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未収録作品編 作品No.33〜34

作品33.須磨浦公園

タイトルを変更し、修正または描き直した作品
作品33.須磨浦公園 / 神戸百景92.須磨浦公園

 わたしが神戸百景の中で、一番ポイント探しに苦労した場所でもあります。これまで何回となく調査をしてきました。そこでは川西画と同じ構図を再現できる場所はないとの結論を出しました。確かに、川西英さんは独自の構図にて百景を構成されていますので、写真での再現は不可能と考えています。ただし、観光ハウス花月さんへの取材を通して、スケッチのポイントは、花月前の展望台からの眺望ということで間違いなさそうです。あの展望台から西方向を見た景色だとすれば、淡路島を見ることも可能で、構図的にも合うことになります。もちろん、ロープウェイは、あとから付け足されたものとして、除外しておきます。ただし、全てをデフォルメした構図にすることが条件です。花月のマネージャーさんによりますと、子供の頃、公園内の木々も今に比べれば背も低く、展望台から淡路島を直接見ることができたとおっしゃっていました。マネージャーさんの年齢から推測しますと、40年くらい前のお話しだと思います。したがって、川西英さんがスケッチされた頃は、さらに見通しもよかったものと考えられます。
 ここ須磨浦公園のスケッチポイントについては、みなさんが現地へ足を運んで確かめてはいかがでしょうか。そして、それぞれの場所を見つけ出していただくのもよいかと思います。果たして、川西英さんは、公園内のどこからスケッチされたのでしょうか。正解は、百景を愛する方、みなさんの中にあると思います。

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作品34.舞子公園

タイトル以外に場所や対象も変更し、描き直した作品
作品34.舞子公園 / 神戸百景97.舞子
垂水区東舞子町

【撮影場所】 垂水区東舞子町 (撮影:2011/11/12)

 2011(平成23)年11月20日神戸マラソンが開催され、ちょうど、この公園前が折り返し地点となりました。日本におけるマラソンの起源を調べてみると、1909(明治42)年、大阪毎日新聞主催の「マラソン大競争」が、日本でマラソンという名称を使った初めての大会といわれているようです。湊川をスタートし、大阪までのレースだったということで、ここ神戸が発祥の地になるのでしょうか。
 さて、本題に戻りましょう。川西英さんは舞子を、神戸百景『97.舞子』でも描いています。この2作品を比較すると、神戸百景本編は、東側から移情閣を見たもの、未収録作品は西側から見ています。それ以外、両者の違いはどこにあるのかという点に注目して見ていただきたいと思います。いったい川西英さんは未収録作品のどこが気に入らずに描き替えられたのでしょうか。
 現在は、移情閣も移築され、もとあった場所は、公園と拡幅された国道2号線が通るだけの景色に変わってしまいました。移情閣とその上をいく明石海峡大橋は、現代神戸百景ともいえる情景ではないでしょうか。

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