神戸百景探訪 作品No.61〜70

旅人のプロフィール

61.諏訪山住宅(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
諏訪山住宅

画像をクリックすると拡大します

私と神戸百景の出会い、それがこの「諏訪山住宅」でした。たまたま目にした画が、毎日眺めている景色だったのです。そこから始まった神戸百景とのつながり。今では懐かしくも感じています。このあたりは、北野町から続く神戸山手の代表的な住宅街で、市街地の中では、山と海の距離がいちばん近いところでもあると思います。諏訪山住宅の家々も、焼失、建て替え、改築など、当時とはかなり変化しています。でも急傾斜に建つ家並みは、今も変わってはいないようです。

撮影場所
中央区山本通5(撮影:2009/3/11)
画の中の一軒に住む友人は、「眺めはすばらしい。ただ、家が古くて修繕箇所が多い。冬はとても寒い」と漏らしていました。市街地ビルの高層化で、窓からの景色も変わってしまったでしょうが、神戸港を一望できるこの地区は、やはりあこがれの場所ですね。画のいちばん上にある洋館は、焼失したそうです。

ページの先頭へ

62.諏訪山より港俯瞰(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
諏訪山より港俯瞰

画像をクリックすると拡大します

諏訪山公園の一部、金星台と呼ばれている場所です。当時、みなと神戸を眺めるには、ここがベストだったのでしょう。現在はヴィーナスブリッジが整備されて、眺望もそこからのほうがいいようです。映画「陸軍中野学校」で、市川雷蔵さん扮するスパイの家も、この諏訪山にありました。現在閉館されている諏訪山会館のところで撮影されています。この映画、シリーズもので、神戸が舞台になっています。昭和40年代の神戸が、いろいろなシーンに登場します。私のような神戸ファンには、たまらない作品です。

撮影場所
神戸市中央区諏訪山町1(撮影:2010/2/27)
昔から諏訪山には、諏訪山動物園をはじめ、明治期創業の料亭「常磐花壇」や諏訪山温泉などがあったそうで、今からは想像もつかない風情が息づいていたことに驚きます。

ページの先頭へ

63.相楽園(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
相楽園

画像をクリックすると拡大します

川西画にある大クスノキ、蘇鉄園(そてつえん)、ツツジは、今も相楽園のシンボルです。川西画は、現在の相楽園会館あたりからの眺めと推測できます。四季折々の植栽が施され、特に春から初夏にかけてのツツジ、秋の菊花展は有名で、大勢の人でにぎわいます。個人的には、紅葉シーズンの相楽園が、一年のうちでいちばん好きです。

撮影場所
中央区中山手通5丁目3-1(撮影:2010/5/8)
この日も、海外からの観光客が、正門のところで記念撮影。昔から、神戸港に外国船が着岸すれば、必ずと言っていいほど、ここを訪れていたそうです。相楽園は、神戸市の都市公園で唯一の日本庭園で、外国人の方にもとても魅力的なところのようですね。

ページの先頭へ

64.関帝廟(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
関帝廟

画像をクリックすると拡大します

川西画にある唐獅子は、現在、中門のところに設置されています。右側の雄が持っている小判でお金をさするとお金持ちに、左側の雌が抱いている子をさすると子宝に恵まれるというイイツタエがあるそうです。関帝廟は、三国志に登場する武将・関羽を中心に、3関帝を祀る廟です。商売の神様として地元の華僑から親しまれています。震災で被害を受けるも、華僑の皆さんなどの尽力で修復されたそうです。

撮影場所
中央区中山手通7丁目3-2(撮影:2009/7/31)
関帝廟では、毎年8月中旬の旧暦の盆に、「盂蘭盆会」(うらぼんえ)が盛大に行われます。誰でも拝観できます。

ページの先頭へ

65.海洋気象台(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
海洋気象台

画像をクリックすると拡大します

神戸市水の科学博物館から浜手を眺めると、小高い丘が見えます。ここは、昔「宇治野山」と言われ、法隆寺にある古文書に、747年「宇治郷」として名前が登場するそうです。1300年も前の話です。1896(明治29)年から1920(大正9)年までは神戸測候所、1920年から1995(平成7)年までは海洋気象台として、この丘に存在しました。震災で建物の一部が損壊し、現在はHAT神戸の神戸防災合同庁舎へ移転しています。桜の開花予想に使われた標準木もあったそうですが、その役目は、王子動物園の桜に引き継がれているそうです。

撮影場所
兵庫区楠谷町37-1(水の科学博物館より)(撮影:2009/6/9)
海洋気象台跡(中央区下山手7)は現在、建物はなく、跡地はそのままです。ちなみに、撮影場所の水の科学博物館もまた、神戸の歴史あるスポットのひとつです。ドイツ・ルネサンス風の重厚で優美な建物は、奥平野浄水場のろ過施設として1917(大正6)年に建築されたものです。これを保存活用し、1989(平成元)年、水の科学博物館としてオープンしました。

ページの先頭へ

66.モダン寺(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
モダン寺

画像をクリックすると拡大します

モダン寺こと、1995(平成7)年竣工の本願寺神戸別院です。その斬新なデザインは、1930(昭和5)年に建てられた旧寺院から受け継がれたもので、昔から神戸の人々に"モダン寺"の愛称で親しまれてきました。戦災を免れた別院は、1960(昭和35)年に本願寺神戸別院と命名され、現在に至ります。

撮影場所
中央区下山手通8丁目1-1(撮影:2009/4/12)
お寺の向かいにある小さなベーグル屋さんへよく出かけます。そのたびに、ここがお寺であることが不思議でなりません。近所の子供たちは、お城と思っているそうです。それだけ、神戸の街並みの中でも、ひときわ異彩を放っているのでしょう。

ページの先頭へ

67.市立図書館(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
市立図書館

画像をクリックすると拡大します

市立図書館は1922(大正11)年に開館し、1972(昭和47)年の図書館再編によって、市立中央図書館となりました。川西画にある建物は、市立中央図書館の旧館として使用されてきましたが、震災で大きな被害を受けました。2年後の1997(平成9)年、旧館の復旧工事が完了し、新しく2号館として再開しています。アーチ型の窓が特徴のロマネスク様式を踏襲し、旧館の雰囲気を残しているそうです。

撮影場所
中央区楠町7丁目2-1(撮影:2009/7/4)
神戸百景を調査する上で、私がいちばん多く訪れた場所、それが市立中央図書館です。画集「神戸百景」の実物を初めて見たのもここでした。私の中では遠い存在であった神戸百景を、鮮明なものに変えてくれた場所。その図書館を川西 英さんが描いていること自体、何とも不思議な気分になります。

ページの先頭へ

68.神戸駅(制作または加筆:1961.1〜1961.3)
神戸駅

画像をクリックすると拡大します

東海道本線の終点であり、山陽本線の起点でもある神戸駅です。浜手の5番線のところに、その終点起点を表す「0キロポスト」が立っています。駅舎は、1930(昭和5)年に開業した3代目だそうです。

撮影場所
中央区相生町3(撮影:2011/10/4)
川西画では描かれていませんが、円柱が立ち並ぶ駅構内のコンコースは壮観です。柱にある装飾がこの駅の歴史を物語っているかのように、威厳さえ感じる佇まいです。

ページの先頭へ

69.楠公前(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
楠公前

画像をクリックすると拡大します

神戸駅北側にある湊川神社は、1872(明治5)年創建。楠木正成を祀り、神戸の人々から"楠公(なんこう)さん"と呼ばれ親しまれています。菊水の紋瓦で葺いた神垣に囲まれた境内は、木々の豊かな緑が茂っています。遠くから見ると、まるで森のようです。

撮影場所
中央区相生町2(撮影:2009/8/5)
楠公前には、湊川神社を訪れる人のために、お茶飲処が軒を並べていました。瓦せんべいで知られる菊水総本店は、神戸開港とともに新しい文化が花開いた1868(明治元)年の創業でしたが、経営難から2010(平成22)年1月に解散。現在は、退職された従業員で商標を買い取り、のれんを守って行こうとされています。菊水と並び、神社の門前にあったお茶の菅園も2001(平成13)年に姿を消しました。楠公前でいつも菊水や菅園が出迎えてくれる光景は、市民の記憶の中に焼き付いているのではないでしょうか。

ページの先頭へ

70.楠公祭(制作:1952.1.1〜1953.2.20)
楠公祭

画像をクリックすると拡大します

1336(延元元)年5月25日にこの地で殉節した楠木正成を偲び、毎年5月25日を中心に、3日間にわたって楠公祭が行われます。境内にたくさんの露店が並び、特設舞台では様々な奉納芸能などもあり、多くの参拝者で賑わいます。

撮影場所
中央区多聞通3(撮影:2013/5/26)
2013(平成25)年5月26日、6年振りとなる楠公武者行列が予定されていました。2008年から神戸百景の撮り歩きをはじめ、5年近く待って、ようやく撮影の機会がめぐってきました。当日のお天気が気になりましたが、人びとを魅了する時代絵巻は、晴天のもとで無事開催されました。待望の1枚を撮ることができました。

旅人のプロフィール

ページの先頭へ