神戸百景探訪 作品No.71〜80

旅人のプロフィール

71.神戸中央郵便局(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
神戸中央郵便局

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1929(昭和4)年、それまでの神戸郵便局を「神戸中央郵便局」に改称し、東京、大阪に次ぐ日本で3番目の中央郵便局となりました。1949(昭和24)年、生田区元町6丁目から同区栄町6丁目に移転、現在に至っています。

撮影場所
中央区相生町1(撮影:2009/7/4)
神戸中央郵便局のルーツをたどれば、開設されたのは1872(明治4)年、名称は「神戸郵便役所」だったそうです。1868年1月1日(慶応3年12月7日)の神戸開港から、はや4年後には存在していたことになります。

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72.進水式(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
進水式

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場所は、川崎重工業の神戸工場です。今回の撮影で進水したのは、パナマ船籍のばら積運搬船「LUISIA COLOSSUS」号です。この船、全長約190m、総トン数31,000t、載貨重量55,100t、定員28名だそうです。初めて、進水式を見学しました。船主の出す合図で、シャンパンボトルが船体で砕け散り、くす玉が割れ、楽団の演奏とともにたくさんの風船が舞い上がります。そして、船体はゆっくりと神戸港の水中へ。進水の合図までは、1時間近くも待ちましたが、いざ動き出すと、ものの数分で終わってしまいます。立派な船が、毎月のように、神戸の地から生まれていくことを誇りに思います。造船の歴史の1ページを体感した日となりました。

撮影場所
中央区東川崎町2(撮影:2010/1/7)
正月明けの寒い中、このセレモニーを見るために訪れた方は、数百人も。船舶ファンにとって、特に進水式は重要なイベントのひとつで、毎回、写真を撮りに来られる熱心なグループもあるそうです。

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73.新開地(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
新開地

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新開地といえば、劇場、映画館など、庶民のくらしに根付いていた大衆文化や娯楽のまちをイメージします。川西 英さんは、湊川近辺では「東山」「神戸タワー」などの画を描いています。当時、神戸タワーや劇場などが大勢の人でにぎわい、どちらかと言えば、そちらのほうが新開地らしいイメージを与えます。では、どうして、この新開地を1961(昭和36)年に描き直すことにしたのでしょうか。理由は他にありました。それは「神戸百景」の依頼主である兵庫新聞(旧神港新聞)が、ここにあったからではないでしょうか。画の中にも社屋が描かれています。この画は、新開地を描くのではなく、兵庫新聞社を描いたと私は見ています。

撮影場所
兵庫区新開地5(撮影:2009/4/28)
兵庫新聞社は現存していません。かつての所在地は、現在のボートピア神戸新開地(競艇場外発売場)のあたりでした。

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74.三角公園(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
三角公園

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川西画が描かれた1952(昭和27)年当時、神戸でいちばん華やかだったといわれる新開地です。市電新開地駅として利用されていた三角公園操車場は、1965(昭和40)年に廃止されています。現在は、地下街の換気塔が建っているのみで、人が立ち入ることはできないようです。自動車やバスが行き交う交差点の一角で、ひっそりとしています。

撮影場所
兵庫区大開通1(撮影:2009/4/28)
戦前から昭和30年代半ばにかけて、「東の浅草、西の新開地」といわれるほど繁栄しました。映画館や劇場が多く、市民が「ええとこ、ええとこ、しゅーらっかん♪」とうたい愛した聚楽館(しゅうらくかん)もありました。神戸高速鉄道が開業したのは1968(昭和43)年。同じ年、それまで新開地のランドマークだった神戸タワーが撤去され、1978(昭和53)年に聚楽館が閉鎖。街が大きく移り変わった時代でした。

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75.柳原十日戎(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
柳原十日戎

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百景の中で、撮影日に気をつかうのが祭りです。何せ、1年を通して1回きりの開催がほとんどです。雨でも降ろうものなら、来年まで待たなければなりません。今回は事前に下見をしました。川西画で描かれている場所の特定と、当日の立ち位置などを確認して帰りました。十日戎当日、調べておいた場所へ行ってみると、予想よりも露店がせり出して並んでいました。商売の邪魔にならないよう撮影を続けていると、露店の人が「にいさん、これ食べると目が良くなって、いい写真撮れるよ」。手渡しでくれたのが豆。豆を食べると御利益があるというのです。邪魔をしないよう気をつけていたのですが、反対に声をかけられてシャッターチャンスを逃すところでした。

撮影場所
兵庫区西柳原町5-20(撮影:2010/1/10)
「柳原のえべっさん」でおなじみ、蛭子(ひるこ)神社の初春の十日えびす大祭です。毎年、1月9日は宵えびす、10日は本えびす、11日は残り福。この3日間は、福を授かる約40万人の参詣者でにぎわい、神戸中央卸売市場からの大マグロやタイなどが奉納されることでも有名です。

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76.平野祥福寺(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
平野祥福寺

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神戸にあるお寺というより、山を背景に、京都洛北のような佇まいが感じられます。庭もきれいに手入れされています。こんなすばらしいお寺があることを最近まで知りませんでした。祥福寺のある平野は、神戸で最も古くから栄えた地域です。このあたりは川西 英さんもよく描いており、百景の番外として「石井五十段」「氷室神社」「天王谷」の3作品があります。

撮影場所
兵庫区五宮町22-17(撮影:2009/3/11)
1942(昭和17)年の神戸新聞に、おもしろい記事が載っていました。見出しは「弾丸列車・新神戸駅、世界一の防空地下停車場、平野から布引へ変更」です。何の記事だかおわかりでしょう。弾丸列車とは、現在の新幹線のことで、当時は東京〜下関を9時間で結ぶことを想定していたようです。神戸では、六甲山麓を潜る日本一の大トンネルのコースがとられ、その玄関口となる新駅を平野祥福寺北側に新設する計画があったそうです。ところが、太平洋戦争勃発で、神戸港との連絡に最も便利なところに、世界一の防空地下停車場を建設する計画が具体化し、布引川崎邸跡で地質検査を行っている、という内容でした。このお寺の裏に、新幹線の新神戸駅ができる計画があったこと自体、ご存じの方は少ないのではないでしょうか。

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77.千年家(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
千年家

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「箱木家住宅」は室町時代に建てられ、現存する民家としては日本最古のひとつと推定されています。1967(昭和42)年、国の重要文化財に指定され、通称「箱木千年家」と呼ばれています。1977(昭和52)年まで住居として使用されていたそうですが、呑吐ダム(つくはら湖)の建設により旧所在地が水没するため、2年かけて現在地に移築されると同時に、江戸時代中期以前の姿に復元されたものです。

撮影場所
北区山田町衝原1-4(撮影:2009/11/16)
千年家前の駐車場に車をとめ、入り口事務所のガラス戸を開けると、入場券を発券してもらえます。平日に訪れたため、私のほかに来場者もなく、あたりはシーンと静まりかえっていました。この家、外から見ると軒が低いので、茅葺き屋根がとても大きく感じられます。駐車場から見ると、竪穴式住居のようにも見えます。"千年家"とは築後千年を想像しますが、実際には「とても古い家」という意味合いで、千年家と呼ばれているそうです。

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78.有馬(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
有馬

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撮影ポイント確認のため、有馬温泉駅前の土産物店・吉高屋さんのご主人にお話を伺いました。川西画にある右手の建物は、現在、公共の外湯「金の湯」の足湯付近です。左手の土産物店は「有馬玩具博物館」あたりと解説していただきました。その先の街並みは、当時の面影を残したままです。

撮影場所
北区有馬町(撮影:2009/8/6)
現在、吉高さんは「有馬温泉うんちく情報」というサイトを運営されていて、有馬温泉の歴史・文化に関する興味深いお話や古い写真について、いろいろな資料を調べあげ、公開されています。

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79.有馬炭酸泉(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
有馬炭酸泉

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有馬の温泉街を見下ろす炭酸泉源公園の中に位置しています。私が訪れた時は、人も少なく、ひっそりとしていました。小さなほこらの中に丸い井戸のようなものがあり、ここから炭酸水が湧き出ています。炭酸泉源は透明な銀泉で炭酸を含んでおり、有馬の銘菓「炭酸せんべい」はこの炭酸泉を利用して作られたそうです。

撮影場所
北区有馬町(撮影:2009/8/6)
炭酸泉源公園には、蛇口をひねると炭酸泉が飲めるところがあります。私も体験してみました。ひとくち含んでみましたが、想像していたサイダーのようなものとは程遠く、錆のような独特の味がしました。

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80.千刈水源池(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
千刈水源池

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ここは百景中、神戸の中心部からいちばん遠い場所です。三宮から1時間以上もかかります。もより駅は、JR福知山線の道場駅。訪れた時は、ちょうど千苅桜まつりが開催されていました。千苅ダムは、神戸市への上水道供給を目的とした市内最大のダムで、堰堤は1919(大正8)年竣工。高さ約42m、17門のスライドゲートは日本最古だそうです。

撮影場所
北区道場町生野(撮影:2010/4/7)
川西画では、ダム周辺に桜の木々が描かれています。それを狙って桜のシーズンに訪れたのですが、堰堤周辺では、桜を見ることはできませんでした。画にある川の水量、少なめですよね。当日は晴れていましたが、ダムに近づくにつれて、なぜか小雨まじりの様相に。ダムが視界に入った瞬間、納得しました。ダムからの放流で、ものすごい水しぶきが降り注いでいたんです。水量も川からあふれんばかりでした。ダム直下では、レインコートをかぶらないと、びしょ濡れになります。

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