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空襲の中で感じた家族のぬくもり

最終更新日:2023年8月29日

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空襲の中で感じた家族のぬくもり 横井和子さん

1945年6月5日7時22分。当時15歳だった私は、学徒動員先の工場へ行くため、玄関で靴を履こうとしていました。そのとき「ウーッ」と空襲警報が鳴りました。普通であれば、すぐに防空壕に駆け込まなければいけないのですが、頭上に一列に並んだB29の編隊が飛んで行くのが見えたので「もう間に合わない」と思いました。その瞬間、焼夷弾が降ってきて、晴天だった空が途端に真っ暗になり、まるで昼と夜がひっくり返ったようでした。
当時、私は両親と兄弟の5人家族。父と兄は消火活動をしていたため、私は体の悪い母と4歳の弟を連れて、避難場所に決めていた板宿近くの勝福寺に向かって逃げ出しました。途中何かにつまずいて足元を見ると遺体でした。寺に着き、父と兄を待ちましたが、一向に現れません。ぞろぞろと人が集まってくる中、最後にやって来たのが父と兄でした。寺に向かうまでの間に、母や弟や私に似た体型の遺体があると、全ての顔を確認してきたので遅くなったと言うのです。私はそれを聞いて、こんな大変な状況でも家族を思いやる気持ちがあるのかと思い、涙があふれました。
私が皆さんに伝えたいのは、70年余り続いた平和をこれからも続けてほしいこと、親を大事にしてほしいことですね。

(広報紙KOBE2016年8月号掲載)

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