 |
 |
 |
ジェームス山付近
(昭和12年頃) |
塩屋海水浴場
(大正時代) |
下畑の農村風景
(昭和30年代) |
 |
 |
 |
海神社海上渡御と平磯灯標
(2016提供) |
橋がかかる前の明石海峡 |
建設中の第二神明道路
(昭和38年頃) |
 |
 |
 |
垂水商店街
(昭和27年頃)
(提供:絵葉書資料館) |
歌敷山
(昭和初期) |
多聞の風景
(昭和28年頃) |
 |
 |
 |
多聞寺付近の風景
(昭和28年頃) |
多聞台と明舞団地(手前が多聞台)
(昭和41年頃) |
舞子公園
(大正時代) |
 |
 |
 |
第二神明道路と乙木ジェームス山付近
(昭和39年頃) |
東垂水沖の平磯灯標
(昭和12年頃) |
東垂水町川原谷付近
(昭和35年頃) |
 |
 |
 |
舞子ゴルフ場(現在の舞多聞地域)
(昭和54年) |
舞子公園の根上り松
(大正時代) |
舞子公園遊歩道と国道
(大正時代) |
 |
 |
 |
福田橋
(昭和8年頃) |
開発前の高が平付近
(昭和30年頃) |
星が丘住宅地
(昭和7年頃) |
 |
 |
 |
滝の茶屋付近の国道2号線
(昭和8年頃) |
万亀楼従業員記念写真 |
舞子の浜
(大正時代) |
 |
 |
 |
開発後の高が平付近
(昭和62年頃) |
山陽電車と歌敷山付近
(昭和36年頃) |
垂水駅前戦死者帰省行進 |
 |
 |
 |
舞子公園の根上り松
(昭和5年頃) |
兵庫電軌鉄道塩屋発電所付近の工事
(戦前) |
名谷インター付近の上空写真
(昭和45年頃) |
 |
 |
 |
学が丘付近
(昭和55年頃) |
舞子公園と牛車
(明治31年頃) |
塩屋町上空から鉢伏山方面を望む
(平成4年頃) |
 |
 |
 |
柏台付近
(昭和55年頃) |
青山台付近
(平成以降) |
垂水銀座通の夜景
(昭和25年)
(提供:絵葉書資料館) |
 |
 |
 |
舞子公園の根上り松と万亀楼従業員
(明治37年頃) |
下畑付近を通る第二神明道路
(昭和40年代) |
第二神明道路名谷橋
(昭和39年頃) |
 |
 |
 |
長い旅のさなかに 1
(平成28年10月)
秋田県から台湾への旅の途中に立ち寄ってくれました。フジバカマの花に約40羽のアサギマダラの群れ。毎年やってきてほしい。
(提供:正木真一郎氏) |
長い旅のさなかに 2
(平成28年10月) |
枝垂れ紅葉まっさかり
(平成28年)
私の近くの庭にみごとな紅葉でした。ここまで赤の色がみごとなもみじはなかなか見あたりません。
(提供:正木真一郎氏) |
 |
 |
 |
咲き誇る皇帝ダリア
(平成28年11月)
私の庭に11月末、みごとに咲いてくれました。12月には花を落としますが、毎年季節の訪れを感じます。
(提供:正木真一郎氏) |
雪の庭
(平成29年1月)
神戸ではほとんど見られない雪景色。夜に降った雪が庭を一味ちがった風景に変えてくれました。
(提供:正木真一郎氏) |
夕陽に船
(平成28年11月)
11月末、明石海峡に集まる船の大群。シルエットがまさに軍艦島でした。
(提供:正木真一郎氏) |
 |
 |
 |
震災時の塩屋 1
(平成7年1月)
(提供:正木氏) |
震災時の塩屋 2
(平成7年1月)
(提供:正木氏) |
震災時の塩屋 3
(平成7年1月)
(提供:正木氏) |
 |
 |
 |
震災時の塩屋 4
(平成7年1月)
(提供:正木氏) |
震災時の塩屋 5
(平成7年1月)
(提供:正木氏) |
震災時の塩屋 6
(平成7年1月)
(提供:正木氏) |
 |
 |
 |
震災時の塩屋 7
(平成7年1月)
(提供:正木氏) |
震災時の塩屋 8
(平成7年1月)
(提供:正木氏) |
下畑の田園風景
(昭和32年秋)
私が6歳の頃、当時写真好きだった父が下畑町所有のため池(乙池)の下に広がる段々畑を撮影したもの。ススキが手前に写っている。
(提供:正木真一郎氏) |
 |
 |
 |
大勢で魚釣りに行く子どもたち
(昭和35年頃の初夏)
私がまだ小学校4年生の頃、大阪から親戚が家族連れでやってきたが当時は遊ぶ道具もなかった時代なので、竹竿を担いで池へ鮒釣りに出向く様子を父が撮影してくれたもの
(提供:正木真一郎氏) |
開発途上の清玄町【空撮】
(昭和57年頃)
私がヘリコプターに乗せてもらい鉄拐山上にやってきた時、窓から見えたものは第二神明道路を挟む新興住宅の開発途上の様子。特に、真ん中には今の清玄町が見えた。
(提供:正木真一郎氏) |
孫をおんぶするおばあちゃん
(大正15年頃)
私の父のアルバムに貼られていたもので、我が家の古い土壁の自宅の庭先で、明治2年生まれの曾祖母に当時1歳の父がおんぶされている様子が写っていた。
(提供:正木真一郎氏) |
 |
 |
 |
父の小学校入学を祝う家族
(昭和5年頃)
これも父のアルバムから出てきた貴重なショット。おそらく父が小学校に入学するのを祝って誰かに記念撮影してもらったもので左端の袴姿の少女は姉であろう。
(提供:正木真一郎氏) |
神戸国際大附高前から東へイオン方面へ見た
(平成16年4月)
(提供:池上良一氏) |
塩屋北町の小学校前の道から西方面へ見た
(平成17年9月)
(提供:池上良一氏) |
 |
 |
 |
塩屋台公園の池の北側の通路
(平成18年4月)
(提供:池上良一氏) |
垂水健康公園内の桜並木
(平成20年4月)
(提供:池上良一氏) |
塩屋台公園内の池で青鷺が卵を産み育て成長させて空へ飛びたさせた 1
(平成28年6月)
(提供:池上良一氏) |
 |
 |
 |
塩屋台公園内の池で青鷺が卵を産み育て成長させて空へ飛びたさせた 2
(平成28年6月)
(提供:池上良一氏) |
上弦の月
(平成27年10月21日)
下畑町は、「光害」という被害の少ない地区である。というのも周囲は低層の住宅群に囲まれた盆地、雲の少ない日は月や星を撮影するための絶好のチャンスである。これは上弦の月となった夜の撮影。約6分間隔、4枚の写真を合成。
(提供:正木真一郎氏) |
スーパームーン
(平成27年9月27日~28日)
下畑町は、「光害」の少ない地区である。したがって、比較的雲の少ない日は月や星を撮影するための絶好のチャンス。当日はスーパームーン。27日は雲の量が多かったが、28日3時過ぎには雲がとれ13分間隔で撮影した4枚の写真を合成。
(提供:正木真一郎氏) |
 |
 |
 |
桜花爛漫の公園
(平成28年4月1日)
下畑市民公園(ちびっこ広場)に咲き乱れる桜。須磨や明石の桜は有名であるが垂水では隠れたる桜の名所。「知る人ぞ知る」と言われるここの公園の桜はつぼみの頃から散り終えるまでがまさに絶景の連続。10月の秋祭りになるとこの公園の土俵では「相撲教室」が開催される。
(提供:正木真一郎氏) |
彼岸花咲き乱れる田舎の風景
(平成27年9月1日)
いまだ田園風景の残る下畑町。秋の訪れとともに田や畑の周囲にはとんぼや蝶が飛び交い、その足元にはあざやかな赤色の花を咲かせた曼殊沙華が田舎の風景に溶け込んでいる。
(提供:正木真一郎氏) |
根上がりの松
(昭和34年頃)
枯れる前の根上がり松。下駄履きがなつかしい。現在この松はありません
(提供:立花昭太郎氏) |
 |
 |
 |
語らい
(昭和35年頃)
この頃は、多聞は50軒ほどの小さな集落です。
場所:南多聞台から本多聞方面
(提供:立花昭太郎氏) |
農地
(昭和29年頃)
細い道。豊かな田、そして一部茅葺があります。
場所:本多聞1丁目 第2神明から本多聞方面
(提供:立花昭太郎氏) |
松の落し物
(平成28年6月)
舞子の由来ともされる松の木。そんな松の木の落し物を、小さな自然達が、大事に守ってるように見えました。
(提供:荻野理恵子氏) |
 |
 |
 |
開発前
(昭和34年4月)
多聞町から山越えで通学しました。少し怖かった思い出があります。
場所:星陵高校の屋上から撮影
(提供:立花昭太郎氏) |
開発後
(平成21年11月)
こんなに開けるとはびっくりです。
場所:星陵高校の屋上から撮影
(提供:立花昭太郎氏) |
地球も星のひとつ
(平成29年3月)
下畑町内
(提供:正木真一郎氏) |
 |
 |
 |
深夜に星座はめぐる
(平成29年3月)
撮影場所:下畑町内
(提供:正木真一郎氏) |
塩屋沖に太陽ホール
(平成29年1月)
撮影場所:塩屋町内
(提供:正木真一郎氏) |
桜花、窓辺を飾る
(平成29年4月)
枝垂れ桜が書斎の窓際にピンクの花を咲かせてくれました
撮影場所:下畑町内
(提供:正木真一郎氏) |
 |
 |
 |
枝垂れ桜に遅い春
(平成29年4月)
書斎前に初めてピンクの花を咲かせた枝垂れ桜
撮影場所:下畑町内
(提供:正木真一郎氏) |
満月に夜桜
(平成29年4月)
書斎の中から見えた満月に夜桜
撮影場所:下畑町内
(提供:正木真一郎氏) |
GWの楽しみを乗せて軌跡は夜空に
(平成29年4月)
撮影場所:下畑町内
(提供:正木真一郎氏) |

(JPG:146KB)
|

(JPG:57KB)
|
|
橋げた
(平成31年頃)
とにかくでっかい。
撮影場所:舞子公園
(提供:立花昭太郎氏)
|
ダルマ夕陽
(令和元年12月)
船が通り過ぎ、空に猫が現れ息
を吹く。
撮影場所:舞子海岸
(提供:立花昭太郎氏)
|
|