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未収録作品編 〜幻の作品たち

―原画の所在

須磨浦公園 画集は、刊行会の代表である岡崎真一会頭が神港新聞竹内重一社長から原画を借り、出版を済ませました。1962(昭和37)年6月、刊行会は全ての事業に終止符を打ちました。また、事業の終焉を迎えるにあたり、岡崎会頭の指示で、坂本智元商工会議所専務理事と森本さんの2人で神港新聞を訪ね、竹内社長に原画を返却されたそうです。その後の行方は、わかっておらず、これは神戸百景の謎のひとつとなっています。

 今回、森本さんが保管されていた試刷100枚、そしてネガフィルム9本が神戸市に寄贈されました。試刷は、2008(平成20)年11月こうべまちづくり会館にて開催された、川西英「神戸百景」展にて、原画の代わりとして展示されました。2009(平成21)年2月に正式に神戸市へ寄贈されています。ネガフィルムについては、2008(平成20)年に神戸市立博物館にて検証が行われ、2011(平成23)年、これも神戸市へと寄贈されました。今回、百景随行の旅と題して、わたしが川西英さんの足跡を、このネガフィルムを通して実地検証している最中です。

―これからの神戸

スケッチ中の川西英さん かつて兵庫の港には政商がいなかったこと。その影響で文化、資本の蓄積がなかったことが、開港時の弱みだった。開港後、神戸には、南は鹿児島、北は北陸を中心として、全国から一旗組が入った。また、ヨーロッパを中心とした外国人も入ってきた。そして、伊藤博文を中心とする新進官僚がいた。これらのエネルギーが作り出したのが神戸という街だと思う。日本的な色彩の少ないのも神戸。その一面をストレートに表現したのが神戸百景である。神戸百景は、単なる芸術作品ではなく、神戸という街の歴史を物語る作品になっているところがすばらしいと森本さんはいいます。

 今後の神戸は、舶来と伝統の良さを兼ね備えた新しいスタイルの港町神戸を目指すべきだと思う。神戸の持っているよさをアピールするには、まずエリアスタディ(地域学)が大切。最近は、グローバル化の波に押し流され、神戸独自の文化が失われている。全体とのバランスが大切であるが、神戸大学などで地域学をもう一度見直すことも大事であろう。 昔は、ガントリークレーン、海洋気象台を見ると神戸に帰ってきたという感じがしたものだが、両方とも今はないのが残念だともいっていました。

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