神戸百景探訪 作品No.31〜40

旅人のプロフィール

31.ミス コウベ発表会(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
ミス コウベ発表会

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戦前の「みなとの女王」に始まり、戦後の「ミス神戸」「クイーン神戸」「こうべシークイーン」など、「みなとの祭」などにひときわ華やぎを添えていた皆さんの存在も、ひとつの過ぎ去った時代の風景でしょうか。「ミス神戸」は1947(昭和22)年8月に始まり、第1回に選ばれたのは、後に元プロ野球選手・プロ野球監督の別当 薫さん(1920−1999)と結婚された別当c子さんでした。

撮影場所
中央区楠町4-1-1 市立中央体育館
(写真:1970/10 第38回みなとの祭にて 井川宏之さん提供写真)
いろいろ調べてみましたが、川西 英さんが描いた年の「ミス神戸」が誰なのかは分かりませんでした。このあとも調査を続けて、人物を特定してみたいと思っています。今回は提供していただいた写真を使用しましたが、機会があれば、私なりに表現できる一景を撮影したいなとも考えています。

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32.花のプリンセス(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
花のプリンセス

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「31.ミスコウベ発表会」で提供していただいた写真を見ると、式典名称に「ミス神戸」と「花のプリンセス」の両方があり、「みなとの祭」で同時に発表されていたことがわかります。神戸百景の画集の中で「32.花のプリンセス」にエッセーを寄稿されているのは、1960(昭和35)年度花のプリンセスに選ばれたマリア・リグレスティ(イタリア)さんです。エッセーの中で「フラワープリンセスとして私のさまざまな思い出は深く、私の一生に刻み込まれて残るでしょう。また将来、神戸市のために私はよろこんでお仕事を手伝いたいと思います」と書かれています。その後のマリア・リグレスティさんは、ラジオ関西で、外国人DJの草分けとして活躍されました。

撮影場所
中央区中山手通5-3-1 相楽園・菊花展
(撮影:2007/11/3)
川西画の場所は、現在の相楽園会館のあたり、季節は菊花展のシーズンでしょうか。川西 英さんの頃はまだ、1963(昭和38)年竣工の相楽園会館や、同年移築の旧ハッサム邸、同年完成の茶室の浣心亭、1980(昭和55)年移築の船屋形(重要文化財)などもなく、園内は今よりも広々としていたようです。今回の撮影は、11月の菊花展で、神戸山手短期大学・表現芸術学科の皆さんが演じる「ヤマテノキツネ」の一場面です。

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33.みなとの祭(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
みなとの祭

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「みなとの祭」は、1933(昭和8)年11月に始まり、一時中断。戦後、1947(昭和22)年10月に復活しました。1950(昭和25)年には懐古行列も復活、その翌年には国際大行進が加わり、第1回当時のにぎわいを取り戻しました。花電車が街を駆け巡り、民族衣装を身にまとった神戸在住の外国人が行進。懐古行列では、平清盛や楠木正成など神戸ゆかりの人物に扮した市民が、華やかに練り歩きました。まさに市民参加型まつりの原型でもありました。そして1971(昭和46)年に「みなとの祭」と「神戸カーニバル」を統合し、現在も続く「神戸まつり」として開催されるようになりました。ちなみに、まつりのポスターは、主に神戸ゆかりの画家が描いてきました。第1回みなとの祭は、小磯良平さん。1974(昭和49)年の神戸まつりは、川西 英さんの三男・祐三郎さんの版画作品でした。

撮影場所
中央区三宮町1(撮影:2010/5/16)
神戸百景には、祭りの作品が数点登場します。どれも、一年で一日しか撮影チャンスがないものばかりです。この撮影は「第40回神戸まつり」にて。周囲のお祭り気分とは裏腹に、私は川西画を再現するための立ち位置やタイミングを図るために、祭りを楽しむ余裕がありませんでした。来年からは、楽しみながら撮影ができればいいなと感じています。

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34.消防出初め式(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
消防出初め式

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当時、出初め式は、殉難消防士の碑が設置されている湊川公園で行われていました。現在は、メリケンパークで行われています。川西画には、湊川勧業館、野外音楽堂など、懐かしい風景が並んでいます。ここには描かれていませんが、神戸タワーも新開地繁栄のシンボルとして、昭和の神戸を見つめ続けていました。

撮影場所
兵庫区荒田町1(撮影:2009/4/28)
湊川公園は1980年代前半に整備され、今の姿になりました。大正時代まで、地元の人は新開地のことを「ドテ」と呼んでいたそうです。現地を歩くと、旧湊川がつくった不思議な街並みを見ることができます。

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35.外国商社(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
外国商社

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川西画は、ジェイ・ヒル・モーガン設計、1922(大正11)年竣工の旧クレセントビルです。当時は、外資系企業のみ入居が許されていたそうです。1992(平成4)年竣工の新クレセントビルは、現在の旧居留地を代表する建物のひとつ。旧ビルのアメリカンスタイルを継承し、特に低層部のアーチは、このビルの顔となっています。これまで、ビルの前を通るたび、掲げられた万国旗を不思議な思いで見ていましたが、歴史をひも解くことによって、これもまた納得のいくものになりました。

撮影場所
中央区京町72番地(撮影:2009/4/3)
旧ビルは現存せず。旧居留地では、同じ設計者ジェイ・ヒル・モーガンによるチャータードビル(旧チャータード銀行神戸支店)が、1938(昭和13)年に完成し、現存しています。

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36.国際ロード(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
国際ロード

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川西画に、ヨーロッパ調の街並みが突然現れました。ここは有名な英国パブがあったところ。3軒のうち左が「キングス・アームス」です。"キングスアームス"とは、近衛兵をさすらしいですが、居酒屋という意味合いもあるとか。「ローストビーフといえば、キングス・アームス」と言われるくらいの名店で、その調理法は開業以来、変わらなかったそうです。震災頃までは営業されていたそうですが、今は跡形も残っていません。真中の建物は「三ツ輪屋合名会社」となっていました。右の「PLAZA Souvenir Center」について調べていますが、今のところよく分かっていません。

撮影場所
中央区加納町6(撮影:2009/4/3)
現存せず。「キングス・アームス」は、1950(昭和25)年に進駐軍将校専用倶楽部としてオープンしました。1998(平成10)年に解体されています。

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37.税関前(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
税関前

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川西 英さんは、百景のあとがきに、こう記しています。「数景は捨てがたい懐古の情から、わざと古い姿を残した。例えば、有馬温泉のべにがらの町のなごりや、ジープのいる終戦直後の街頭などである」。それにあたるのが、この景色ではないでしょうか。このあたりは、戦後、進駐軍のイースト・キャンプでした。昭和30年代までは、アメリカ第7艦隊の艦船が第6突堤あたりに入港すると、昼間から街に繰り出す水兵さんたちの姿がありました。元町界隈には外国人向けバーも多く、夜になると船に戻る水兵さんを乗せたタクシーが、突堤あたりで列をなしたようです。

撮影場所
中央区磯辺通4(撮影:2009/7/14)
フラワーロードを挟んで、左側の「旧神戸生糸検査所」(現存)と右側の「神戸税関本関庁舎」(現存)が見えます。川西画でBARの看板が出ているビルは、新神戸ホテルです。調査開始直後は、1ブロック南寄りの宗教法人の建物あたりからの眺めと推定していましたが、新神戸ホテルとその周辺写真から、現在のポイントに特定することができました。

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38.商工会議所(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
商工会議所

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これぞ川西ワールドと思わせる画。"空飛ぶ船"です。構図的におかしいなと思われるところに、海を描き、船を散りばめる。まるで、おとぎの国のような光景で描かれています。他に「25.王子動物園」も同様に、空飛ぶ船が存在します。川西画には、チャータードビル(左)、商工会議所(奥)、水上警察署(右)と、当時の代表的な建物が並んでいます。現在は、チャータードビルのみ現存しています。

撮影場所
中央区海岸通(撮影:2009/7/14)
現存せず。商工会議所は、1929(昭和4)年に建てられたもので、1987(昭和62)年に解体され、現在はNTTドコモのビルが建っています。保存運動もおこるくらい貴重な建築物だったそうです。ここは、その昔、勝海舟の築いた海軍繰練所があった場所でもあり、その記念碑が京橋交差点南側に建っています。

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39.新造船レセプション(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
新造船レセプション

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黒い船体に、白い横一本のライン、大阪商船の船のようです。川西 英さんがスケッチをした期間に、三菱重工神戸造船所(当時は一時的に違う社名でした)で竣工した大型船は、調べたところ次の4隻でした。[1]ぱなま丸(1952年3月10日竣工)、[2]はわい丸(同年4月30日竣工)、[3]めきしこ丸(同年8月12日竣工)、[4]さんとす丸(同年12月10日竣工)。画集の地図では、レセプションの場所を新港突堤付近としていたため、各船の記録を追いかけてみると、[1]は中突堤でレセプション、[2]特定できず、[3]第3突堤Nから出航と判明。そして、戦後初の移民船として、ブラジルへ移民を輸送する使命を担っていた[4]さんとす丸に着目。さまざまな記録資料から、1952(昭和27)年12月13日に 第1突堤Dで、ブラジル神戸駐在総領事などを招いて船上披露パーティーを開いていたことがわかりました。

撮影場所
中央区新港町 第1突堤(撮影:2010/08/30)
第1突堤Dについて調べようと、神戸市みなと総局の1960(昭和35)年の工事図面を見せていただきました。これにより、第1突堤Dの位置が特定でき、レセプションはここに係留中だった「さんとす丸」であろうとの判断をしました。しかし、他にも船に関しては多くの資料や情報があり、十分な調査ができていない可能性もあります。

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40.メリケン波止場(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
メリケン波止場

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川西画を見ると、小型のボートがたくさん係留されています。昔から、このあたりでは船溜まりにひしめき合う艀船(はしけぶね)を見ることができます。現在、メリケン波止場は、中突堤との間を埋め立てられ、メリケンパークとして利用されています。ここには、ホテルオークラ神戸や神戸海洋博物館が建ち、川西画のころとは、様変わりしている場所でもあります。震災により、波止場であったところが崩壊しました。その一部(約60m)は、神戸港震災メモリアルパークとして保存・公開されています。

撮影場所
中央区波止場町(撮影:2009/4/22)
メリケン波止場は、旧居留地のアメリカ領事館にいちばん近い場所にあったことから、「メリケン」と呼ばれるようになったと言われています。

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