西暦
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年号
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月
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日
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事項
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備考
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新修神戸市史
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1781 |
天明1 |
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本居大平が有馬に滞在し、「有馬日記」を著す |
有馬温泉 |
第3章第7節4 |
1782 |
天明2 |
4 |
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極楽寺が再興される |
有馬温泉・災害 |
第2章第5節2 |
1782 |
天明2 |
9 |
14 |
薬師堂(温泉寺)が上棟される |
有馬温泉・災害 |
第2章第5節2 |
1783 |
天明3 |
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敏馬神社に俳諧額が奉納される |
文化 |
第4章第7節3 |
1784 |
天明4 |
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この頃、旧来よりの江戸積酒造地9郷と灘3郷により摂泉江戸積十二郷酒造仲間が形成される |
灘酒造業 |
第3章第5節3 |
1786 |
天明6 |
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幕府が酒造制限(元禄調高の半石)を行う |
灘酒造業 |
第4章第5節1 |
1787 |
天明7 |
5 |
13 |
兵庫で打ちこわしが起こる |
飢饉 |
第3章第2節3 |
1788 |
天明8 |
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司馬江漢が兵庫近辺を遊覧する |
文化 |
第3章第7節5 |
1788 |
天明8 |
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幕府より諸国巡検使が派遣される |
幕府の諸政策 |
第4章第1節1 |
1788 |
天明8 |
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幕府が酒造株改めを実施する |
灘酒造業 |
第4章第5節1 |
1789 |
寛政1 |
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幕府が酒造制限(新株高の3分の1)を行う |
灘酒造業 |
第4章第5節1 |
1790 |
寛政2 |
5 |
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佐比江町の御影屋松右衛門が、幕命により択捉島に波止場を建設する |
海運 |
第4章第2節1 |
1791 |
寛政3 |
7 |
10 |
西摂に江戸積油問屋が成立 |
絞油業 |
第4章第4節2 |
1791 |
寛政3 |
7 |
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幕府が、中国地方諸国など13ヶ国の菜種の大坂廻送を禁止し、兵庫の菜種問屋に廻送させる |
絞油業 |
第4章第2節1 |
1792 |
寛政4 |
10 |
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幕府が、下り酒の江戸入津につき酒造地・樽数を制限する |
灘酒造業 |
第4章第5節1 |
1792 |
寛政4 |
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灘目の酒造株に対し冥加金が課せられる |
灘酒造業 |
第4章第5節1 |
1793 |
寛政5 |
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寛政の改革が終わり、幕府の酒造統制が緩和に転じる |
灘酒造業 |
第4章第5節2 |
1796 |
寛政8 |
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脇浜村の俳人赤坂桃葉の追善集『ひとえけし』が刊行される |
文化 |
第4章第7節3 |
1798 |
寛政10 |
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『摂津名所図会』刊行 |
地誌・紀行 |
第2章第4節4 |
1799 |
寛政11 |
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高田屋嘉兵衛が幕命により択捉島への航路を開く |
海運 |
第4章第2節1 |
1803 |
享和3 |
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『播磨名所巡覧図会』が記される |
地誌・紀行 |
第3章第7節5 |
1805 |
文化2 |
8 |
25 |
摂津・河内の568ヶ村が菜種・綿実の自由販売などを求めて訴願を行う |
絞油業 |
第4章第3節1 |
1806 |
文化3 |
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幕府が酒造制限を撤廃する |
灘酒造業 |
第4章第5節2 |
1809 |
文化6 |
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江戸の下り酒問屋株が幕府より公認される |
灘酒造業 |
第4章第5節6 |
1811 |
文化8 |
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御影村嘉納屋重兵衛の持ち船歓喜丸が漂流、乗組員はカムチャッカでロシア人に保護される(16人中6人が翌年帰国) |
海運 |
第5章第5節3 |
1812 |
文化9 |
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高田屋嘉兵衛が国後でロシア船にだ捕される |
海運 |
第4章第6節2 |
1816 |
文化13 |
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大和高取藩医柘植彰常が有馬温泉の調査を行い、「温泉論」「温泉論附録」を著す |
有馬温泉 |
第5章第6節2 |
1821 |
文政4 |
2 |
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室田霞亭が大坂の西照庵で画展を催す |
文化 |
第4章第2節3 |
1821 |
文政4 |
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兵庫駅と周辺の助郷村との間で、人馬役負担をめぐる争論が起こる |
交通・争論 |
第5章第6節1 |
1821 |
文政4 |
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湯山町〜菟原郡北畑村の賃運送が、周辺駅所の出訴により差し止められる |
交通・争論 |
第5章第6節1 |
1822 |
文政5 |
8 |
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幕府が、兵庫菜種問屋の西国13ヶ国の菜種買い入れ・西摂油問屋の江戸への直積を禁止する |
絞油業 |
第4章第4節2 |
1823 |
文政6 |
5 |
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摂津・河内の1007ヶ村が実綿の自由販売を求める訴願を行う |
絞油業 |
第4章第3節2 |
1824 |
文政7 |
4 |
13 |
摂津・河内・和泉の1307ヶ村が菜種販売・油購入などにつき訴願を行う |
絞油業 |
第4章第3節2 |
1826 |
文政9 |
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酒造の自主規制を申し合わせた摂泉江戸積十二郷酒造仲間の大行司らが処罰される |
灘酒造業 |
第4章第5節2 |
1827 |
文政10 |
8 |
25 |
武庫・菟原・八部郡の83ヶ村が、住吉村吉田屋の菜種買い付け独占を訴える |
絞油業 |
第4章第3節2 |
1827 |
文政10 |
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楢原謙十郎らが幕府より大坂に派遣され、油の流通調査を行う |
絞油業 |
第4章第4節2 |
1828 |
文政11 |
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上灘郷が分裂して東組(青木・魚崎・住吉)・中組(御影・石屋・東明・八幡)・西組(新在家・大石)が形成される |
灘酒造業 |
第3章第5節2 |
1829 |
文政12 |
9 |
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明石藩が銀札の通用を停止する |
松平氏の明石藩政 |
第4章第1節3 |
1831 |
天保2 |
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この頃より、北風荘右衛門が北海道・北陸の北前船主らと取引関係を結ぶようになる |
海運・兵庫津 |
第4章第6節2 |
1832 |
天保3 |
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灘三郷の酒造家に新規株が交付される |
灘酒造業 |
第4章第5節3 |
1833 |
天保4 |
8 |
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兵庫で米屋の打ちこわしが起こる、米の廉売が行われる |
飢饉 |
第4章第2節2 |
1833 |
天保4 |
12 |
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尼崎藩が銀札の引き替えを停止する |
松平(桜井)氏の尼崎藩政 |
第4章第1節3 |
1836 |
天保7 |
9 |
25 |
天保の飢饉により、神戸村で粥施行が始まる |
飢饉 |
第4章第1節2 |
1836 |
天保7 |
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幕府が酒造統制を強化する |
灘酒造業 |
第4章第5節3 |
1838 |
天保9 |
9 |
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名古屋の医家宇津木益夫が「有馬温泉功能略記」を著す |
有馬温泉 |
第5章第6節2 |
1839 |
天保10 |
8 |
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武庫・菟原・八部郡の村々が、座頭・虚無僧らの勧進の規制を求め訴願を行う |
争論 |
第4章第3節3 |
1840 |
天保11 |
4 |
22 |
下谷上村天彦根神社の長殿(農村舞台)が建立される |
文化 |
第4章第7節2 |
1840 |
天保11 |
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西宮の宮水(硬度5度内外の硬水)が酒造に用いられ始める |
灘酒造業 |
第4章第5節4 |