KOBEの本棚 第20号

最終更新日:2021年4月9日

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-神戸ふるさと文庫だより-
第20号 1996年9月20日
編集・発行 神戸市立中央図書館

大倉山

「我庵は茅渟の海原池に見て波の淡路は庭の築山」
明治の大実業家大倉喜八郎は、安養寺山(今の大倉山公園)からの眺望をこう詠みました。大倉喜八郎は、明治維新の動乱の中で御用商人として活躍し、一代で大倉財閥を築いた人物です。喜八郎は日清戦争後、安養寺山の約八千坪の土地を買い取り、広大な別荘を建てました。当時の安養寺山は松の木が繁り、瀬戸内海や淡路島が望めたそうです。しかし、この景勝地に建てた別荘に、喜八郎自身はあまり滞在せず、彼と懇意であった伊藤博文が、「昼夜涼風不断、神戸第一の眺望且避暑地に有之」と専ら利用していました。
その伊藤博文が、明治四十二年(一九〇九)ハルピンで射殺され、喜八郎は、伊藤が愛したこの地に彼の銅像を建てて公園として市民に解放する条件で、土地と別荘を神戸市に寄付しました。二年後の四十四年十月銅像が建設され、大倉山公園が開園。銅像は戦時中に供出されて今はありませんが、銅像の台座と大倉山の名称が当時を偲ばせます。

新しく入った本

  • 兵庫の酒
    前川季義(醸界通信社)
    著者は丹波杜氏の里に生まれ、大学卒業後国税庁醸造試験所に入所。その後、兵庫県立工業技術センターへ移籍。その間三十年余りにわたり、一貫して酒造の研究と技術指導の道を歩んできた。
    本書は、その著者が長年にわたって蓄積した資料をもとに、兵庫の酒について解説したもの。日本酒の歴史に始まり、杜氏の生い立ち、業界の現状、酒造の工程、酒税や酒と暮らし、さらに、水と米と清酒に関する著者の研究論文の要約なども掲載。最後には、県下の各酒造場の沿革や自慢の商品も紹介する。兵庫の酒を知るためには格好の書。
  • 新神戸の町名
    神戸史学会編(神戸新聞総合出版センター)
    『神戸の町名』の改訂版。前書の出版から二十年。その間、慣れ親しんだ町名が消えていく一方、ニュータウンの開発により、多くの新しい町名が生まれた。
    本書は、現在使われている町名の由来を解説したもの。町名は行政上の符号にすぎないが、古来からの地名を起源とする町名には、その土地の歴史や民俗、文化が刻まれている。
  • 兵庫県の考古学
    村川行弘編(吉川弘文館)
    本書は、「地域考古学叢書」の一冊として、兵庫県下の遺跡発掘の情報をまとめたもの。
    淡路国・播磨国・丹波国・但馬国・摂津国と、地域ごとに章立てされ、さらに各章は時代順に編集されている。県下の先史時代から古代までを概観することができる。編者は、大阪経済法科大学の教授。阪神間の考古学に関する著作が多く、『芦屋市史』などの執筆にも携わる。
  • ひょうごの野性植物-絶滅が心配されている植物たち
    福岡誠行編(神戸新聞総合出版センター)
    兵庫県に生育する野性植物のうち、絶滅が心配されている種に、貴重性をあらわすランクをつけて紹介したもの。写真と簡潔な文章でまとめられ、ハンディな図鑑を思わせる。
    紹介される約二百六十種のうち半数がAランク、つまり県内において絶滅の危機に瀕している種と指定されている。絶滅の原因は開発、採取、環境の劣化による圧迫と言われ、そのどれもが人間の行動に影響されている。
    本書の親しみやすい形態は、植物の多様性を守るという問題を、多くの読者が身近に考えるきっかけとなろう。
  • 天地皆恩-水垣宏三郎伝
    真杉高之編著(MCC食品株式会社) 明治の末、北海道の夕張炭鉱近くの町で生まれ、長兄の招きで神戸に向かった少年は、長じて缶詰工業に携わる。日中戦争下では軍用食としての缶詰づくりに奔走し、戦後はMCC食品株式会社を設立。本書では、「調理缶詰の生みの親」とも言われる水垣氏の足跡を、本人の日記や関係者の証言でたどる。缶詰工業の発展史としても興味深い。
  • コープこうべ-生活ネットワークの再発見
    碓井嵩編著(ミネルヴァ書房)
    日本最大であるだけでなく、世界最大の生協として知られるコープこうべについて、二部構成で論じたもの。
    現況編では、灘神戸生協からコープこうべに名称を変更したあとの概況を、組織を中心にとりあげている。
    研究編では、コープこうべ成立期の地域社会の実情や様々な活動を、社会学的立場から論じている。コープこうべの全体像をとらえた貴重な一冊。
  • [ガレキ=都市の記憶]-ポスト震災のアートスケープ
    ガレキ・プロジェクト一〇〇編(樹花舎)
    本書は、彫刻家や建築家など「ものを創る」人たちが、震災百日目照準を合わせ、人々に呼びかけて百の「大切なガレキ」を集めた、「創造に向けてのガレキ展」の活動報告である。
    震災直後から始まった復興の名のもとに作りあげられた、「ガレキ=ゴミ=排除」という構図に異議を唱える。「ガレキ=個人の記憶の断片」と位置づけ、震災前の暮らしや記憶の風景を心の中から消さずに大切にすること。これが新しい神戸を創造することに必要なのだという主張が新鮮である。
  • 神戸これから-激震地の詩人の一年
    安水稔和(神戸新聞総合出版センター)
    長田の自宅で罹災し、戦後の焼け跡のようになった街で書き続ける、筆者の一年間の著作のうち、震災にかかわる主なものを執筆順にまとめたもの。当時の記憶が呼びおこされ心が痛むが、言葉のひとつひとつが強く胸に響いて、ひきつけられる。再録された講演には「表現」に対する筆者の姿勢が読み取れ、その思想にひきこまれる。
  • 復興神戸のガイドブックいろいろ
    震災後一年半以上がすぎ、神戸の街も大きく様がわりした。以前の姿をとり戻したもの、前とは別の場所でがんばっている店、修復中の異人館など、神戸の現在の姿がわかるガイドブックが次々と刊行されている。
    『神戸‘96』(昭文社)『ぴあMAPハンディガイド神戸』(ぴあ)『神戸で遊ぼ!』(日本交通公社)『うまい店ガイドケーキ・甘味処』(京阪神Lマガジン社)『神戸ガイドマップ』(月刊神戸っ子)など。
  • よみがえる鉄路-阪神・淡路大震災鉄道復興の記録
    阪神・淡路大震災鉄道復興記録編纂委員会編(山海堂)
    昨年一月の阪神・淡路大震災は、阪神間の鉄道にも未曾有の被害を及ぼした。本書は、JRと私鉄各社の被害の状況と全線復旧までの経過を、図版や資料を豊富に用いて、克明に綴った記録である。
    主に技術的な内容ではあるが、そこに記された復旧の様子は、ドラマティックでもあり、また随所にコラムというかたちで、鉄道マンの生の声が掲載されていて、予備知識のない者にも興味深い一冊となっている。

その他

  • 勝者のシステム-勝ち負けの前に何をなすべきか
    平尾誠二(講談社)
  • ママにはKISSがよく似合う
    佐々木湘(新潮社)
  • めこうむかし
    藤井昭三(民俗伝承研究会)
  • 大倉喜八郎の豪快なる生涯
    砂川幸雄(草思社)
  • 私の愛する喫茶店 関西篇
    (カタログハウス)
  • 防災都市・神戸の情報網整備-神戸市広報課の苦悩と決断
    神戸市広報課編著(ぎょうせい)
  • 阪神大震災が問う現代技術
    星野芳郎・早川和男編(技術と人間)
  • 阪神大震災・問われた大人の力-大災害下の子どもたち
    社団法人家庭養護促進協会編(エピック)
  • 小松左京の大震災‘95
    小松左京(毎日新聞社)

わが街再発見コーナー新着図書

東灘図書館

  • 吟醸・純米・古酒情報事典(時事通信社)
  • 酒づくりの民族誌 山本紀夫ほか編著(八坂書房)
  • 世界の名酒事典‘96年版(講談社)
  • ソムリエ世界一の秘密-田崎真也物語重 金敦之(朝日新聞社)
  • 東西南北地ビールガイド 小田良司(たる出版)

ファッション

  • 傘-和傘・パラソル・アンブレラ INAXギャラリー名古屋企画委員会(INAX出版)
  • 時代を拓いたファッションデザイナー 堀江瑠璃子(未来社)
  • 世界の櫛 ポーラ研究所編著(ポーラ文化研究所)
  • 20世紀モード史 ブリュノ・デ・ロゼル(平凡社)
  • チマ・チョゴリの遺産-まほろばの国を訪ねて 長浜治撮影(勁文社)

ランダム・ウォークイン・コウベ 20

六甲山の写真六甲山

神戸の市街地の背後に連なる六甲山は、四季それぞれに姿をかえ、私たちの目を楽しませてくれます。休日に楽しむハイキング、再度山や高取山などの早朝登山、須磨から宝塚への全山縦走と、六甲の山は神戸市民にはたいへん親しみ深いものです。
六甲山系にはじつに百以上もの登山道があると言われています。数多くの登山道の中にトゥエンティクロス、シュラインロード、カスケードバレイなど、ハイカラな名前のものがいくつかあることに気がつきます。これらは明治の昔、神戸に住んだ外国人が、六甲の山を愛して名づけたものなのです。
もともと日本での登山は、御獄や富士などへの宗教的な登山でした。そこに近代スポーツとしての登山を持ち込んだのが、ウェストンやグルームら神戸の外国人たちなのです。彼らは朝の出勤前に布引や再度筋あたりを散策し、週末には六甲山頂でゴルフやハイキングを楽しみ、また日本各地の山に登ったりと、多彩な方法で登山そのものを楽しみました。
イギリス人宣教師W・ウェストンは明治二十四年ごろから神戸を拠点として、槍ヶ岳や穂高岳など日本各地の山に登りました。「日本アルプス」の呼称は彼によるものです。
貿易商A・H・グルームは、六甲山の開祖と言われています。明治二十八年、彼は当時人跡まれであった六甲山頂にはじめて別荘を建て、この別荘「一〇一番」では多くの外国人が週末をすごしました。数年後、山頂には二・三十件の別荘が建ちならぶ、外国人別荘村が出現しました。
彼らは山頂にゴルフ場を開発し、春から秋にかけてはゴルフに興じました。その中のひとりH・E・ドーントは、ゴルフのシーズンオフに六甲の山を歩く登山会、「The Kobe Goat Mountain Club」を創設し、その活動を記録した機関誌『INAKA』を創刊しました.
このようにして神戸の近代登山は幕をあけたのですが、彼らのもうひとつの功績を忘れてはなりません。彼らは登山道の改修にも積極的に取り組みました。現在私たちが快適なハイキングコースを楽しむことができるのも、彼らに負うところが大きいのです。
明治四十三年塚本永堯はこのような外国人の姿に感銘を受け、日本人初の背山登山団体「神戸徒歩会」をつくり、登山道の改修や登山地図の発行をおこないました。この登山会には日本人ばかりではなく、外国人も参加していました。
大正十三年「神戸徒歩会」から派生した「Rock Climbing Club」は、藤木九三らを中心に芦屋ロックガーデンなどをゲレンデに本格的な岩登りをおこないました。新田次郎の『孤高の人』で知られる加藤文太郎ものこの会員でした。
大正から戦前にかけては神戸に多くの背山登山団体がうまれ、登山は市民のレクリエーションとしてひろくおこなわれるようになりました。この頃うまれた登山団体のなかに今日もひき続き活動している団体もあります。
今では気軽にハイキングやドライブにでかける六甲山ですが、ここにはかつてこの山を愛した多くの外国人や日本人たちの歴史がきざまれているのです。彼らの面影を偲びつつ、一歩一歩六甲の山道をふみしめてゆきたいものです。

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文化スポーツ局中央図書館総務課