神戸百景探訪 作品No.41〜50

旅人のプロフィール

41.ビルの屋上(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
ビルの屋上

画像をクリックすると拡大します

川西画は、大丸神戸店から旧居留地を眺めているようです。現在、旧居留地のビルも高層化し、直接、港を見ることはできません。川西画の時代から残っているビルがあります。1935(昭和10)年竣工のニッセイ同和損害保険ビル(旧神戸海上火災保険ビル)、1922(大正11)年竣工の商船三井ビル(旧大阪商船神戸支店)、1939(昭和14)年竣工の神港ビルヂング(旧川崎汽船本社)がそうです。

撮影場所
中央区明石町(撮影:2010/9/13)
今回、特別に大丸神戸店さんのご協力を得て撮影することができました。ありがとうございました。

ページの先頭へ

42.明石町(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
明石町

画像をクリックすると拡大します

川西画は、商船三井ビル西側から、山手を眺めています。今では、ほとんど背山を見ることができませんが、旧居留地の代表的なビルに囲まれ、大正から昭和初期に建てられた建築群の遺産を肌で感じることのできる一角となっています。

撮影場所
中央区海岸通(撮影:2009/4/22)
旧居留地と呼ばれるエリアは、現在のフラワーロードから鯉川筋までの東西と、国道2号から大丸北側の道までの南北に囲まれた一帯をさします。このうち明石町は、大丸神戸店とその周辺にあたり、レトロなビルを活用したファッショナブルで洗練された街並みが続いています。

ページの先頭へ

43.生田の森(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
生田の森

画像をクリックすると拡大します

昔、生田の森に競馬場があったことを知りました。調べてみると、明治初期、生田神社の東に1周約1,100mのコースをそなえた競馬場が造られ、1877(明治10)年頃まで競馬が行われていたそうです。場所は、現在の東門街あたりです。びっくりしますよね。

撮影場所
中央区中山手通2(撮影:2009/7/14)
川西 英さんの頃には、少し山手に登れば、どこからでも生田の森が見えたようです。現在、神社はビルに囲まれ、山手から生田の森を眺めることはほとんどできません。

ページの先頭へ

44.生田祭(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
生田祭

画像をクリックすると拡大します

生田神社の生田祭神幸式は、毎年4月15日に行われます。氏子さんの住む地区を11地区に分けた輪番制で、その年の当番地区を、猿田彦神、梶原武者、獅子舞、神戸太鼓、お稚児さん、子ども御輿、神輿からなる行列が、一日かけて練り歩きます。川西画の獅子舞は、生田神社へ宮入したときの様子だと思います。今回、私は諏訪山巡行中から獅子舞に付き添って歩きましたが、これだけの伝統芸能を続けていくのは大変なことだと思います。家の軒先で舞う獅子の姿を見ていると、昭和の日本がよみがえりますね。

撮影場所
中央区下山手通1(撮影:2010/4/15)
生田祭といえば、どちらかというと勇壮な御輿などに注目が集まります。なのになぜ川西 英さんは、獅子舞を描いたのでしょうか?写真をよく見てください。法被(はっぴ)の「獅子」の文字の左下に「英」のサインが!私が川西画を見た時、川西 英さん流のユーモアで法被まで描いたのかと思っていましたが、実際には違いました。唐獅子牡丹の法被そのものが、デザインby川西 英なんです。ちなみに神輿の輿丁(かつぎ手)の法被は、小磯良平さんのデザイン。神戸の両巨匠がこんなところでコラボしていました。

ページの先頭へ

45.生田前(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
生田前

画像をクリックすると拡大します

川西 英さんは、なぜこの場所を描いたのでしょうか。百景で生田神社が描かれているのは「44.生田祭」。また「43.生田の森」でも神社の周辺を描いていますが、小さく社殿の屋根が登場するだけ。この「45.生田前」も、神社の玄関口だけ描いています。これは私の想像ですが、川西 英さんはこの3作品で、神戸の街、そして、人々の生活との関わりの中で、生田神社というものの存在を表現したかったのではないかと考えています。生田前(浜手)と生田の森(山手)からの眺めで、神戸の街と神社の空間的な位置関係を表現し、生田祭で、人々の生活と神社の精神的な位置関係をも表現した。それほどの思いがあったからこそ、この場所を取りあげられたのではないかと思うのです。川西 英さん、本当のところは、どうでしょうか?

撮影場所
中央区三宮町1(撮影:2009/4/3)
生田前にある「もん」という洋食屋さんをご存じでしょうか? 実はこのお店、川西ワールドなのです。店のメニューにはじまり、ランチョンマット、マッチ、ビフカツサンドの包装紙まで、川西 英さんのデザインです。「もん」は1936(昭和11)年創業。神戸っ子にはなじみの欧風料理を提供し続けている人気店です。常連さんの要望から誕生したともいわれるビフカツサンドは、その包装紙の魅力もあって、手みやげとしても好評です

ページの先頭へ

46.三宮センター街(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
三宮センター街

画像をクリックすると拡大します

センター街といっても、東西に長く、川西 英さんはどこをスケッチしたのでしょうか? そのヒントは「45.生田前」にありました。画の中に、センター街のアーケード入り口が描かれています。この画と同じ入り口のようです。よって、撮影は2番街の入り口としました。また現在、2番街の東西ゲートには、川西 英さんの神戸百景から「背山」と「港俯瞰」のステンドグラスが設置されています。これによっても、2番街が、川西 英さんといちばんつながりのある場所ではないだろうかと推測しました。

撮影場所
中央区三宮町2(撮影:2009/12/27)
川西画には、トレンチコートを着た男性が描かれています。スケッチは、冬場のようです。そのため、今回の撮影も12月に行いました。街ゆく人の上着は、色とりどりのダウンジャケットです。服装の移り変わりなど、画とは直接関係のない視点で考察することも、百景調査の醍醐味です。

ページの先頭へ

47.クリスマス セール(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
クリスマス セール

画像をクリックすると拡大します

百貨店の特定は、画だけでは難しく、「神戸百景」巻末の地図から、大丸であろうと判断しました。川西 英さんの描いた1961(昭和36)年のクリスマスは、母親に手を引かれる女の子の様子が描かれています。年に一度のクリスマス、今も昔も、子どもたちの楽しみは変わらないようです。

撮影場所
中央区明石町 大丸神戸店
クリスマスセールとなると、撮影するのも12月に限られます。今回は、大丸神戸店さんから提供していただいたディスプレイの写真を掲載しました。

ページの先頭へ

48.大丸前(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
大丸前

画像をクリックすると拡大します

川西画は雨模様。傘を差して歩く人々が描かれています。神戸百景の中で、雨の日だと分かるものは、この1枚だけです。どうして、この大丸前を雨の日に描いたのでしょうか。偶然でしょうか。写真家・中山岩太さんの作品に、雨の旧居留地で撮影されているものがあります。それまで、雨の居留地を撮影したものは、見たことがありませんでした。すごく斬新な印象を受けたのを覚えています。川西画を見て、その時のことを思い出しました。雨と居留地、不思議とマッチする光景です。川西 英さんも同じようなことを考えていたのかなと思うと、嬉しくなりました。

撮影場所
中央区浪花町(撮影:2010/2/26)
私も、川西画に合わせるべく、雨の日に撮影に臨みました。傘を差しながら街ゆく人、その視線も気になりながら、とりあえず撮影することができました。当時、川西 英さんは、どこからスケッチしたのでしょうか? 雨宿りできる場所からのスケッチでしょうか? 私は片手に傘を持ちながらの撮影に苦慮しました。

ページの先頭へ

49.ギフト ショップ(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
ギフト ショップ

画像をクリックすると拡大します

トアロードにある河南工藝社。分かってしまえば何ともないことですが、まさか、ここがそうだったのかと思う場所でした。当時、元町商店街から三宮センター街にかけて、ギフトショップは数多くあったと思われます。商店街の歴史について、いろいろと調べましたが、撮影ポイントの決め手となるものは出てきませんでした。ところが、ある時、画集を見ていて気がついたのです。川西画に描かれている店名は、最初、川西 英さんのユーモアで、「KAWANISHI & CO KOBE」と書かれていると思い込んでいましたが、よく見ると「KAWANAMI & CO KOBE」とも読むことができるのです。これに気がついたときは「はっ」としました。もともと、元町の中でも異彩を放つお店だと感じていましたが、当時も川西 英さんの目に留まるくらいインパクトの強いお店だったのでしょうね。

撮影場所
神戸市中央区三宮町2丁目9-7 河南ビル(撮影:2009/7/4)
今も健在の河南工藝社。神戸の"生き証人"として、トアロードで営業されています。

ページの先頭へ

50.南京街(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
南京街

画像をクリックすると拡大します

私が投げかけた疑問、この川西画が、ひとつのニュースとなって南京町を駆け抜けました。それは、まだ百景の調査を始めてまもない頃、友人に「これ、どこやろう?」と川西画を見せたことで始まったのです。友人の経営する中国料理店には、古くからのなじみ客が集まります。その場に集まった地元のご年配の方々に、川西画を見ていただきました。左側に「益○○」と描かれた店があります。南京町で「益」のつくお店と言えば、お肉屋さんの「益生號(えきせいごう)」になります。その奥に、籠に入れられた鳥が見えます。これは「鳥利商店」の店先ではないか。それから「吉兆」の看板。おそらくこの店は、今の「ぎょうざ苑」あたりにあった、とのお話でした。
皆さんの討論を整理した結果、推測は次のふたつに。益生號は、南京町広場からは東側にあります。また、建物が低かった時には、須磨の山々が見えていたとの証言も得ました。ということは、このスケッチは、南京町の東から西の方向を見て描かれたとの推測ができます。これに対し、川西画に描かれているのは、神戸の背山であろう。画の真ん中に描かれている所は、今の南京町広場のあたりで、仮設市のような所であったとの証言も得ています。このスケッチは、南京町の南から北の方向を見て描かれたとの推測もできます。
※作品表記は原題のままです。現在は、南京町として商標登録されています。

撮影場所
中央区栄町通1(撮影:2009/7/4)
取材した意見から導き出した私の見解は、南から北を見てスケッチされたものとしました。現在の海榮門(旧南楼門)あたりから、南京町広場を眺めているということです。今回は、中国料理「東光」さん、三木商店さん、うなぎ横丁さんなどのご協力を得て取材ができました。みなさん、本当にありがとうございました。

旅人のプロフィール

ページの先頭へ