神戸市-KOBE-


国名勝「再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地」

最終更新日
2017年9月6日

再度公園の画像再度公園および再度山永久植生保存地は、今日の公園・造園文化の発展に寄与していることが評価され、平成18年に、都市公園としては日本で初めて登録記念物(名勝地関係)に登録されました。また翌年には、神戸の近代都市の発展と日本の近代化を物語る神戸外国人墓地を併せて国の名勝に指定されました。

再度山永久植生保存地

1868年の開港後、急速に発展し人口が急増した神戸の町では、生活用水の水質悪化が進み、上水道の整備が急務となっていましたが、当時の六甲山は薪の採取のための樹木の乱伐により荒廃していました。このため、水源涵養・砂防を主目的として六甲山の緑化に着手したのが1902(明治35)年、場所は再度公園の広場から修法が原池の対岸に望む再度山(標高470メートル)の北斜面です。
その後、1974(昭和49)年、国際植生学会日本大会の現地見学会が再度山で開催されたことをきっかけに、神戸市ではこの森の一部を「再度山永久植生保存地」に指定、以後5年ごとに植生や土壌の変化を調査・記録し、六甲山系の緑の管理や育成に活かしています。
六甲全山縦走路から再度公園への通路、通称「再度越」付近では、明治の頃の植林の際に築かれた石積みを見ることができます。

  • 再度山の緑化
  • 明治時代の石積み

神戸外国人墓地

神戸外国人墓地の画像1868年の開港と同時に、現在の花時計と大丸神戸店を結ぶ線から南側に外国人居留地が設けられました。開港直前に亡くなった外国人のために設けられた小野浜墓地、のちに小野浜墓地がいっぱいになって1899(明治32)年に設けられた春日野墓地の両墓地を統合して再度公園に移設されたのが、現在の神戸外国人墓地です。
移転は1936(昭和11)年に市会で議決されましたが、その後の1938(昭和13)年の水害や、太平洋戦争の勃発により、移転が完了したのは1961(昭和36)年でした。
墓地内に埋葬されている方は、近代神戸の黎明期に活躍した技術者や教育者、宗教者など、合計61カ国約2800名余にのぼります。

神戸外国人墓地の公開について

現在でも墓参、埋葬が行われている墓地ですので、自由に散策はできませんが、墓地を一望できる展望台へは立入可能(9時〜16時30分迄)です。

また、4月〜11月までの第4日曜日には、事前にお申込みいただいた方を対象に、墓地内の一般公開も行っています。詳しくは下記リンクから。

再度公園

再度公園の画像再度山永久植生保存地を中心として古くから良好な森林が保全・育成されてきた再度公園は、1937(昭和12)年に都市公園として誕生しました。
昔から、居留外国人による登山や、愛好家たちによる毎日登山、また近年ではトレイルランニングや自転車による利用など、幅広い利用を受け入れてきた公園です。
第二次世界大戦後は進駐軍による接収を受けていた時期もあり、また2004(平成16)年まで営業していた修法が原池のボート遊びなど、ご記憶にある方も居られるかもしれません。尚、「再度山」という名前は、弘法大師が中国に渡られる前に無事を祈願し、その後戻ってこられてもう一度、修法されたことによるとされています。
また園内では定期的に「こうべ森の小学校&森のようちえん」「こうべ森の学校」などの活動が、市民・企業・行政の相互協力により実施されています。