かるために、1月10日に神社にお参(まい)りする祭りです。
神社の建物(たてもの)の裏(うら)にまわって、木戸(きど)や建物をドンドンと叩(たた)いて「エベッサンたよりにしてまっせ」といって拝(おが)む習(なら)わしになっています。
蛭子神社の向(む)かい側(がわ)には、大黒天(だいこくてん)がまつられている福海寺(ふくかいじ)があり、福をもらおうとする大勢(おおぜい)の人が訪(おとず)れます。毎年(まいとし)1月9日、10日、11日には、このあたりは身動(みうご)きできないほどにぎわいます。

蛭子神社(ひるこじんじゃ)のホームページへ(外部リンク)

春節祭(しゅんせつさい)

春節(しゅんせつ)は、旧暦(きゅうれき)のお正月(しょうがつ)を祝(いわ)う中国(ちゅうごく)の節句(せっく)です。
中央区(ちゅうおうく)にある南京町(なんきんまち)では、旧暦のお正月にあわせて、1987年(ねん)(昭和(しょうわ)62年)から春節をアレンジした春節祭(しゅんせつさい)がおこなわれてきました。
全長約(ぜんちょうやく)40メートルもある、日本一(にほんいち)ながいオスの龍(りゅう)「龍龍(ろんろん)」と、約25メートルのメスの龍「美龍(めいろん)」が、お囃子(はやし)やドラの音(おと)とともに、南京町から元町(もとまち)の辺(あた)りを勇(いさま)しく踊(おど)りながらねり歩(ある)きます。 2002年(平成(へいせい)14年)からは夜行龍(やこうりゅう)「イェンロン」も登場(とうじょう)しました。
また、災(わざわ)いから家(いえ)を守(まも)るといわれている獅子(しし)も、太鼓(たいこ)の音にあわせて、元気(げんき)よく踊(おど)ります。
春節祭がおこなわれる数日間(すうじつかん)は、神戸だけでなく、色々(いろいろ)な所(ところ)から見物客(けんぶつきゃく)が集(あつ)まり、南京町の通(とお)りは動(うご)けないほどの人でにぎわいます。

神戸南京町(こうべなんきんまち)のホームページへ(外部リンク)

神戸南京町の春節祭の写真1 神戸南京町の春節祭の写真2

楠公祭(なんこうさい)

楠公祭は、中央区(ちゅうおうく)にある湊川神社(みなとがわじんじゃ)で、毎年5月25日におこなわれる祭(まつり)です。
楠公祭は、湊川の戦(たたか)いで足利軍(あしかがぐん)に敗(やぶ)れた楠木正成(くすのきまさしげ)が、弟(おとうと)や子(こ)どものほか、28人(にん)とともに自害(じがい)した日(ひ)におこなわれています。
1985年(ねん)(昭和(しょうわ)60年)の楠公祭のときには、楠木正成がなくなって650年を記念(きねん)して「楠公武者行列(むしゃぎょうれつ)」がおこなわれました。
そのご、17年ぶりとなる2002年(平成(へいせい)14年)に、さらに2007年(平成19年)にもおこなわれました。
絵巻物(えまきもの)からぬけ出(で)たような、武者、稚児(ちご)、大(おお)みこしなど、全部(ぜんぶ)で430人の行列が、元町からハーバーランド、湊川公園などを通(とお)ってねり歩(ある)きました。

※稚児・・・神社や寺などで行列にうつくしくきかざって出(で)る男女(だんじょ)の子(こ)どものこと

湊川神社(みなとがわじんじゃ)のホームページへ(外部リンク)

だんじりまつり

だんじりとは、祭(まつ)りの時に用(もち)いる、太鼓を乗(の)せた屋台(やたい)のことです。
車輪(しゃりん)をつけて引(ひ)っ張(ぱ)るものと、大勢(おおぜい)の人たちの力(ちから)でかつぐものとがあります。
中(なか)には、「ふとんだんじり」のように、五重(ごじゅう)にした赤(あか)のふとんを乗せた、珍(めずら)しいだんじりもあります。
だんじりは、地域(ちいき)によって、時車(じぐるま)や山車(だし)など、様々(さまざま)な名前(なまえ)で呼(よ)ばれています。
もともとだんじりは、その年にできた農産物(のうさんぶつ)を神(かみ)に供(そな)えるという、古(ふる)い習(なら)わしからはじまりました。
16世紀(せいき)ごろからは、その際(さい)に、作(つく)り物(もの)や手工品(しゅこうひん)を台(だい)にのせるようになります。
さらに17世紀の半(なか)ばころからは四ツ車(よつぐるま)(=四つの車輪がある車)に載(の)せて、神社に納(おさ)めるようになります。
やがて、その車の屋根(やね)に飾(かざ)りをつけたり、提灯(ちょうちん)をぶら下さげたりするようになり、今(いま)のだんじりのようになってきました。
神戸市内では、東灘(ひがしなだ)区御影(みかげ)町の「弓弦羽(ゆづるは)神社のだんじり」、「東明八幡(とうみょうはちまん)神社のだんじり」、東灘区本山(もとやま)町の「保久良(ほくら)神社のだんじり」、東灘区住吉宮(すみよし)町の「本住吉神社のだんじり」、兵庫(ひょうご)区の「和田(わだ)神社のだんじり」が、神戸市の無形民俗文化財(むけいみんぞくぶんかざい)として登録(とうろく)されています。
また、この他にも灘区の河内国魂(かわちくにたま)神社では、毎年5月2・3日に、五毛(ごもう)、上野(うえの)、畑原(はたはら)の、3つのだんじりがそろいます。
(河内国魂神社は、五毛天神社とも呼ばれています)
さらに5月の第2日曜日には「灘のだんじり祭り」として篠原(しのはら)、都賀(とが)、五毛(ごもう)、上野(うえの)、八幡(やはた)の5台のだんじりが区内をそろって練(ね)り歩きます。
この他にも色々なだんじりがありますが、引かれる日や、方法などはそれぞれの地区(ちく)で特徴(とくちょう)があります。

だんじりまつり写真

神戸(こうべ)まつり

「神戸(こうべ)まつり」は、1933年(ねん)(昭和(しょうわ)8年)の秋(あき)から行(おこな)われていた「みなとのまつり」と、1967年(昭和42年)春(はる)から行われていた「神戸カーニバル」の二つのお祭(まつ)りが、いっしょになってできたお祭りです。
1971年(昭和46年)に第(だい)1回(かい)の「神戸まつり」が行われ、そこから毎年5月に開催(かいさい)されるようになりました。
震災(しんさい)の後(あと)、1996年(平成(へいせい)8年)からは、新(あたら)しく祝日(しゅくじつ)に決(き)められた7月20日の「海(うみ)の日」を中心(ちゅうしん)に開(ひら)かれるようになりました。
ところが、来場者(らいじょうしゃ)や参加(さんか)者から、涼(すず)しい時期(じき)にしてほしいなどの希望(きぼう)があり、2002年(平成14年)からは、再(ふたた)び震災前と同おなじ、5月第3日曜(にちよう)を中心(ちゅうしん)に行われています。
各区(かくく)の行事(ぎょうじ)や、フラワーロードなどで行われるパレード、ステージでのサンバや民謡(みんよう)、ジャズダンス、マーチングなど、たくさんの市民(しみん)が参加(さんか)して、みんなで作(つく)るというのが、神戸まつりの特徴(とくちょう)です。
1995年(平成7年)の阪神・淡路(はんしん・あわじ)大震災の年には、神戸まつりは開かれませんでした。しかし、まつりのなかったこの年も、第25回目の神戸まつりの年として数(かぞ)えられています。
震災の記憶(きおく)は、神戸まつりの歴史(れきし)の中にも刻(きざ)まれています。

神戸祭り写真

神戸(こうべ)ルミナリエ

「ルミナリエ」は、もともとイタリア語(ご)で「電飾(でんしょく)」を意味(いみ)する言葉(ことば)です。
神戸ルミナリエは、色とりどりの電飾を使用(しよう)した幻想的(げんそうてき)な光(ひかり)の彫刻作品(ちょうこくさくひん)です。
神戸ルミナリエには、阪神・淡路大震災で亡(な)くなったり、傷(きず)ついたりした神戸の街(まち)と人々のための祈(いの)りと、復興(ふっこう)への願(ねが)いがこめられています。
1995年(ねん)(平成(へいせい)7年)の12月(がつ)にはじめて開催(かいさい)されました。
この年(とし)は、11日間(にちかん)で約(やく)254万(まん)人の人が会場をおとずれ、それから毎年(まいとし)多くの人が訪(おとず)れるようになりました。
10回目(かいめ)となった2004年(平成16年)には、14日間で過去最大(かこさいだい)となる538万人の人がおとずれました。
主(おも)な会場(かいじょう)の旧居留地(きゅうきょりゅうち)には、約270メートル続(つづ)く光(ひかり)のアーチが現(あらわ)れます。
また、東遊園地(ひがしゆうえんち)には高(たか)さ21メートルにもなる大きな光の壁掛(かべか)けが、いろいろな形(かたち)の木(き)の枠(わく)にとりつけられた色とりどりの約20万個もの小さな電球(でんきゅう)でかざられます。
また、開催中は毎日、点灯(てんとう)する前に、「しあわせ運(はこ)べるように」のメロディーと歌(うた)が会場にながれます。

神戸(こうべ)ルミナリエのホームページへ(外部リンク)

神戸ルミナリエの写真1 神戸ルミナリエの写2

神戸ルミナリエの写真3

六條八幡神社(ろくじょうはちまんじんじゃ)の流鏑馬神事(やぶさめしんじ)

六條(ろくじょう)八幡神社は北区山田町(きたくやまだちょう)にあります。つくられた年(とし)ははっきりしませんが、1188年よりのちにたてられたのではないかと考(かんが)えられています。
流鏑馬神事(やぶさめしんじ)は、走(はし)っている馬(うま)にのって弓(ゆみ)で的(まと)を射(い)るという行事(ぎょうじ)で、毎年(まいとし)10月の第(だい)2日曜日(にちようび)におこなわれています。地元(じもと)では「ウマカケ」と呼(よ)ばれています。
流鏑馬は、古(ふく)くは武士(ぶし)の社会(しゃかい)で、武術(ぶじゅつ)の技(わざ)をみがくためにおこなわれていたようです。
流鏑馬神事をおこなう人(ひと)たちは、行事当日(ぎょうじとうじつ)の朝(あさ)にはきめられた順番(じゅんばん)の行列(ぎょうれつ)になって、七社神社(しちしゃじんじゃ)で一度(いちど)、流鏑馬神事をして、そこからまた行列をして、八幡神社にむかいます。
八幡神社では、午前(ごぜん)11時(じ)ごろから神事が始はじ)まり、正午(しょうご)には終(お)わります。
神事では、馬(うま)にのった人が、的にむかって4本(ほん)の矢(や)を放(はな)ちます。

六條八幡神社の写真

無動寺(むどうじ)のオコナイ

無動寺は北区(きたく)の山田町(やまだちょう)にあります。聖徳太子(しょうとくたいし)がつくったのではないかとも伝(つた)えられているお寺(てら)です。
そのお寺で、毎年(まいとし)2月初旬(しょじゅん)におこなわれている仏教(ぶっきょう)の行事(ぎょうじ)が「オコナイ」です。「オコナイ」とは、神仏(しんぶつ)に餅(もち)などのたべ物や酒(さけ)をお供(そな)えし、そのさがりを集落(しゅうらく)の人々(ひとびと)で分配(ぶんぱい)するという儀礼(ぎれい)のことです。
参列者(さんれつしゃ)は、朝(あさ)、山(やま)でとってきた長(なが)さ約(やく)50cmの樫(かし)か、椎(しい)の木(き)でつくった棒(ぼう)を2本(ほん)ずつもって、お堂(どう)に座(すわ)ります。
そして、合図(あいず)とともに、棒をふりあげて、力(ちから)いっぱいに床(ゆか)の板(いた)を叩(たた)くというものです。
オコナイには、豊作(ほうさく)や家内安全(かないあんぜん)の願(ねが)いがこめられています。

無動寺(むどうじ)のホームページへ(外部リンク)

長田区地蔵盆(ながたくじぞうぼん)

地蔵盆(じぞうぼん)は、8月(がつ)23・24日(にち)に行(おこな)われます。
本来(ほんらい)は、この日(ひ)がお盆祭(ぼんまつ)りの最後(さいご)の日だったことからはじまった、といわれています。今(いま)では、お盆休(ぼんやす)みが8月15・16日前後(ぜんご)でおわるので、お盆から少(すこ)しはなれた行事(ぎょうじ)になってしまいました。
地蔵盆とは、お地蔵さんにお参(まい)りをする行事です。
地蔵は奈良時代(ならじだい)に日本に伝(つた)わり、平安(へいあん)時代に人々に広(ひろ)まりました。
もともと「地蔵」という言葉には、古代(こだい)インド語で「大地(だいち)の母(はは)」という意味(いみ)があり、地蔵には、様々(さまざま)なものを生(う)みだす、大地のような力があるといわれています。
また、子どもを病気(びょうき)や災難(さいなん)から守る力もあるとされてきました。
地蔵盆は、今ではだんだんと、子ども中心(ちゅうしん)の行事へと変化(へんか)してきています。
長田区は、神戸市の中でも地蔵盆がさかんに行われている地域のひとつです。
8月23日を中心に、お地蔵さんの掃除(そうじ)やお化粧(けしょう)をします。
そしてお供(そな)え物をして、お地蔵さんの周(まわ)りを提灯(ちょうちん)で飾(かざ)り、線香(せんこう)を持ってお参りにきた子どもたちにお菓子(かし)を配(くば)ります。

駒ヶ林左義長(こまがばやしさぎちょう)

長田区(ながたく)にある駒ケ林神社(こまがばやしじんじゃ)では、988年(ねん)(永延(えいえん)2年)に始(はじ)められたという左義長(さぎちょう)(とんど)という行事(ぎょうじ)が行(おこな)われていました。
左義長については、古(ふる)い記録(きろく)にも残(のこ)されています。正月15日に、竹(たけ)を燃(も)やして爆発(ばくはつ)させ、その大きな音(おと)で、鬼(おに)を追(お)い払(はら)っていたようです。

その後、左義長はだんだんと派手(はで)になっていきます。
丸太(まる)たの木材(もくざい)をくんで担(かつ)ぎ棒にし、その上に青竹(あおだけ)をたて、ササやワラでまいてサカキをかざり、高さ20メートル以上もある「お山」を3基(き)作(つく)ります。
そのうちの1基は、勝負(しょうぶ)の審判(しんぱん)をする行司役(ぎょうじやく)です。
残(のこ)りの2基で、東西(とうざい)の村(むら)に分(わ)かれ、倒(たお)し合(あ)いをして争(あらそ)いました。

左義長は「駒ヶ林のけんか祭り」ともいわれ、駒ヶ林の浜辺(はまべ)には各地からの見物(けんぶつ)の人でうまるほどでした。
しかし、祭りで争(あらそ)う村(むら)がなくなったことや、浜(はま)が次第(しだい)に埋(う)め立(た)てられて左義長をする場所がなくなったことなどから、1959年(昭和(しょうわ)34年)1月(がつ)15日(にち)を最後(さいご)に中止(ちゅうし)されました。
左義長は、1993年(平成(へいせい)5年)のアーバンリゾートフェアなどで復活(ふっかつ)したこともあります。
また、長田区(ながたく)にある二葉小学校(ふたばしょうがっこう)の創立(そうりつ)70周年(しゅうねん)を記念(きねん)して、2000年(平成12年)1月15日には、二葉小学校のグランドで左義長が行われました。
この時の左義長には、子どもたちに伝統行事(でんとうぎょうじ)を伝え、街の人々に元気(げんき)を取(と)りもどしてほしいとの願(ねが)いが込(こ)められていました。

左義長は、他の区でも、毎年正月のしめなわや書(か)きぞめなどを、くみあげた竹(たけ)の中に入れて焼(や)き、新しい年の無病息災(むびょうそくさい)を願って行われています。

駒ヶ林左義長の写真

車大歳神社(くるまおおとしじんじゃ)の翁舞(おきなまい)

須磨区(すまく)にある車大歳神社(くるまおおとしじんじゃ)は、646年(ねん)(大化(たいか)2年)につくられたといわれる歴史(れきし)ある神社です。
翁舞(おきなまい)は、この車大歳神社で、毎年(まいとし)1月(がつ)14日(にち)におこなわれます。
その年(とし)の豊作(ほうさく)をいのり、前の年の実(みのり)に感謝(かんしゃ)するための儀式(ぎしき)で、神さまのために踊(おど)りが演(えん)じられます。
車大歳神社の翁舞(おきなまい)は、「露払(つゆはらい)」「翁」「三番叟(さんばそう)」「父(ちち)の尉(じょう)」という四つの部(ぶ)で構成(こうせい)されています。
全国的(ぜんこくてき)に古くから伝わっている翁舞の、さらに古い形(かたち)で行いる、貴重(きちょう)な踊りとして国の重要無形民族文化財(じゅうようむけいみんぞくぶんかざい)に選(えら)ばれています。

垂水海神社秋(たるみかいじんじゃあき)まつり

海神社(かいじんじゃ)は海(うみ)の神様(かみさま)として知(し)られています。
垂水(たるみ)区のJR、山陽電車(さんようでんしゃ)の垂水駅(えき)のすぐ近(ちか)くにあり、「わたつみじんじゃ」ともいいます。
昔(むかし)、神功皇后(じんぐうこうごう)が、戦(いくさ)に勝(か)って帰(かえ)ってくる途中(とちゅう)、垂水の沖(おき)で嵐(あらし)にあった時に、嵐から神功皇后を守ってくれた神様たちを祭(まつ)ったのが、海神社だといわれています。
秋(あき)まつりは、毎年(まいとし)10月(がつ)10日(にち)、11日、12日に行われます。
そのうち12日には、みこしをのせた船(ふね)「御座船(ござぶね)」で海にのりだす「海上渡御(かいじょうとぎょ)」という儀式(ぎしき)が行われています。
このお祭りは、昭和(しょうわ)の初期(しょき)に始まり、航海の安全と漁業(ぎょぎょう)が栄(さか)えることを願うまつりです。

海神社(かいじんじゃ)のホームページへ(外部リンク)

海神社の写真

長田神社古式追儺式(ながたじんじゃこしきついないき)

長田区(ながた)にある長田神社(じんじゃ)は、神戸(こうべ)の代表的(だいひょうてき)な神社のひとつです。
古式追儺式(こしきついないき)は、長田神社に昔(むかし)から伝(つた)えられている行事(ぎょうじ)です。
毎年(まいとし)2月(がつ)の節分(せつぶん)の日に、悪(わる)い鬼(おに)を追(お)いはらって、次(つぎ)にやってくる新しい年の幸(しあわ)せと健康(けんこう)を願(ねが)います。この日(ひ)の午後(ごご)から夕方(ゆうがた)まで、7匹(ひき)の鬼(おに)が松明(たいまつ)をかざして、神殿(しんでん)を踊(おど)りながら回(まわ)ります。

鬼が持っていた松明の燃(も)えた後の残(のこ)りを家の入口(いりぐち)につるしておいて、厄除(やくよけ)にするならわしもあります。
珍(めず)しく、また古(ふる)くからの形(かたち)が伝えられていて貴重(きちょう)であることから、今では全国的(ぜんこくてき)に有名(ゆうめい)な行事になりました。