ホーム > 文化・スポーツ > 文化施設 > 文化行政および各種事業 > 2025年度神戸市文化賞、文化奨励賞、文化活動功労賞 受賞者
最終更新日:2025年10月7日
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2025年度(令和7年度)の各賞受賞者は、下記のとおり決定しました。
日本を代表するソプラノ歌手の一人であり、とりわけオペラの分野において顕著に活躍している。オペラde神戸(神戸文化ホール)では、「蝶々夫人(2016年)」蝶々夫人、「ラ・ボエーム(2019年)」ミミ、「椿姫(2022年)」ヴィオレッタなど大役を務め、オペラの魅力を幅広く市民に伝え、神戸の文化振興に寄与した。その歌声はリリコ・スピントでありながらも、強さの中にドラマを描ける表現力を持つ。交響楽団等のコンサートにおいてソリストとしても活躍。神戸文化ホールだけでなく、兵庫県立芸術文化センター、びわ湖ホール、新国立劇場、堺シティオペラなど各地で精力的に活動を続けている。
2023年11月のイタリア・ボローニャ歌劇場のオペラ「トスカ」日本公演においては、その実力を遺憾なく発揮。当初トスカ役を務める予定であった歌手が体調不良のため、本番当日に急遽代役として出演。限られた稽古時間にもかかわらず、豊かな表現力と情熱をもって主役トスカを見事に歌い演じ切り、卓越した実力と豊富な経験を示した。2018年より大阪音楽大学特任准教授、2020年より兵庫県教育委員を務め、後進の育成にも尽力している。
神戸の写真家・前田章次氏に学び、働きながら数々のコンテストで受賞。49歳で退社しプロに転向する。アマチュア時代の最後には、当時タブー視されていた演出写真の手法を確立し、アマチュア写真大賞のノミネート賞を受賞。1993年に「演出写真入門」を出版するとこの手法は全国に拡がり、写真界に新たな表現を創出した。ライフワークとして30年をかけ全国1,100か所を超える祭事を撮影し、これら「祭りシリーズ」を含む13冊の写真集を出版。伝統文化の記録・保存においても多大な貢献を果たす。コロナ禍以降は題材を兵庫の絶景に移し、今年中に200か所を巡ることを目標に現在も撮影を続ける。また、後進の育成・指導を目的に主宰クラブを神戸市内に設置し、人材育成にも注力している。
精力的な活動は組織運営にも及び、兵庫県写真作家協会最高顧問、全日本写真連盟関西本部兵庫県本部参与など要職を歴任。2016年には日本最大級の公募展を開く「(一社)二科展写真部」の理事長に創立メンバー以外で初めて就任した。2024年からは神戸芸術文化会議の副議長を務め、神戸の文化振興を支えている。
六甲学院出身。5歳より貞松・浜田バレエ学園でバレエを始め、17歳でRoyal Ballet School of Antwerp(ベルギー)に短期留学。これをきっかけに翌年より同校に2年留学。アナトール・カプチンに師事。ケネス・マクミラン、ティエリー・マランダイン等の作品にてソロに選抜され踊る。2002年 INTRODANS(オランダ)と契約。イリ・キリアン、マッツ・エック、ハンス・ヴァン・マーネン、デビッド・パーソンズ、ロバート・バトルの作品等を踊り、20カ国以上のツアーに参加。2007年 金森穣率いるNoism(新潟市民芸術文化会館専属舞踊団)と契約。元フォーサイスカンパニー所属、安藤洋子作品に出演。
2008年 貞松・浜田バレエ団に入団。バレエマスターとして演出に携わる傍ら、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、稲尾芳文、森優貴の作品等に出演。2017年4月より総監督に就任。ダンサーとして優れた活躍を見せるのみならず、貞松・浜田バレエ団のプロデューサーとして海外振付家招聘による新作上演やリラックスパフォーマンス等のインクルーシブな鑑賞・参加型事業にも取り組み、神戸発の新しい舞踊芸術のあり方を発信している。
14歳で母親から手渡されたドストエフスキーの『罪と罰』を読み、感銘を受け小説家を志す。大学卒業後、尼崎市の福祉施設で契約職員として2年勤務。その後、建築・不動産業界で数度のリストラの危機に遭いながらも創作活動を続け、2021年に第64回群像新人文学賞優秀作「カメオ」でデビュー。2024年7月、六甲山を舞台とする“純文学山岳小説”「バリ山行」で第171回芥川賞を受賞。細部を丹念になぞる描写で登山、とりわけ六甲山の魅力を伝える本作は、読書家のみならずアウトドア愛好家の間でも話題を集め、受賞後は全国各紙への掲載や大手山岳雑誌で特集されるなど、魅力を全国に発信している。
また、難解とみられがちな純文学の「おもろさ」を伝えたいと、「オモロイ純文運動」をコンセプトに「純文学はひらかれていて、オモロイのだということを世間にわかってもらう文学運動」を掲げる。神戸では「オモロイ純文運動×神戸文学館」として土曜サロンを開催するほか、全国各地で講演会等を開催。
1983年から神戸市立の小学校で38年間勤務。1995年、阪神淡路大震災で自宅が全壊し、避難していた親戚宅で変わり果てた神戸の街の姿をニュースで見て衝撃を受け、「しあわせ運べるように」を作詞・作曲。同曲はその後、学校や追悼式典、「神戸ルミナリエ」などの震災関連行事などで歌い継がれ、復興への願いのシンボルとして新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震など国内外の被災地でも歌われている。2020年、「しあわせ運べるように」が小学生の音楽の教科書に掲載され、2021年1月には神戸市歌に指定された。
長年震災関連のイベントに数多く関わり、同曲のコンサートでの指揮やシンポジウムへの登壇など幅広く活動。2025年1月には『阪神・淡路大震災30年「しあわせ運べるように」歌い継ぐコンサート』でかつての教え子と共演したほか、多数の震災関連コンサートやメディアに出演。音楽を通じて様々な地域・世代への震災の記憶継承に取り組み、その功績を称え2025年に兵庫県功労者表彰(県勢高揚功労)を受賞。
同人雑誌を対象とする神戸郷土の文学賞。「小島輝正文学賞(平成2~4年)」、「神戸ナビール文学賞(平成5~18年)」の意志を受け継ぐ形で平成18年に島京子氏、竹内和夫氏を中心に関西の作家・同人作家が集まり発足した。「エルマール」はスペイン語で「海」を意味し、神戸から文学の海に船出する人たちを励ます願いが込められている。
平成19年の第一回文学賞以降、今年で19回の開催を重ね、前身となる神戸ナビール文学賞を合わせれば30年余の長きにわたり、優秀作品の顕彰と作品集の発行により近畿圏の同人作家・雑誌に光を当てる活動を続けている。同人雑誌の賞は全国的にも珍しく、市内はもとより近畿圏域で、同人雑誌を通じた文学表現の振興と新進作家の発掘に寄与してきた。また、創作活動の高揚のため、顕彰に加えて著名な作家による講演会も市内で開催している。永年にわたる文学振興への功績を称え、2015年には神戸新聞文化賞を受賞。
小学生から高校生までのメンバーで構成されるビッグバンド。ジャズの街神戸のプロモーションや次世代を担う人材育成などを目的に結成。運営は、「ジャズの街神戸」推進協議会のメンバー等で結成した神戸ユースジャズ実行委員会が行っている。広瀬未来、髙橋知道など神戸を代表するプロミュージシャンや神戸ユースジャズオーケストラ卒業生の大学生などが指導を行い、「KOBE JAZZ DAY」や「KOBE JAZZ CENTENNIAL」などジャズの街神戸をPRするイベントに積極的に参加。ジャズの甲子園とも称される中高生ビッグバンドの祭典「JAPAN STUDENT JAZZ FESTIVAL」の第40回(2025年)では、団体賞として優秀賞を受賞、個人賞としてベストプレーヤー賞1名、バークリー音楽大学特別賞1名が選出された。メンバーから音楽大学進学者を多数輩出するほか、卒業後プロミュージシャンとして活躍する者もいる。
学校部活動において吹奏楽ほど一般的とは言い難いジャズの分野で、若い世代の技術向上や演奏機会の創出によりジャズ文化の継承に貢献し、また、放課後の居場所づくりとしても貴重な受け皿となっている。学校とは異なるフィールドで若者に自己表現の場を与え、その活動は教育的観点からも大きな意義を有する。
地域学研究の大家・田辺眞人氏に師事し、地域学の研究者として神戸外国人居留地研究会監事を務め、神戸外国人居留地における日仏交流史、神戸・阪神間における地域史などを研究。灘区80周年史編集委員として『灘の歴史』を執筆し、田辺眞人氏とともに『神戸の歴史ノート』を共著。神戸学院大学・神戸市立看護大学で地域学の講義を行い、若い世代に学びを与えるほか、市内文化センターを始め各所での講座や街歩き企画を通して生涯学習にも貢献している。
テレビ放送などの考証においても活躍し、「KOBE de 清盛2012」では兵庫の歴史館展示委員を務め、NHK神戸放送局「新兵庫史を歩く」では調査及び台本執筆、NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」では風俗考証を行った。2017年にはNHK総合「ブラタモリ」に出演。全国への神戸の文化発信に大きく寄与した。また、地域研究の成果を街おこしに活かすべく、各地のご当地検定にも力を注ぎ、神戸では有馬学、六甲・まや学、神戸学検定に関わる。2024年からは兵庫学検定委員として活動。