絵画土器(かいがどき)
時代 | 弥生時代中期 |
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出土場所 | 花隈城跡 |
使用用途 | 貯蔵容器 |
素材 | 粘土(土器) |
寸法 | 5cm×4.5cm |
この資料についての説明
花隈城(はなくまじょう)は、天正年間の初めに、織田信長の命令により、荒木村重が築城したといわれています。発掘調査の結果、花隈城に関連する遺構として、石垣を検出しましたが、城の全容がわかるようなものは、まだ発見されていません。
また、弥生時代の谷から、多数の弥生土器が出土しましたが、その中に、ヘラで絵が描かれた土器が1点ありました。絵の一部が欠けているため、全体像は不明ですが、おそらく魚を描いたものであると考えられます。
桜ヶ丘4号銅鐸・5号銅鐸(灘区)をはじめ、加茂遺跡(兵庫県川西市)、東奈良遺跡・瓜生堂遺跡・亀井遺跡(いずれも大阪府)、唐古・鍵遺跡・清水風遺跡(奈良県)の土器にも同様の絵が描かれています。これらの絵は、極めて類似しており、弥生時代の人々が魚に対して共通のイメージを抱いていたと考えられます。