最終更新日:2024年8月27日
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区役所の位置:神戸市灘区桜口町4丁目2番1号
電話番号:078-843-7001(代表)
面積:32.66平方キロメートル
区の花:マリーゴールド
区の木:桜
区の歴史の花:菜の花
区長:丹本 陽(2022年4月就任)
灘区は、兵庫県神戸市の中でも東部に位置しています。北に六甲山・摩耶山を控え、南は大阪湾に面し、東はおおよそ石屋川で東灘区に、西は王子動物園および岩屋周辺で中央区に、北は北区に接しています。
地形的には、急峻な六甲山地の形成した広い複合扇状地であり、西から西郷川、都賀川、石屋川の3河川が南北に流れ、それらの川を横切って、東西に阪急、JR、阪神の各鉄道が走っています。
海抜は、六甲山町五介山が標高900.7メートルと最高で、南に向かって次第に低くなり、低地部の高いところでは標高-0.2メートル(味泥町)となっています。ちなみに、神戸市で一番標高が高いのは六甲山です。(標高931.3メートル)
国立公園でもある六甲山は、明治以降に英国人グルーム氏が開発した観光地として知られ、身近に自然を楽しめる山として市民に親しまれています。
市街地北部は、古くからの住宅や新しい団地、それに神戸大学・神戸高校などの大学や高校が並び建つ山麓地域、緑豊かな住宅地の広がる山手地域となっています。中央地域は、東のJR六甲道駅周辺は東部副都心として整備しており、西の水道筋商店街は庶民的な商店街として市民の台所をまかなうなど、住商複合の地域となっています。
住工複合の浜手地域はいきいきとした下町であり、新在家・大石の付近は西郷(にしごう)とも呼ばれ、古くから酒造地帯として有名な「灘五郷」のひとつです。
海岸沿いは、埋立地の工業と港湾流通業務を中心とした臨海地域です。各地域はそれぞれ異なった個性と特徴をもって発展してきました。
区民の皆さんとともに良好なコミュニティと活発な地域活動を継続・発展させるなど、「豊かな自然と笑顔あふれる住み続けたいまち」を目指しています。
1889年4月の町村制の実施に伴って、灘区にあった小さな村は、六甲村(現灘区東部)・都賀野村(現灘区西部)・都賀浜村(現灘区西部)の3つの村にまとめられました。その後、都賀野村は西灘村に、都賀浜村は西郷町にと名前が変わり、武庫郡(東は西宮から西は須磨まで)に入っていたのが、1929年4月にこれら1町2村が神戸市に編入され、1931年9月には区制の実施により、「灘区」が誕生しました。
区名を「灘」としたのは、地域が「灘の生一本」で知られる酒どころであることから由来しているようですが、「ナダ」の名称がいつごろ、どういう意味で使われてきたのか、未だわからないのが実状です。辞典には、「風波が荒く航海の困難な海」といった意味をあげていますが、全国各地の「ナダ」を見てみると、海に面した陸地であるという点では共通していても、前面の海は穏かなところや荒々しいところなどとさまざまなようです。灘区に面している瀬戸内は、比較的穏かな海となっています。
1986年に神戸市で実施されていた「花のまち神戸」運動の一環として、各区ごとにシンボルフラワーが制定されました。灘区では灘区民市政懇談会の参加者による投票によりマリーゴールドが選ばれました。それ以来、区民をはじめ多くの方々に親しまれています。
区民公募により最多投票数を得て、区内には、王子公園・護国神社・トンネルなど桜の名所が多いことから2000年7月に灘区の木として選定されました。「なだ桜まつり」など春の風物詩として区民に親しまれているイベントも多く行われています。
摩耶山天上寺に与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の句碑があり、灘の酒造に使われる米を精米した水車がもともとは菜種油をしぼるのに使われていたなど、菜の花が灘区の歴史にゆかりが深いことから、2001年4月の灘区民まちづくり会議で選定されました。
灘区には数々の名跡があり、そのひとつひとつにはそれぞれの歴史が秘められています。樹齢1000年もある「春日神社の楠」や弘法大師が摩耶夫人像を取り寄せ安置したといわれる「天上寺」、奈良春日神社旧社殿を移したといわれる「六甲八幡神社」、桜ヶ丘町で発見された銅鐸や「沢の鶴資料館」に見られる灘の酒蔵など、史跡を見ると今までの灘区の歴史を知ることができます。また、神戸の観光地としても灘区は有名で、国立公園でもある六甲山を始め、王子動物園や県立美術館、神戸文学館や旧ハンター住宅など、文化・観光施設も数多くあります。