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U30 CITY KOBE

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SCROLL▽

ABOUT

未来に向かって、可能性を信じ、
夢を追いかけて、頑張る人がいる。

「U30 CITY KOBE / UNDER THIRTY CITY KOBE」は、
神戸を拠点に、さまざまな分野で活躍する若者たちにスポットを当てた
ドキュメンタリーフィルムです。

出演する若者たちは活躍するフィールドや職業も様々。
ただ共通するのは、「夢を追い続けている若者たち」ということのみ。

彼らがどんな想いを胸に抱き、現在進行形で、
どんな夢に向かっているのか。
そんな彼らのリアルな姿に、限りなく近づきながら、
今と未来を感じさせるドキュメンタリーフィルムで迫ります。

最初から成功があるわけではない。
試行錯誤や困難を乗り越えてこそ、今がある。
成功体験だけに焦点を当てるのではなく、
ご覧いただくみなさんにとっても、
「よし、自分もがんばろう」と思えるような作品をお届けできればと思います。

「U30 CITY KOBE」
神戸という街には、今日も、成長するストーリーがある。

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MUSIC

「U30 CITY KOBE」のテーマ曲は、国内外で活躍する
神戸市在住・音楽プロデューサー「tofubeats」が作曲。

若い世代が何かに挑む姿を伝える「U30 CITY KOBE」。このフィルムのテーマ曲を作曲したのは、神戸市在住であり、まさに同世代でもある音楽プロデューサーのtofubeats氏。“神戸で頑張る若者への応援歌”という想いも込められた、躍動感あふれる「U30 CITY KOBE」オリジナルトラック。

tofubeats氏からのコメント
「神戸に暮らす20代として同世代の皆様へ、様々な目標へ向かう道中で、テンションを上げられるようなBGMになれば良いなと思い、制作させていただきました。」

曲のフルバージョンは、上部のON/OFFを
ONにしていただけるとお聴きいただけます。

音楽プロデューサーのtofubeatsさん
PROFILE
1990年神戸生まれ、神戸市在住。音楽プロデューサー/トラックメイカー。10代からインターネットを軸に活動をスタート。2013年4月に「水星 feat.オノマトペ大臣」を収録したアルバム「lost decade」を自主制作にて発売。同年秋には森高千里をゲストボーカルに向かえた「Don't Stop The Music」でメジャー・デビュー。
2014年10月2日(トーフの日)にメジャー1stフルアルバム「First Album」を発売。続く2015年にはEP「STAKEHOLDER」をリリース。そして9月16日に、岸田繁(くるり)、KREVA、小室哲哉、Dream Ami、玉城ティナらバラエティに富んだゲストが参加したメジャー2ndアルバム「POSITIVE」を、2016年1月にはそのリミックス・アルバムとなる「POSITIVE REMIXES」をリリース。
webサイト

FILM#05

トラックメイカー/DJ tofubeatsさん

MOVIE

10代から没頭した
音楽の世界。

神戸市で生まれ、現在も神戸市を活動の中心としながら、さまざまなアーティストへの楽曲提供やリミックスを手掛けるtofubeatsさん。学生の頃からインターネットを駆使した活動が中心だったため、メディアで紹介される時も、“ネット世代のアーティスト”と言われることが多いtofubeatsさんですが、そもそも音楽をネットで発信しようと思ったきっかけとは?
「中学生の時に部活が同じだった友人から、ヒップホップというジャンルの音楽を教えてもらったのがきっかけで、音楽を作りたいと思いました。高校に入るとその熱はヒートアップして、学校が終わったらすぐ帰って機械に触れるぞと思って。毎日、とにかく急いで家に帰っていたのを覚えています。どんな機材を買えば一人でも音楽を作れるのかということも僕はネットで知り、自分の曲をアップする方法もネットで知りました。そして作った曲をアップすると、いろんな場所のいろんな世代の方々からレスポンスがありました。これも自分の創作活動のモチベーションを保つ上でもすごく合っていましたし、場所を越えて発表できるのも魅力だなと感じていました。だから、僕の場合は、もう音楽を始める入り口からインターネットありきという感じでした。」
その後、大学生の時につくった曲が、配信チャートで1位を獲得したり、年間のランキングに載ったりとスマッシュヒット。一躍、tofubeatsさんの名前が世に知れ渡りました。

トラックメイカー/DJ tofubeatsさん

“U30 CITY KOBE”
という曲に込めた想い。

若い世代が何かに挑む、リアルな姿を伝える“U30 CITY KOBE”。tofubeatsさんには、このフィルムのテーマ曲を作曲していただきました。どんな想いで作曲されたのでしょうか。
「この曲は、キーが上がっていくんですけど、やっぱり神戸に住む20代として同世代のみなさんのテンションを上げられるようなBGMになればいいなという想いがそのまま曲に表れた感じです。日頃、DJとして日本の各都市に行くと、活気づいている街というのは当然ながらたくさんあって。その時に思うのは、やっぱり地元愛というか、神戸も負けずに頑張ってほしいなと。神戸は人口150万人もいるところだし、実際に住んでいるので思うこともいろいろあってもっと頑張れるんじゃないかと。自分の曲でもこれほど過剰にキーが上がったりする曲は珍しく、自分のライブでもよくこの曲はかけています。」と語るtofubeatsさん。まさにU30世代アーティストによる、U30 CITY KOBEへの応援歌だ。

トラックメイカー/DJ tofubeatsさん

好きなものだからこそ、
嫌なことをして
嫌いになりたくはない。

音楽好きが高じてミュージシャンになったtofubeatsさん。仕事をする上で大切にしているスタンスは一貫して“誠意を持つこと”だそうです。
「好きなことに対して嘘をつくのは、すごく誠意がないことだと思っていて、それこそ音楽で嫌なことをやるっていうことほど、嫌なことはないですから。
仮にそのスタンスにこだわらず、割り切っていたら、もっとおいしい仕事があるかもしれない。でも、そういうことをしていくと、どんどんそういう循環になっていって、自分のやりたい音楽とは離れていくと思うんですね。だからこそ、仕事で大切にするのは、とにかく、誠意を持って話すこと。僕が好きな機材のメーカーの社長さんが毎回会うと一生懸命話してくださるんですけど、ある日「なぜそんなに一生懸命話してくださるんですか。」と尋ねたんです。すると、「俺にできることは一生懸命しゃべることくらいだから。」とおっしゃられたのがとても印象的で。それ以来、僕も影響を受けて、とにかく誠意を持って対応しようと決めました。インタビューも本来であればミュージシャンなので無口でも構わないかもしれない。でも僕の場合、曲を説明する時も、誠意を持ってたくさん話すことを心掛けています。確かに一生懸命やれば必ず成功するわけではないかもしれませんが、誠意をもって伝えると、必ず分かってくれる人はいる。今、自分のやり方を尊重してくれる人が周りにいることは、ただ運がいいといえばそれまでですが、そのような自分の想いが連鎖した結果だと思っています。」

トラックメイカー/DJ tofubeatsさん

30歳までに神戸で
スタジオをつくりたい。

今や世界各国でも注目を集めるtofubeatsさん。今後の目標や、やってみたいことはどんなことがあるのでしょうか。
「今やっている活動を加速させるためにも、30歳までには本格的なスタジオを神戸で建てたいなと思っています。今まではオファーがあっても、なかなか億劫で行けなかった海外のライブなども今年からもっと頑張っていこうと考えています。まだU30世代ではありますが、若手というシチュエーションに甘えることなく、30歳や40歳、そして50歳になっても音楽を作ることをただ続けていきたいですね。未来の自分が、今の自分よりいい曲を作っている。そんな日のために今から頑張っていけたらいいなと。それがここ神戸からやっていけたらなおさらいいなと思っています。」
そう話すtofubeatsさんの新たな鼓動がここ神戸から、また始まっていた。

トラックメイカー/DJ tofubeatsさん

トラックメイカー/DJ tofubeatsさん
PROFILE
1990年生まれ。神戸市生まれ神戸市在住。10代から楽曲制作を始め、インターネットを駆使して世間に発信。2013年メジャーデビュー。ジャンルを問わず様々なアーティストのリミックスやプロデュースを行う傍ら、自身のライブ活動も精力的に行なっている。
webサイト

FILM#04

シューズデザイナー 吉田加奈さん KANA YOSHIDA

MOVIE

靴づくりを学ぶために、
徳島から神戸へ。

地元徳島県の美容専門学校を卒業後、ブライダルコーディネーターの仕事へ進んだ吉田さん。人生の幸せな瞬間に立ち会う仕事に喜びを感じていた吉田さんですが、一転して靴づくりの世界へ。その理由とは?
「ブライダルコーディネーターの仕事をしているときに、花嫁さんのドレスはとても綺麗なのに、靴は可愛いものが少ないなと感じたんです。もっと可愛い靴があればいいのになあと。初めはブライダル業界に身を置く側からの意見だったのですが、徐々に、ないのなら作ってみたいなと。その想いが強くなり、靴づくりを学ぶために神戸へやってきました。」と語る吉田さん。そして、吉田さんが学びの場に選んだのは、神戸ものづくり職人大学。
「まず、靴を学ぶなら、どこがいいだろうと考えました。学生時代からよく服や靴を買いに行っていた神戸がパッと頭に浮かんで。パソコンで検索したら、大学があることを知り、入学を決意しました。神戸市が運営していることも安心でしたし、職人さんが教えてくれるという実践型の学びがあることも大きかったですね。」

シューズデザイナー 吉田加奈さん KANA YOSHIDA

歩くことも、
アイデアの収集。

現在、神戸市内のケミカルシューズ会社で企画の仕事をしながら、オーダーシューズの受注も個人の活動として行っている吉田さん。
大学卒業後も神戸で働くことに、強い想いがあったそうです。
「一番はこの街にいることが、私の靴づくりにとって、非常にいい影響があることですね。色合いやセンスのよい道、レトロな建物など、神戸の街は私にとって、デザインのヒントをくれる大切な存在。ふだんはアトリエでデスクに向かいながらデザイン画を描いていますが、イメージが浮かばないときはひたすら街を歩いたりすることもしばしばです。」と笑う吉田さん。ただ、その中でも、オリジナリティを追求することは忘れない。
「オーダーしていただくお客様の好みなど、あらゆることをインプットしてからデザインを考えていきますが、アウトプットするときは、ちゃんとオリジナリティがある靴か。それがないと、オーダーシューズの意味がないので。お客様から満足いただくためにも、そこはとても意識しています。」

シューズデザイナー 吉田加奈さん KANA YOSHIDA

この仕事を通じて
できた親孝行。

靴づくりを学ぶために神戸市へ引っ越してきた時、お母さんが大切にしていた靴を履いてきたと語る吉田さん。その真意とは。
「私にとって、靴づくりの道へ進むことは、かなり覚悟を決めたことでした。その時に、母が大切にしている靴がふと頭に浮かんだんです。
“いい靴を履いていたら、いいところへ連れて行ってくれるんだよ。”と母が、幼いころの私に言っていたのを、ずっと覚えていて・・・。」
偶然にも、吉田さんとお母さんの靴のサイズは一緒。この靴があれば、絶対にいいところへ連れて行ってくれる。そんな想いで、大切なお母さんの靴を履きながら、吉田さんは神戸で励む日々。その証しとして、今やその靴は、とても使い込んだ印象に。
「気がつけば、かなりボロボロになっていました。(笑)恩返しというわけではないですが、同じ靴を買って返すのではなく、私が作って返すことにしました。実は、その靴が、誰かのために作った記念すべき第一号のシューズなんです。」と、ちょっと恥ずかしそうに微笑む吉田さんが印象的でした。

シューズデザイナー 吉田加奈さん KANA YOSHIDA

靴をつくることは、
人の笑顔をつくること。

ずばり、靴づくりの魅力とはどこにあるのでしょうか。
「私が作った靴を通じて、いろんな人が喜んでくれる。それに尽きますね。一足できるまでにも、さまざまな工程があり、時間もかかりますが、その時間すら愛おしいですね。“この靴、絶対あのお客様に似合うだろうなぁ”とか、“あー早く見せたい”などと、いろんな想いを巡らせながら、いつも靴を作っています。これからも、靴を通じて、お客様や出会うすべての人々と幸せなエネルギーを共有していきたいですね。」
まだまだ、吉田さんの夢は、続いていく。

シューズデザイナー 吉田加奈さん KANA YOSHIDA

シューズデザイナー 吉田加奈さん KANA YOSHIDA
PROFILE
1987年生まれ。徳島県出身。5年間ブライダルコーディネーターとして勤務した後、靴づくりの道を目指し、神戸ものづくり職人大学へ入学。卒業後、神戸市内のケミカルシューズ会社へ入社。現在は、勤務の傍ら、オーダーシューズの受注も個人の活動として行っている。

FILM#03

BMXショップマネージャー 新川由貴さん YUKI SHINKAWA

MOVIE

BMXに魅了され、
神戸に魅了された。

20歳の時にBMXと初めて出合った新川さん。趣味でBMXに乗る友人に少し乗せてもらったことがきっかけだったとか。
「わりとスポーツには自信があって、なんでもすぐできる方だったので、自転車だし簡単だと思っていたらこれがとても難しくて。わ、これなんだろう。という驚きもあったし、できないのが、また悔しくてスポーツ魂に火がつきました。」と語る新川さん。
やがてBMXライダーとして練習に熱中する中、神戸が気になったという。「やはり、メリケンパークというロケーションが、私にとっては憧れで。あの場所で乗れたらいいなとずっと思っていました。」やがてその想いは行動に変わり、新川さんは大分県から神戸へ。
「大分から神戸はフェリーで一本なんですよ。その利便性も、私の夢を後押ししてくれたかな。」と新川さんは笑う。

BMXショップマネージャー 新川由貴さん YUKI SHINKAWA

夢を仕事にできるとは
思っていなかった。

大分県在住の頃から、会社の経理担当として働いていた新川さん。
神戸移住後も、その強みを生かし働く毎日だった。
「最初は会社できちんと働いて、趣味でBMXをしている感じだったので、それを仕事にするとは全然考えていなかったですね。ただ、やりたいことをいろいろ考えていた時期で、写真も好きだったし、グラフィックデザインの学校にも通いだしたりしていたのですけど、ちょうどそのときに、BMXのショップから誘いがありまして・・・。その時、“そうだ。BMXの世界だったら、ライダーの写真も撮れるし、デザインも求められることあるだろうし、人と会うことも好きだし、全部が叶う場所だ“と思って、決断しました。」
今ではお店のマネージャーとして、ライダースクールも定期的に開催して教えることも多い。「最近お子さんのライダーも多くてうれしいですね。難しい競技だけど、乗る楽しさを教えたくて。もっとメジャーなスポーツになったらいいなと思います。」

BMXショップマネージャー 新川由貴さん YUKI SHINKAWA

この1台で、友達は
何百人とできました。

BMXライダーとしても活躍する新川さん。
「もともと上がり症で、人と話すのが苦手でした。だから、目立つことをするのが大嫌いだったので、今でも、なぜ大きなステージや大会に出ているのだろうと不思議なんですよ。」
大会では、友人に成長を見せることが楽しみになっていると語る。「長い間、この競技を続けているので、大会に出場する選手は、だいたい知っている方ばかりですね。その時には、ライバル意識というよりも、私の成長を見てほしい。そこが喜びだったりします。
元々は人見知りなのに、このBMX1台のおかげで、友達が本当にたくさんできました。普通の話だと緊張してしまうけど、BMXという共通の話題なら、いろいろと話せる。私にとっては、スポーツであり、大切な自分の居場所をつくってくれる存在であり、人生を変えてくれた宝物でもありますね。」

BMXショップマネージャー 新川由貴さん YUKI SHINKAWA

BMXに乗る女性を
もっと増やしていきたい。

女性のライダーはまだまだ少ないBMXの世界。その中でも、光り続ける新川さんには、大切な夢がある。
「やっぱり、あんなふうな人になりたいなと思ってもらえるような存在になることが私の夢ですね。背中を見せていけるようなことができればと思っています。ただ、そのように思っていただくためには、BMXにちゃんと乗れていないと、何もはじまらないので、どんどんうまくなっていきたいですね。だからこそ、女の子ができっこないと思われている技をどんどんやっていきます。」

BMXショップマネージャー 新川由貴さん YUKI SHINKAWA

BMXショップマネージャー 新川由貴さん
PROFILE
1986年生まれ。大分県出身。BMXの本場、神戸に魅せられ、現在は神戸市在住。ガールズライダーとして、新しいBMXのシーンをつくるべく神戸で奮闘する傍ら、BMXショップマネージャーとしても励む日々。

FILM#02

義肢装具士 藤本和希さん KAZUKI FUJIMOTO

MOVIE

その人の、日常をつくる。

「義足をつくることで、その人の日常にひとつでも多くの楽しみをつくっていきたい」そう語るのは、義肢装具士・藤本和希。
ファッションにこだわり、友人の制作する映画にも出演し、一方でファッションショーや写真展、絵画展を企画するなど、興味があることは、全てやってきた10代。一通り挑戦した中で、次のライフステージでは“誰かのサポート役になる仕事をしたい”と思うように。その時、頭の中によみがえってきたのが、高校時代、サッカーによる足のけがでお世話になった義肢装具士という存在だった。
今では、神戸の大手義肢装具会社に勤め、義足専門の課に所属。ポートアイランドで行われた義肢装具士の学術大会(第23回日本義肢装具士協会学術大会)でも重要なポストを任され、ゲストスピーカーの通訳まで務めた。海外の義肢装具について深く理解するために、時間がある時は、ひたすらイヤホンで英語を学んでいる。
そんな彼の目標は「その人の暮らしにフィットする義足をつくること」、利用者の方との対話を大切にし、医師をはじめとした医療現場のスタッフともディスカッションしながら、一本の義足をつくっていく。
そう、全ては、“その人の暮らしにフィットする義足”をつくるために。

義肢装具士 藤本和希さん
PROFILE
1989年生まれ。高校時代、サッカー部の試合中に足のけがをしたことをきっかけに、義肢装具士の存在を知る。福祉系の専門学校を経て、神戸市内の義肢装具会社に就職。ISPO(国際義肢装具協会)認定の義肢装具士として、励む日々。

FILM#01

写真家 田中雅也 MASAYA TANAKA

MOVIE

写真は、全体像で撮る。

今、ファッション業界から熱い注目を浴びている若き写真家・田中雅也。
「完全なバランスより、ややアンバランスな個性を残しながら、全体像で撮る。」という彼の写真は、独創的な世界を生み、その評判は国内を越え、海外モデルエージェンシーからも人気が高い。
ファッション専門学校の学生時代、たまたま先生が持ってきていたブランド広告の写真を見て、「強い衝撃を受けた」と語る田中氏。服だけではなく、背景も含めた全体像の美しさにただ圧倒され、自分もこのような写真を撮りたいと決心。専門学校へ通いながら、フォトグラファーアシスタントとしての活動もスタートさせる。
現在、ファッションのみならず、ポスター等の広告キャンペーンにも携わる田中氏。
プロのカメラマンとして現在7年目、決して、苦労なしで来たわけではない。
どうすれば、自分のイメージする写真が撮れるのか。
それが分からず、ただただシャッターを切る、枚数だけが増える日々もあったという。
改めて自分と対峙し、挑み続けて見えてきた「自分らしい世界観」とは?
そんな写真家・田中雅也氏の育ってきたルーツから現在、そして未来へと迫ります。

写真家 田中雅也さん
PROFILE
1990年神戸生まれ、神戸市在住。フォトグラファーアシスタントを経て、スタジオフォトグラファーとして年間1000人以上の人物を4年間、撮り続ける。現在はフリーランスとして広告、ファッション、ビューティーの仕事を中心に活動中。
webサイト

To be continued...