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神戸市文書館
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灘の酒造業
1 在方酒造業地灘
2 日本酒のルーツ
3 江戸積みの酒
4 近世前期の酒造地域
5 近世前期の灘酒造業
6 酒造働人の出稼ぎ
7 灘の江戸積み酒造業の興り
8 摂泉十二郷の成立と天明8年の株改め
9 灘・今津の酒株
10 樽廻船と新酒番船
11 江戸の酒問屋
12 文化文政期の灘酒造業と上灘郷の分裂
13 天保3年の新規株
14 宮水と水屋
15 屋の酒荷物積み出し状況
16 幕末の灘酒造業
17 摂津十二郷の解散
18 酒の自由営業
2 日本酒のルーツ
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  日本酒の起源は古く、その始まりは定かではありませんが、よく知られる『三国志』の「魏志倭人伝」に、「人性酒を嗜む」とあり、かつての日本民族が酒を持っていたことがわかります。また、『古事記』や『日本書紀』に登場する素佐男尊が八岐大蛇に八度醸した酒を飲ませ、酔い伏したところで大蛇を退治したという酒にまつわる記載があります。これがどのような酒だったのかわかりませんが、『古事記』と前後して編纂された『播磨風土記』に当時の酒造法が示され、ここにはカビ(麹)の酒が出てきます。稲作が行われていた当時、すでに今日と同じ麹と米による酒が造られ、人々はそれを飲む習慣を持っていたのです。
  神戸市灘区の柴田家文書(神戸市文書館)「酒造り始之由来」には日本酒の伝承が次のように記録されています。
酒造り始之由来
酒造り始之由来
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往古、禁裏で「造酒寮」といわれる官人が酒造りを行い、祭祀の節に用いていたが、少量の酒で一般に流通するものではなかった。足利時代になると酒の需要が多くなり、三人の造酒寮だけては賄いきれず、造酒の寮の縁者が酒を造り始めた。なかでも摂州表で造る酒は出来柄がよく、池田村の酒造家はこの子孫と伝えられている。近世、江戸の繁栄にしたがい多量の酒が求められ、人足牛馬で持ち歩いていた酒が船積みされるようになり、それを商う者が出てきた。酒の売買のとき、2樽を1駄といい、1樽を片馬というのはこの牛馬で運送したなごりである。
  天明3年(1783)に書かれた「酒造り始之由来」に以上のような記述があります。
  江戸時代隆盛をきわめた上方の酒は、中世、大和地方で造られた南都諸白の酒造法を継承した酒といわれています。
  都市や港を中心に経済活動が進展した鎌倉時代、諸種の産業とともに酒造りもまた、酒屋による利潤を目的とした商業として発展し、酒造りは全国的な広がりをみました。
  この中で、中世の酒造業に欠かせないのが寺院による酒造りです。天台宗天野山金剛寺の「天野酒」や、大和国菩提山正暦寺の「菩提泉」、近江国百済寺の「百済寺」などの銘酒が醸造されています。そして、このころに、それまでの酒とは異なる諸白酒が誕生します。
  かつての酒造りは、麹米には玄米を、掛け米(もろみの仕込みに用いる米)には白米を用いたようですが、麹米にも掛け米にも白米を用いた酒を諸白酒と称しました。また、16世紀の中ごろから、現在の酒造りと同じ三段仕込み(酵母の増殖をはかりながら麹米・蒸米・水を3回に分けて仕込む方法)の手法が取り入れられ、これまでの酒とは違う革新的な清酒が奈良の寺院を中心に造られたことから、この酒は「南都諸白」といわれました。今日の日本酒の原型ともいえるこの南都諸白を継承し、さらにその技法を確立させ、江戸時代の酒造業の中心となったのがのちに摂泉十二郷と称された地域です。