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BE KOBE神戸の近現代史

震災からの復興

阪神・淡路大震災は、急速に高齢社会へと移行しつつあった近代成熟都市を直撃した未曽有の大災害であり、被害総額は約10兆円に及んだ。神戸経済を支えてきた産業は大きな打撃を受けるとともに、当時の社会が抱える脆弱性や構造的な課題が一挙に顕在化した。

神戸市の人口は震災前の約152万人から約142万人へと約10万人減少するとともに、復興に向けて厳しい財政運営を余儀なくされた。住宅を失った被災者は避難所から応急仮設住宅、その後復興住宅へと転居を重ねる中、とりわけ被災高齢者の孤立が大きな課題となり、その後の我が国の人口減少社会が直面することとなる社会課題を先取りする形となった。

復興するにあたっては、国内はもとより、世界各国から支援を受けた。また、市内各所で壊滅的な被害を受けた都市基盤の早期復旧はもちろん、被災者の住宅・生活再建、被災コミュニティの再生、中小企業の再建等、複雑多岐にわたる取り組みを行いながら、災害に強いまちづくりを推し進める必要があった。そこで神戸市は平成7年6月に「神戸市復興計画」を策定し、国や県、関係機関とも連携しながら、復旧・復興に向けての取り組みを進めるとともに、既存の制度では十分な支援ができない部分については、同年、兵庫県と神戸市が地方債を原資として設けた阪神・淡路大震災復興基金によって補完することとした。 また、密集市街地など特に被害の大きかった地域では、土地区画整理や再開発事業などが進められた。しかし事業完了までには長期の歳月を要することとなった。

この間、神戸市は大幅な行財政改革に取り組み財政危機からの脱却を図るとともに、復興の牽引役として医療産業都市構想を進めた。そして神戸市の人口は平成16年(2004)に、震災前の水準を上回ることとなった。

阪神・淡路大震災の記憶を後世に語り継ぎ神戸の希望を象徴する行事として「神戸ルミナリエ」が震災後毎冬開催され、復興過程においてはシビックプライド・メッセージとして“BE KOBE”などが生み出された。その一方で、震災から4半世紀を経て、震災を経験していない市民が増える中、震災の経験や教訓をいかに次代へ継承していくかが大きな課題となっている。

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