埋蔵文化財センターのはてな?を探そう!
- エントランス
- 常設展示室
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- (1)神戸の遺跡
- (2)先土器時代
- (3)縄文時代
- (4)弥生時代
- (5)古墳時代
- 1.アケボノゾウってどんなゾウなの?
アケボノゾウは、今から約150万年前〜200万年前に、関東地方から九州地方まで広く生息していました。
- 2.マンモスとどこが違うの?
マンモスやナウマンゾウは、後期旧石器時代に人間と共存していましたが、アケボノゾウはそれよりもはるかに古い時代のゾウです。
- 3.この化石って本物?
ガラスケースの中にあるものが本物の化石で、全身の骨格は、標本(復元品)です。
また、標本のこげ茶色の部分が、化石が残っているもの、茶色の部分が推定部分です。推定部分は、別の場所から出土した別個体の化石を参考に復元しています。
- 1.遺跡ってなに?
遺跡とは、私たちの祖先が地面の上に残した生活の跡です。その中には、住居(すまいやお墓、田んぼをはじめ、様々なおまつり(おまじない)を行った場所などがあります。小さなもので数百メートル四方、大きなもので、数キロメートル四方の範囲に広がっています。
このような場所(遺跡)にある、古代の人々が残した痕跡を「遺構(いこう)」と呼んでいます。また、この遺構から出土した土器や石器や木製品・金属製品など、昔の人々が作ったり、使用した容器や道具のことを「遺物(いぶつ)」と呼んでいます。
- 2.なぜ、そこに遺跡があるってわかるの?
昔の人々は、生活している場所のすぐ近くに、調理によって出てきたごみや不要になった土器・道具などを捨てていました。そのためこのような土器や石器などが見つかると、そこが遺跡であるか、またはすぐ近くに遺跡があるという目印になります。
- 3.神戸には、どのくらい遺跡があるの?(遺跡は何個ありますか?)
神戸市内には、約1,000か所の遺跡がありますが、北区には全体の約4割、西区には、約3割の遺跡があります。六甲山の南斜面の平野部をはじめ、明石川・櫨谷川・伊川、長尾川・有馬川・有野川などの大きな河川が合流する地点に多く集中しています。これは、おそらく水田を利用した稲作を行うために適した土地を得ることを目的としていたようです。
一方、水田耕作に適した場所から遠く離れた山の斜面や頂上部分にある遺跡があります。また、ムラの周りに溝を巡らせた遺跡があります。これらのムラは、他のムラなどの外敵から身を守るために造られたと考えられています。
- 1.神戸にはじめて人が住み始めたのは、いつ頃?
神戸で一番古い遺物は、今から約2〜3万年前に作られてと考えられるナイフ形石器と呼ばれる槍先が兵庫区会下山遺跡から採集されていますから、この頃、人が住み始めたと考えられます。
- 2.石のやりってどうやって使うの?
石のやり先を木の棒の先に取り付け、それをそのまま動物に突き刺したり、木で作った槍なげ器を使って投げやりとして使用したと考えられます。
- 3.この石やりでどんな動物をとっていましたか?
当時の狩猟の対象は氷河期の化石などからマンモスやオオツノジカなどの大型の哺乳類だと考えられています。
- 1.縄文土器は、世界で一番古い土器なの?
縄文土器の年代をC14年代測定法という方法で測ったところ、今から13,000年前と言われています。このことから日本の縄文土器が世界で一番古い土器といわれています。近年、シベリアや中国などでもよく似た土器が発見されてきています。これらのことを考えると日本を含む、東アジアで土器が発明された可能性は高いと考えられます。
- 2.縄文時代の人々は、何を食べていましたか?
考古学で、古代人の食べ物を特定することは非常に難しい。なぜでしょう、食べ物は食べてしまうと消化され残らないからです。しかし、何かヒントになるものがあるはずです。それは食べ物の残りかす、そう「ゴミ」です。貝塚は縄文人の残した巨大なゴミ箱です。ここから当時の人の食生活を考えてみましょう。貝塚の中に残る大半は貝殻です。ハマグリ・アサリ・カキなどの海の貝のほか蜆などの淡水産の貝殻もあり、いろいろな種類の貝を食べていたことがわかります。貝塚では魚の骨も多く見つかっています。タイ・スズキ・鯉やウグイなどの魚類も食べていました。イルカや鯨・すっぽんなどの骨も見つかっています。陸のものとしては鹿やイノシシ・狸などの骨には火で焼かれた跡や骨を割った痕跡が見つかるものもあります。また、石皿や磨石など植物加工の石器があることから、栗やどんぐり、くずや蕨の根など植物性のでんぷんなども食べていたと考えられます。身近にある利用可能なものは、すべて食べようとしていたと考えられます。
- 3.縄文土器と弥生土器はどこが違うの?
縄文土器は縄文時代(植物採集経済)に使われた土器、弥生土器は弥生時代(食物生産経済)に使われた土器、土器そのものから区別することはできません。弥生土器でも九州と北海道ではまったく違った文様や形です。同じ地方の土器には縄文土器と弥生土器とが似たものがあったりします。
- 4.縄文人の足跡は、なんで残ったの?
垂水日向遺跡で見つかった縄文人の足跡は、干潟の浅瀬に残ったものです。縄文人が歩いた後に火山灰が降ったため、発掘調査で泥の中に足跡が見つかったのです。
- 5.なんで、縄文人には、指がないの?
残った縄文人の足跡に指が無いのは、泥が埋まる時に指の痕跡が残らずに埋まったためです。指が無かったわけではありません。
- 1.弥生時代はいつ頃始まるの?
弥生時代の始まりは本山遺跡の土器を使ったAMS年代測定法という最新の年代測定の結果、今から約2,500年前頃と推定されます。
- 2.なんで弥生土器って言うの?
弥生土器と呼ばれるのはこの土器が、先に見つかった縄文土器と異なっていたことから、見つかった地名本郷弥生町から命名されたものです。この場所は東京都文京区、現在の東京大学付近とのことです。
- 3.弥生人は、どんなお家に住んでいたの?
弥生時代の人々の住居は地面に穴を掘って、そこに柱を立てた茅屋根の家です。埋蔵文化財センターには当時の住居を復元した展示があります。
- 4.住居の中にいる人は何をしているのですか?
住居の中の人は、火起こしをしている様子を復元したものです。
- 5.銅鐸って何?何に使われたのですか?
銅鐸は、収穫を祝うまつりのときなどに使われた、道具と考えられています。たたいて鳴らすのではなく。中に木の棒などをぶら下げて鳴らすベル、今で言うと風鈴のようなものです。
- 6.石包丁の穴は何のためにあるの?
石包丁にある穴は紐を通して、その紐に指を掛けて稲穂を摘み取りやすいように使っていたと考えられます。
- 7.貫頭衣ってどんな服なの?
『魏志倭人伝』に書かれている弥生人の婦人の服装です。布の中央に穴をあけ、そこに頭をとおして身体に覆って、紐で結んで着ていたと思われます。材料はカラムシという麻の一種類だと思われます。
- 1.埴輪には、どんな種類がありますか?
埴輪には、時期や地域の違いによりいろいろなものがあります。最も一般的なのが円筒埴輪や朝顔形埴輪です。人物埴輪には武人や巫女などのほか、力士をかたどったものなどがあります。動物埴輪には、水鳥や鶏・馬などのほか、猪・鹿やサルなどの埴輪もあります。このほか家型埴輪や兜や盾などの武具をかたどった埴輪など、当時の人たちの服装や家の形などを知るための重要な資料となるものが多くあります。
- 2.巫女ってどんな人なの?何をする人なの?
巫女は神に仕える女性です。
- 3.埴輪は何のために立てたの?
埴輪をなぜ古墳の周りに立てたのかは、いろいろな説がありますが、埴輪を古墳に2重・3重に囲むことで、一般の人々をそこに立ち入らないようにしたものと考えられます。
- 4.埴輪の穴(透かし穴)は、何のために開けているの?
円筒埴輪の透かし穴には、△・○・□などの形があります。元は弥生時代の終り頃の器台の文様に使われた透かしが、埴輪にも使われるようになったものです。この穴は埴輪を焼く時に、内側まで火が通るという実用性もあったと思われます。
- 5.甑(こしき)って何にどのようにして使うの?
甑は米などを蒸す道具です。5世紀になって、大陸から伝わりました。このことから、焼く・煮るという調理法の他に新たに蒸すという調理法が加わったことがわかります。