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更新日:2019年11月1日

こうべキッズ百科:文化(神社・寺院)

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湊川神社(みなとがわじんじゃ)

~南北朝期(なんぼくちょうき)(中世(ちゅうせい))のヒーロー「楠木正成(くすのきまさしげ)」最期(さいご)の地!~

湊川神社は1872年(ねん)(明治(めいじ)5年)、明治天皇(てんのう)によって建(た)てられました。
楠木正成(くすのきまさしげ)や、その子(こ)どもの正行(まさつら)など、17名(めい)がまつられています。

楠木正成は、1336年(延元元年(えんげんがんねん))、湊川の戦(たたか)いで足利尊氏(あしかがたかうじ)に敗(やぶ)れ、今(いま)の湊川神社がある場所(ばしょ)で亡(な)くなったといわれています。

正成の墓(はか)は、もとはこの近(ちか)くの畑(はたけ)の中(なか)に建てられた、小(ちい)さな塚(つか)といわれています。
後(のち)に、水戸黄門(みとこうもん)として有名(ゆうめい)な徳川光圀(とくがわみつくに)によって、石(いし)の碑(ひ)が建てられています。
碑には、徳川光圀が書(か)いた「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」という八文字(はちもじ)が刻(きざ)まれています。

光圀は実際(じっさい)には、神戸(こうべ)に来(き)ていませんが、1692年(5年)、助(すけ)さんとして知(し)られている佐々介三郎宗淳(さっさすけさぶろうむねあつ)が、この湊川にやってきて、碑をたてる工事(こうじ)の監督(かんとく)をしました。

この碑の横(よこ)には、1955年(昭和しょうわ30年)に徳川光圀の銅像(どうぞう)も建てられました。

湊川神社のある場所の「多聞通(たもんどおり)」や、近くの「橘通(たちばなどおり)」、「楠町(くすのきちょう)」は、楠木正成に関係(かんけい)があることからつけられた地名(ちめい)です。

また、湊川神社のことも神戸の人(ひと)は「楠公(なんこう)さん」と親(した)しみをこめてよんでいます。

※宝物殿で、「ひょうごっ子ココロンカード」が利用できます。

【連絡先】
〒650-0015 中央区多聞通3-1-1
TEL 078-371-0001

湊川神社のホームページへ(外部リンク)

湊川神社の写真1 湊川神社の写真2

湊川神社の写真3 湊川神社の写真4

湊川神社の写真

生田神社(いくたじんじゃ)

~源平(げんぺい)合戦(かっせん)の舞台(ぶたい)となった生田(いくた)の森(もり)~

生田神社は、三宮(さんのみや)でも特(とく)にぎやかな街(まち)の中(なか)にあります。10世紀(せいき)ごろからすでにあったことがわかっている、歴史(れきし)のある古(ふる)い神社です。

昔(むかし)は、神社に税(ぜい)をおさめる家(いえ)のことを、神戸(かんべ)といっていました。生田神社の神戸が近(ちか)くにあり、これがいまの市(し)の名前(なまえ)「神戸(こうべ)」のもとになっています。

神社はもともと、JR新神戸駅(しんこうべえき)の北側(きたがわ)の砂山(すなやま)にありました。
いつのころか洪水(こうずい)がおこり、そのときに松(まつ)の木(き)といっしょにおし流(なが)されてしまい、いまの場所(ばしょ)に移(うつ)ったと伝わっています。
それ以来(いらい)、生田神社の神様(かみさま)は、「松は頼(たよ)りにならない」と言(い)って、松が嫌(きら)いになったので、いまでも生田神社の中に松は1本(ぽん)もありません。
正月(しょうがつ)にも「門松(かどまつ)」をたてず「杉(すぎ)かざり」をたてています。

源平(げんぺい)一ノ谷(いちのたに)の合戦(かっせん)や湊川(みなとがわ)の戦(たたか)いなど、古(ふる)くから、しばしば戦(いくさ)の舞台(ぶたい)になっています。これは、昔(むかし)は神社の周(まわ)りに「生田の森(もり)」という森が広(ひろ)がっていたので、戦(たたか)うときの作戦(さくせん)で、利用(りよう)しやすかったからだと思(おも)われます。

阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)では、本殿(ほんでん)が屋根(やね)に押(お)しつぶされるなど、大(おお)きな被害(ひがい)をうけました。
しかし、いまではすっかりもとに戻(もど)り、正月(しょうがつ)には身動(みうご)きできないほどの人でにぎわいます。

生田神社のホームページへ(外部リンク)

生田神社の写真1 生田神社の写真2

長田神社(ながたじんじゃ)

~古代(こだい)の物語(ものがたり)に出(で)てくる由緒(ゆいしょ)のある神社(じんじゃ)~

長田(ながた)神社は、生田神社(いくたじんじゃ)、湊川神社(みなとがわじんじゃ)とならぶ、神戸の代表的(だいひょうてき)な神社のひとつです。

神社の敷地(しきち)は、船(ふね)の先(さき)の方(ほう)を北(きた)にむけたような形(かたち)をしています。
昔(むかし)、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮(ちょうせん)に兵(へい)を出(だ)した時(とき)、海(うみ)の上(うえ)で船(ふね)が進(すす)まなくなり、その時に、船を守(まも)ってくれた神様(かみさま)をまつるためにつくられた神社だからだと伝(つた)えられています。

明治(めいじ)のころには、氏子(うじこ)から納(おさ)められた多(おお)くのにわとりが放(はな)し飼(か)いにされていたことから、外国人(がいこくじん)から「チキンテンプル」とよばれていました。

2月(がつ)の節分(せつぶん)の日(ひ)に行(おこな)われる追儺式(ついなしき)はとくに有名(ゆうめい)です。悪(わる)い鬼(おに)を追(お)いはらって、次(つぎ)にくる新(あたら)しい年(とし)の幸せ(しあわ)せと健康(けんこう)を願(ねが)う行事(ぎょうじ)で、古く室町時代(むろまちじだい)から伝わっています。追儺式が神社で行われるのは珍(めず)らしく、また古(ふる)い形(かたち)も守られて伝えられているので、今では全国的(ぜんこくてき)に有名な行事になりました。

※宝物庫(ほうもつこ)で、「ひょうごっ子ココロンカード」が利用できます。

【連絡先】
〒653-0812 長田区長田町3-1-1
TEL 078-691-0333

長田神社(ながたじんじゃ)のホームページへ(外部リンク)

長田神社の写真1 長田神社の写真2

長田神社の写真3

太山寺(たいさんじ)

~神戸市内唯一(こうべしないゆいいつ)の国宝建物(こくほうたてもの)(本堂(ほんどう))があるお寺(てら)~

西区(にしく)にある太山寺(たいさんじ)は、716年(ねん)(霊亀(れいき)2年)ごろに建(た)てられたといわれる、古(ふる)いお寺(てら)です。
寺の言(い)い伝(つた)えによると、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が人々(ひとびと)を救(すく)うためにお寺を建てることを思(おも)いつき、長男(ちょうなん)の定恵(じょうえ)がお寺を建て、孫(まご)の宇合(うまかい)が広(ひろ)げたそうです。

奈良(なら)時代から、天皇(てんのう)や貴族(きぞく)をはじめ、多(おお)くの人々(ひとびと)の信仰(しんこう)を集(あつ)めてきました。鎌倉時代(かまくらじだい)から室町(むろまち)時代にかけて、もっとも栄(さか)えていました。

建物(たてもの)、絵画(かいが)、古文書(こもんしょ)など、古くて貴重(きちょう)な財産(ざいさん)の多さは、兵庫県(ひょうごけん)で有数(ゆうすう)です。
中(なか)でも、1300年ごろには、すでに完成(かんせい)していたと思(おも)われる本堂(ほんどう)は、1955年(昭和(しょうわ)30年)に国宝(こくほう)に指定(してい)していされました。
国宝に指定された建物は、神戸市内(こうべしない)ではここだけです。
また安土桃山時代(あずちももやまじだい)の美(うつく)しいお庭(にわ)として、名勝(めいしょう)に指定された安養院庭園(あんよういんていえん)もここにあります。

太山寺の写真1 太山寺の写真2

太山寺の写真3 太山寺の写真4

太山寺の写真5 太山寺の写真6

太山寺の写真7

安養院庭園(あんよういんていえん)

~大小(だいしょう)の石組(いしぐみ)が全国的(ぜんこくてき)にも珍(めず)しい庭園(ていえん)~

安養院庭園(あんよういんていえん)は太山寺(たいさんじ)の子院(しいん)である安養院というお寺(てら)のなかにある庭園です。
美(うつく)しいお庭(にわ)として、国(くに)の名勝(めいしょう)に指定(してい)されています。

庭園は安土・桃山時代(あづち・ももやまじだい)に造(つく)られたと考(かんが)えられ、神戸(こうべ)にある庭園の中でも非常(ひじょう)に古いものです。
水(みず)を使(つか)わないで、石(いし)や土(つち)や砂(すな)を組(く)み合(あ)わせて、山(やま)や水をあらわす「枯山水(かれさんすい)」という方法(ほうほう)でできています。
庭園内には、いろいろな種類(しゅるい)の石組(いしぐみ)が作(つく)られており、全国的(ぜんこく)にも珍(めずら)しいものです。

安養院庭園の写真1 安養院庭園の写真2

如意寺(にょいじ)

~谷間(たにま)にひっそりたたずむ名刹(めいさつ)~

西区(にしく)にある如意寺(にょいじ)は、寺(てら)に伝(つた)わる古(ふる)い記録(きろく)によると、645年(ねん)(大化元年(たいかがんねん))に法道仙人(ほうどうせんにん)が開(ひら)いたとされています。
寺が一番さかんだったときの、境内(けいだい)の広(ひろ)さは、東西(とうざい)1744メートル、南北(なんぼく)1308メートルあったと伝(つた)えられています。

本堂(ほんどう)は失(うしな)われましたが、鎌倉時代(かまくらじだい)ごろに建(た)てられた「阿弥陀堂(あみだどう)」と、室町時代(むろまちじだい)の中(なか)ごろに建てられた「文殊堂(もんじゅどう)」、1385年(至徳(しとく)2年)建立(こんりゅう)と記(しる)されている「三重塔(さんじゅうのとう)」などが建っています。

阿弥陀堂、文殊堂は1956年(昭和(しょうわ)31年)から、修理(しゅうり)の工事が行われました。
また、1959年(昭和34年)からは、三重塔の屋根のふきかえ工事も行われました。それぞれの修理は1960年(昭和35年)に完成(かんせい)しています。

最近(さいきん)でも、1993年(平成(へいせい)5年)から1997年(平成9年)にかけて、三重塔の修理が行われました。このように文化財(ぶんかざい)の建物(たてもの)を残(のこ)すには定期的(ていきてき)に修理する必要(ひつよう)があります。

如意寺から東(ひがし)へ500メートルの所(ところ)にある子院(しいん)の福聚院(ふくじゅういん)には、宮本武蔵(みやもとむさし)が作ったと伝えられている庭園(ていえん)もあります。

如意寺の写真1 如意寺の写真2

如意寺の写真3

福祥寺(ふくしょうじ)(須磨寺(すまでら))

~源平(げんぺい)合戦(かっせん)の物語(ものがたり)が偲(しの)ばれるお寺(てら)~

須磨区(すまく)にある「福祥寺(ふくしょうじ)」は、一般(いっぱん)には須磨寺(すまでら)とよばれ、親(した)しまれています。

和田岬(わだみさき)の海中(かいちゅう)から、漁師(りょうし)が引(ひ)き上(あ)げた聖観音像(しょうかんのんぞう)を、886年(ねん)(仁和(にんな)2年)、会下山(えげやま)にあった寺から、今の場所に移(うつ)して新(あたら)しくまつったのが、福祥寺のはじまりといわれています。

「当山歴代(とうざんれきだい)」は、南北朝時代から江戸時代(えどじだい)ごろまでの出来事(できごと)を、その時の福祥寺の住職(じゅうしょく)がかきついできた古(ふる)い記録(きろく)で、歴史上(れきしじょう)、貴重(きちょう)なものとして注目(ちゅうもく)されています。
この他(ほか)にも、源平(げんぺい)の合戦にゆかりのあるものも多(おお)く、これらは「宝物殿(ほうもつでん)」に納(おさ)められています。

また、「須磨琴(すまごと)」一弦琴(いちげんきん)も有名で、現在では保存会(ほぞんかい)もつくられ、後(のち)の時代(じだい)に伝えていくための努力(どりょく)がされています。

【連絡先】
〒654-0049 須磨区須磨寺町4-6-8
TEL 078-731-0416
FAX 078-731-6859

須磨寺のホームページへ(外部リンク)

福祥寺(須磨寺)の写真1 福祥寺(須磨寺)の写真2

福祥寺(須磨寺)の写真3 福祥寺(須磨寺)の写真4

福祥寺(須磨寺)の写真5 福祥寺(須磨寺)の写真6

関帝廟(かんていびょう)

~三国志(さんごくし)のヒーロー関羽(かんう)を祀(まつ)ってるよ~

中央区(ちゅうおうく)にある関帝廟(かんていびょう)は、関帝(=中国(ちゅうごく)の三国時代(さんごくじだい)の武将(ぶしょう)の関羽(かんう))をまつっています。

神戸(こうべ)では、ここだけが中国式(ちゅうごくしき)につくられたお寺で、神戸に住(す)んでいる華僑(かきょう)の人たちの信仰を集めています。

もとは、1892年(ねん)(明治(めいじ)25年)に「移情閣(いじょうかく)」を建(た)てたことで有名(ゆうめい)な呉錦堂(ごきんどう)が、大阪(おおさか)にあった長楽寺(ちょうらくじ)という古(ふる)い寺を神戸に移(うつ)してきたのがはじまりです。

長楽寺は第2次世界大戦(だいにじせかいたいせん)で焼(や)けてしまいましたが、1947年(昭和(しょうわ)22年)に、中国の人たちがお(金)かねを出(だ)し合(あ)い、同(おな)じ場所に関帝廟を作りました。

関帝廟の大きな行事(ぎょうじ)は、毎年(まいとし)、旧暦(きゅうれき)(昔のこよみ)の盂蘭盆(うらぼん)にあたる日に行われる「水陸普度勝会(すいりくふどしょうえ)」です。
寺の中には「冥宅(みんてい)」という紙(かみ)で作られた豪華(ごうか)な飾(かざ)り物(もの)や、家(いえ)の模型(もけい)が並(なら)べられ、太鼓(たいこ)や鐘(かね)などが打(う)ち鳴(な)らされてにぎわいます。

【連絡先】
〒650-0011 中央区下山手通2-13-9
TEL 078-392-2711
FAX 078-392-2811

関帝廟の写真

水陸普度勝会(すいりくふどしょうえ)

~中国(ちゅうごく)のお盆(ぼん)の行事(ぎょうじ)~

水陸普度勝会(すいりくふどしょうえ)とは、「関帝廟(かんていびょう)」で毎年、旧暦(きゅうれき)の盂蘭盆(うらぼん)にあたる日に行われる、お盆(ぼん)の行事(ぎょうじ)です。
盂蘭盆とは、祖先(そせん)のお墓参(はかまい)りをする日(ひ)です。

水陸普度勝会は、紙(かみ)でできた家(いえ)「冥宅(みんたく)」をかざり、その家の模型(もけい)のなかにも紙でできた大(おお)きな車(くるま)や豪華な応接(おうせつ)セットや家具(かぐ)を置(お)いて、祖先に感謝(かんしゃ)し、また浄土(じょうど)(仏(ほとけ)さまのいる国(くに))でこのような生活(せいかつ)を送(おく)ってほしいと願(ねが)う行事です。
関帝廟では、1934年(ねん)(昭和(しょうわ)9年)から行われています。

「冥宅」は、中国福建省(ちゅうごくふっけんしょう)から来た専門(せんもん)の職人(しょくにん)が、竹(たけ)のほね組(く)みに色紙細工(しきしさいく)を貼(は)りあわせて作(つく)ります。

この行事の間(あいだ)は、お経(きょう)とともに五種類(ごしゅるい)の楽器(がっき)が鳴らされて、とてもにぎやかです。盂蘭盆が終(お)わった後には、日づけが変わる前に「送(おく)り火(び)」を行わなければ祖先の魂(たましい)が浄土に戻れないと伝えられていることから、これらの「冥宅」は、全すべて関帝廟の前に移(うつ)されて、その日のうちに次々と燃やされます。

水陸普度勝会の写真

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