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灘百選・みち②

最終更新日:2023年11月29日

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徳川道

解説文

兵庫開港により、外国人と大名行列との衝突を避けるため、西国街道の迂回路として背山に作った道が世にいう「徳川道」です。慶応3年(1867年)に着工し、約1か月の突貫工事で完成しました。石屋川で西国街道と分かれ、今の護国神社の西から山道に入ります、杣谷から森林植物園の中を通って、小部、白川、高塚山を経て証の大蔵谷で再び西国街道と合流します。約33kmの道で、現在、摩耶山裏の谷筋が「徳川道」のハイキングコースとして整備されています。

摩耶山青谷道・上野道

解説文

摩耶山の登山道で代表的なものは青谷道と上野道。青谷川に沿って登り、馬頭観音のある妙光院を左に見て間もなくすると青谷道の登山道の入り口に到達します。川沿いの道を登るうちに谷が大きく開け、しばらくすると行者茶屋に到着。行場の前の橋を渡ってかなり急な階段状の道をジグザグに登ると、仁王門を過ぎると摩耶山名物の階段があり、登りきると旧天上寺跡に到着。さらに20分程で掬星台へ。途中の鬱蒼たる森林は都会の雑踏を忘れさせてくれます。

六甲山アイスロード・シュラインロード

解説文

明治のころの六甲山頂は、厳冬期には零下14~15度まで下がり、池に分厚い氷が張り詰めました。明治17~18年頃には氷を切り出して町まで運ぶ氷店が始まり、氷を運び降ろす道がアイスロードと呼ばれました。現在はハイキング道として整備されています。今も山頂に散在する池の大半は、氷を取るために掘られた池です。シュラインロードは唐櫃道、行者道とも呼ばれ、アイスロードを登りきったところから裏六甲の唐櫃に出る道で、たくさんの野仏が立っています。

水道筋

解説文

大正時代、西宮から神戸に水道管が通され、それに沿うように畑原東から稗田を通る道ができました。それに伴い、人が集まるようになり、やがて商店街へと発展していきました。水道筋は、青谷川から東に都賀川までの6丁からなり、7つの商店街と3つの市場が集まり、450軒以上の店が軒を連ねています。周辺もあわせると約600店舗の商店があるといわれ、市内屈指の規模を誇る商店街地域となっています。(もっと灘百選)

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