神戸百景探訪 作品No.51〜60

旅人のプロフィール

51.元町駅(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
元町駅

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川西画のころ、JR元町駅のホームの配置は、現在とは違いました。線路を挟むようにホームが配置されていたようです。当時は、現在の1番線の南側にホームがありました。その名残は、写真をみると分かります。高架部分から、ホームを支えていた梁が張り出しているのが分かるでしょうか?またこのホームには、エスカレーターも設置されていたそうです。駅前は、戦災復興事業による区画整理のため駅南側の道路が拡張され、そこにあった商店はセットバック(後退)させられたそうです。

撮影場所
中央区元町高架通1(撮影:2011/1/18)
川西 英さんが描いた元町駅は、夕焼けがきれいですね。あまり知られていませんが、今でも三ノ宮駅や元町駅から西を眺めると、きれいな夕日を見ることができます。

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52.高架下商店街(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
高架下商店街

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漫画家・木村 紺さんの作品「神戸在住」には、この高架下商店街がよく登場します。三ノ宮駅から神戸駅まで、JR線の高架下に約2キロにわたって続く商店街のことで、魅力的なお店が軒を並べています。「神戸在住」を読むと、震災後の神戸の様子、とりわけ人々の生活を、主人公の少女の目を通して見ることができます。街の描写もすばらしく、私が神戸百景を探して歩き回ったように、漫画のひとコマひとコマを写真で再現している方がいらっしゃいます。これもまた大変な労力です。

撮影場所
中央区北長狭通2(撮影:2009/7/16)
場所を断定するための手がかりになる情報が、川西画からは得られませんでした。店名や陳列されている商品などから、何かヒントになるものはないかと探しましたが、この場所だけは皆無でした。

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53.栄町(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
栄町

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以前撮影した栄町通1丁目から西方向を見た写真は、確証が得られないままでしたが、今回、1935(昭和10)年頃に撮影された1枚の写真を手がかりに、川西画のスケッチされた場所を特定することができました。なぜ今まで特定できなかったのか、いくつか理由があります。そのひとつは「ビルの影を見ると東から西を向いているように見える」。現地に足を運べば分かりますが、栄町通では、午後になるとビル南側に影ができる時間帯があります。よって、西方向を見たものとは限定できないことが分かりました。また、旧村井銀行ビル以外で、決定的な特徴をもつビルが描かれていません。画の中に、旧第一銀行ビルが描かれていますが、かなりデフォルメされています。川西画左に描かれている英字は「DENTSU」でした。

撮影場所
中央区栄町通4(撮影:2010/7/22)
栄町通4丁目の交差点あたりで、東を眺めています。1956(昭和31)年の住宅地図によると、川西画の左手前から、電通、大成建設、空き地、第一銀行、北陸銀行、ビル、関西相互銀行、ビル、興亜火災海上、安田生命保険、映画館、日産汽船と並んでいます。川西画奥の特徴あるビルが、日産汽船(旧村井銀行神戸支店)です。震災までは中国銀行のビルでしたが、その後、取り壊されました。

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54.中突堤(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
中突堤

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今や中突堤といえば、1963(昭和38)年竣工の神戸ポートタワーが目印。川西 英さんがご健在なら、おそらくいちばんに神戸百景としてスケッチされていたことでしょう。中突堤は、メリケン波止場(現メリケンパーク)の西隣で、大正時代から建設・改修工事が続き、1938(昭和13)年竣工と伝えられています。かつては淡路島、小豆島、高知、別府などへの定期航路客船が、ポートタワー横の岸壁から出航していました。1960年代に、関西汽船の「くれない丸」や「むらさき丸」などで、瀬戸内海クルージングを楽しんだ人も多いことでしょう。特に団塊の世代あたりの方々にとっては、忘れられない青春の思い出となっているようです。

撮影場所
中央区波止場町(撮影:2013/5/25)
現在、中突堤の先端には、神戸メリケンパークオリエンタルホテルが建ち、その1〜2階部分は、外国客船も利用できる「中突堤旅客ターミナル」になっています。一方、遊覧船などの発着場となっている「中突堤中央ターミナル かもめりあ」は、1998(平成10)年竣工。震災前、「かもめりあ」のあたりは海だったそうで、埋め立てて造成された岸壁に建設されました。またポートタワーは、2010(平成22)年春にリニューアルされ、LEDを使った新たなライトアップが始まっています。

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55.回教寺院(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
回教寺院

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1935(昭和10)年竣工、J.J.スワガー設計の「神戸ムスリムモスク」です。名古屋モスクが1931(昭和6)年に建設されていますが、戦災で焼失したため、日本国内では神戸モスクが現存する最古のものとなっています。時代の生き証人として、戦災や震災にも耐え、多くの人の命と心を救ってきたのではないでしょうか。

撮影場所
中央区中山手通2丁目25-14(撮影:2009/4/12)
ここは、今も昔も変わらないところのひとつでしょう。今も山本通付近を散策すると、サリーを身にまとったインドの方をよく見かけます。この付近にインド料理の店が多いのも納得できます。

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56.県庁(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
県庁

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兵庫県警察本部前の交差点から東側を眺めると、神戸栄光教会と兵庫県公館(描画当時は県庁)が見えます。川西画にも同じように、二つの建物が描かれています。1922(大正11)年築の神戸栄光教会は、神戸を代表する教会堂のひとつ。震災で全壊し、2004(平成16)年に再建されました。兵庫県公館は、1902(明治35)年、兵庫県本庁舎として建設され、1985(昭和60)年から県の迎賓館および県政資料館として活用されています。震災では幸いにも軽度の被害で済んだそうです。

撮影場所
中央区下山手通5(撮影:2009/7/16)
撮影は、兵庫県警察本部前から。個人的には、兵庫県公館の回廊から眺める屋上庭園がすばらしいと思っています。中庭に出ると、都会の喧騒から隔離された空間で、神戸の真ん中にいるとは感じません。

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57.トア ロード(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
トア ロード

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「トアロード」、その由来にはいろいろな説があります。1908(明治41)年、現在の神戸外国倶楽部の場所に、トア・ホテルが開業しました。ホテル付近から居留地へと続く坂道は、三宮筋と呼ばれていたそうですが、このホテルができた頃から、トアロードと呼ばれるようになったという説が有力だそうです。ホテルは1950(昭和25)年に焼失し、川西 英さんがスケッチされた1952(昭和27)年頃には、存在していません。神戸らしい由来とさまざまな物語を持つトアロード。浜手と山手を結ぶこの坂道は、いつの時代も、人通りの絶えることはありません。

撮影場所
中央区北長狭通3(撮影:2009/9/24)
川西画の場所を特定する際、キーポイントとしたのが、赤い服の女の子が立っている細い路地です。1956(昭和31)年の住宅地図で見ると、トアロードは、JR高架付近から山手幹線にかけて、5カ所で細い路地と交差します。また、川西画にある○○洋行の商店名からも調査しましたが、結局のところ場所を特定することができませんでした。川西画をみると、チャイナドレスを身にまとった女性が歩いています。現在もトアロードには、チャイナドレスの専門店があります。あまり知られていないのですが、トアロード周辺は、広東省出身の華僑の方々が集まった街でもあります。

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58.山本通(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
山本通

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川西画には、手前から、1974(昭和49)年に取り壊された箙邸、1966(昭和41)年に取り壊された大阪商船三井船舶山手寮、同・神戸フランス領事館、そして、現存するシュウエケ邸、門兆鴻邸と続きます。現存するこの2邸は、どちらも明治期に神戸に住んでいた建築家ハンセルの設計で、門兆鴻邸は1895(明治28)年完成。シュウエケ邸は、1896(明治29)年にハンセルの自邸として建てられ、戦後、シュウエケ氏が買い取りました。

撮影場所
中央区北野町4(撮影:2009/5/12)
一部現存。手前の箙邸のレンガ造りの外構は、現在もマンションの外構として利用されています。これが唯一の手がかりとなりました。川西画では、異人館が独特の色合いで表現されているため、建物の色を手がかりにすることはできませんでした。

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59.北野(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
北野

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北野でも特に多くの異人館が建ち並ぶ坂道です。川西画には、左に大正初期築の旧アボイ邸、右に1892(明治25)年築の旧サッスーン邸が描かれています。この2邸は、現在も保存されています。

撮影場所
中央区北野町1(撮影:2010/2/27)
川西 英さんの頃は、ここから海が見えたのですね。現在は、三宮のビル群で海を見ることはできません。

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60.異人屋敷(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
異人屋敷

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現在は、外構えを残した状態で空き地になっています。ツタが絡まっていますが、門柱をまたいでいるアーチ状の外灯跡が残っていました。ここの空き地、夏場になると、ものすごく雑草が生い茂るのですが、よく見ると普通の雑草ではなく、南国の植物なのです。川西画に描かれている植物も、南国風ですよね。おそらく、建物は取り壊されてしまいましたが、土の中では、毎年、当時からの植物が芽をだし、生き続けているように思います。画の中、緑の屋敷(トムセン邸)跡には、現在、マンションが建っています。このマンションが建つまでは、諏訪神社に続く参道もすべて階段だったそうです。この異人屋敷前の参道、いつ登っても息が切れます。

撮影場所
中央区諏訪山町(撮影:2011/9/10)
トムセン邸の一部は、神戸市立博物館に復元展示されています。異人屋敷の麓には、諏訪山公園がありますが、グラウンド付近は、明治の頃まで池であったようです。これにはとても驚いています。

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