東灘消防署の歴史

最終更新日:2024年5月17日

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今日の消防体制は、昭和23年3月7日に消防組織法が施行されたことに始まり、消防の責任は市町村が負うことになりました。いわゆる自治体消防がここに誕生しました。発足当初の自治体消防は、火災の予防、警戒、鎮圧をその業務としていましたが、社会の変化とともに、救急、救助が消防の業務と消防法に明確に定められ、今日の姿になりました。

東灘消防署の沿革

昭和25年以前の東灘区は、武庫郡本山村、本庄村、御影町、魚崎町、住吉村の五か町村に分かれていて、神戸市に入っていませんでした。この五か町村が昭和25年に神戸市と合併し、東灘区が誕生しました。

昭和22年4月

兵庫県告示により芦屋消防署開設

管轄地域は芦屋市、武庫郡本山村、本庄村、御影町、魚崎町、住吉村一円とする

昭和22年8月

魚崎出張所開設

昭和23年3月

芦屋消防組合消防本部兼芦屋消防組合消防署と改称

昭和25年4月

御影、住吉、魚崎の3町村が神戸市に合併し、神戸市消防局へ管轄を移管

昭和25年10月

本山、本庄の2村が神戸市に合併し、管轄を移管

芦屋消防組合本部兼芦屋消防組合消防署は解消する

神戸市東灘区は東消防署の管轄となる

昭和27年10月

署員60名、車両8台で東灘消防署が誕生しました
庁舎はまだ建設されておらず、魚崎出張所を仮の消防署として使用していました

昭和28年6月

本山町野寄に新庁舎が建設される

本署及び魚崎、本山の2出張所体制で業務を行う

昭和37年

本山出張所を廃止し、深田池出張所を開設

昭和43年11月

本署を東灘区総合庁舎(住吉町)に移転

昭和48年4月

魚崎出張所を廃止

昭和48年5月

青木出張所を本山南町2丁目に開設

平成元年

深田池出張所改築

平成7年1月

阪神・淡路大震災により青木出張所が使用不能になる

平成7年5月

仮設青木出張所を北青木4丁目に建設

平成9年6月

青木出張所を元の本山南町2丁目へ戻す

平成12年1月

東灘総合庁舎を住吉東町5丁目に新築、東灘消防署も移転する

平成19年4月

消防署の管轄変更により六甲アイランドが東灘消防署管轄となり、水上消防署六甲アイランド出張所が東灘消防署へ移管される

業務の移り変わり

昭和27年に署員60名車両8台でスタートした東灘消防署は、現在署員152名、車両22台を有する消防署へと規模を拡大してきました。当初は火災の消火活動と予防業務だけでしたが、昭和38年に消防法が改正され、救急業務が消防の業務になり、東灘消防署にも救急車が配置され、救急業務を開始しました。その後昭和48年には青木出張所にも救急車が配置され、今では全ての出張所に救急車が配置され、増加する救急需要に対応しています。また、昭和61年には救助業務が消防組織法に明記され、昭和62年に東灘消防署にも救助隊が配置されました。さらに災害の多様化に合わせ、NBC(放射性物質、生物、化学)災害に対応した特殊災害隊が平成21年に青木出張所へ配置されました。最近では市民救命士の養成やケアライン119、防災福祉コミュニティの育成など市民の皆様とともに進める業務が増えてきています。

災害の歴史

火災

昭和28年 関西帆布防水株式会社青木工場火災(1,940平方メートル焼損)
昭和37年 本庄中学校火災(1,248平方メートル焼損)
昭和39年 王子紡績株式会社火災(821平方メートル焼損)
昭和42年 光商会火災(973平方メートル焼損)
昭和42年 日本大豆製油株式会社火災(795.45平方メートル焼損)
昭和45年 山根製材所火災(1,496平方メートル焼損)
昭和46年 神戸サイロ火災
昭和50年 久星酒造株式会社火災(1,362平方メートル焼損)
昭和51年 貨物船セシラ号火災(923平方メートル焼損)
昭和62年 本山町森本庄山火災(林野40ヘクタール焼損)
平成6年 塩田倉庫火災(640平方メートル焼損)
平成7年 阪神・淡路大震災による火災28件32,859.48平方メートル焼損
平成21年 株式会社三輪北工場火災(3,484平方メートル焼損)

自然災害

 

 

 

お問い合わせ先

消防局東灘消防署総務査察課