神戸百景探訪 作品No.81〜90

旅人のプロフィール

81.兵庫港(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
兵庫港

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兵庫港のある西出町は、造船の町。昔ほどの活気はありませんが、小さな船を修理するための工場やドックが並んでいます。ここは、川西 英さんの生まれ育った町でもあります。川西 英さんの自宅兼仕事場であった神戸東出郵便局も、港から近いところにあります。また、卒業された入江小学校は、1987(昭和62)年に閉校となりましたが、ここの卒業生には、別車博資、東山魁夷、竹中 郁など、そうそうたる芸術家が名を連ねています。ダイエーの創業者・中内 功さんも、この小学校の卒業生です。

撮影場所
兵庫区西出町1(撮影:2009/8/6)
兵庫区と中央区の境界、国道2号の下に湊町地下道があります。地下道の側面は、ギャラリーとして活用されていて、そこには、川西 英さんの三男・祐三郎さんのモザイク壁画「美しいまち神戸」が展示されています。

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82.運河(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
運河

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現在の運河には、川西画のような貯木場としての機能はありません。キャナルプロムナードなどの親水空間として活用されています。川西画中央に見える川崎重工業の鉄道工場は、今も健在です。ここで製造された最新鋭の新幹線は、神戸港から国内外へ出荷されています。

撮影場所
兵庫区浜中町2(撮影:2009/6/15)
新川運河は1875(明治8)年、兵庫運河は1898(明治31)年に完成しました。海難事故が多かった和田岬を迂回せずに、須磨・駒ケ林方面と兵庫港を結ぶ水路として掘削されたそうです。

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83.浮ドック(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
浮ドック

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三菱重工神戸造船所。川崎重工業とならび、日本の造船の歴史に名を刻んできた企業でもあります。

撮影場所
兵庫区築地町(兵庫埠頭より)(撮影:2009/8/6)
2010年夏、神戸造船所での商船の建造を、2012年に長崎造船所と下関造船所に統合するという発表がありました。神戸造船所では、新船の建造は潜水艦だけになるようです。コンテナ船などの建造風景は、とても神戸らしい景色のひとつであるだけに、残念です。

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84.長田神社追儺式(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
長田神社追儺式

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2月3日の節分。この日を逃すと、撮影は来年までお預けになります。一年のうちでいちばん寒い季節ですが、カメラ片手に出かけました。長田商店街は、神社の参道に栄えた商店街で、初詣と並んでこの時期は参拝客でいっぱいになります。追儺式(ついなしき)を生まれて初めて見ましたが、なかなか興味深いものがあります。式は、早朝、須磨の海で、鬼に扮する成人たちが、身を清めるところからスタートします。そして昼から夜まで、延々と続く儀式。本当に鬼さんはご苦労様です。

撮影場所
長田区長田町3丁目1-1(撮影:2010/2/3)
長田神社追儺式の鬼は、神のお使いとして、神々に代わって全ての災(わざわい)を払い清める存在です。長田神社追儺式は、県指定重要無形民俗文化財にもなっています。

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85.西新開地(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
西新開地

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震災により新長田地区の商店街は、大きな被害を受けました。この西新開地も再開発事業により一新され、川西画の面影は全くない場所となっています。

撮影場所
長田区駒ヶ林町2(撮影:2009/4/13)
すっかり様変わりした新長田駅の南側一帯ですが、地元商店街などが連携して開く集客イベントやお祭りなど、元気な動きを次々に発信し続けています。

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86.禅昌寺(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
禅昌寺

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バスを降りて、お寺の方向へ進むと、小さな子どもたちの声が聞こえてきました。お寺には幼稚園が併設されています。現在は、川西画の山門横に、送迎や参拝の車が通る道路が整備されています。

撮影場所
須磨区禅昌寺町2丁目5-1(撮影:2009/12/8)
晩秋には、紅葉する木々が境内を染め上げ、川西画と同じ景色がよみがえります。

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87.水族館(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
水族館

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須磨水族館は、1957(昭和32)年に当時東洋一の規模として開館しています。1987(昭和62)年に全面建て替えが行われ、新しい建物施設の完成と同時に、現在の名称「須磨海浜水族園」になって生まれ変わりました。

撮影場所
須磨区若宮町1丁目3-5(撮影:2009/8/6)
撮影した日は、新型インフルエンザの影響を受けた観光回復のため、「行こう!神戸キャンペーン」のさなかで、無料開放中でした。夏休みと重なって、すごい人出にびっくりでした。

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88.ラジオ関西(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
ラジオ関西

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1952(昭和27)年4月、ラジオ神戸(コールサインJOCR)として開局。「海の見える放送局」として親しまれ、民放初のプロ野球ナイター中継や電話リクエストを開始したことでも話題になりました。1960(昭和35)年1月に、ラジオ関西に社名変更しています。さて、川西 英さんがスケッチした時期は、ちょうどラジオ神戸が開局した年ですね。ところが、画のタイトルはラジオ関西です。スケッチが1961(昭和36)年なら、ラジオ関西で良いのですが、1952年であれば、ラジオ神戸のほうがふさわしいのです。さて困りました。こう結論づけるのはどうでしょうか。スケッチしたのは1952年のラジオ神戸。画集をまとめたのが1962年ですから、その時点での社名「ラジオ関西」をタイトルとして採用したのです。

撮影場所
須磨区須磨浦通1(撮影:2010/10/12)
須磨にあったラジオ関西の本社屋は、震災で全壊。発生直後から震災報道を継続して行い、仮設社屋を経て、1996(平成8)年8月、ハーバーランド「神戸情報文化ビル」に移転しました。

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89.須磨寺(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
須磨寺

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須磨寺は886年建立と伝えられる、源平ゆかりの古刹です。山陽電車・須磨寺駅を出て、参道に続く商店街を散策がてら歩いていきます。境内入り口に当たると思われるところに、赤い欄干の龍華橋があり、橋の奥には仁王門が見えます。この仁王門は源 頼政の再建とされ、仁王像は運慶および湛慶の作と伝えられています。

撮影場所
須磨区須磨寺町4丁目6-8(撮影:2009/4/11)
境内には、平 敦盛の首塚といった史跡や、源平の庭、源平ゆかりの品や資料を保存する宝物館、多数の句碑や歌碑などがあり、歴史ファンにはたまらない場所です。

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90.須磨海水浴(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
須磨海水浴

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今も神戸の海水浴と言えばここ。撮影をした2009年は、長梅雨と台風の影響で、訪れる人も少なかったようです。淡路島と神戸側を結ぶ明石海峡大橋は、川西画にはない風景ですよね。これも新しい神戸百景になりそうです。川西 英さんが生きていらっしゃれば、おそらく、橋を入れて描き直されていたことでしょう。

撮影場所
須磨区須磨浦通1(撮影:2009/8/11)
海水浴場での撮影は、ものすごく気をつかいます。カメラだけ持って砂浜をうろつくことは、今の時代、できません。それでもなんとか、海水浴の雰囲気だけでも撮影したいと思い、子どもたちを連れてビーチへ行き、水遊びをさせている間に、百景の撮影もやってのけました。誰の目にも、子どもの写真を撮っているお父さんとしか見えなかったでしょう。

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