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灘の酒造業
1 在方酒造業地灘
2 日本酒のルーツ
3 江戸積みの酒
4 近世前期の酒造地域
5 近世前期の灘酒造業
6 酒造働人の出稼ぎ
7 灘の江戸積み酒造業の興り
8 摂泉十二郷の成立と天明8年の株改め
9 灘・今津の酒株
10 樽廻船と新酒番船
11 江戸の酒問屋
12 文化文政期の灘酒造業と上灘郷の分裂
13 天保3年の新規株
14 宮水と水屋
15 屋の酒荷物積み出し状況
16 幕末の灘酒造業
17 摂津十二郷の解散
18 酒の自由営業
18 酒の自由営業
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  明治政府は慶応4年(1868)5月「商法大意」を公布し、旧幕時代の特権的な株仲間を廃し、営業の自由を触れましたが、酒造については旧酒造株を書き換え、これを「酒造鑑札」とし、制度的には旧幕時代の酒造制度を踏襲しました。
  この時の灘三郷(摂津八部郡・兔原郡・武庫郡)では、酒株およそ50万5577石余として、その書き換え料は10万1115両余(100石につき20両)という高額の出費にかえて酒造業の営業特権を得ようとしました。ところが、明治4年(1871)、廃藩置県が実施されるにあたり、新政府の酒造政策が新たに示されました。 
従来の鑑札を没収し、新鑑札を付与する。
新規免許料として金10両、毎年1人金5両を徴収する。
醸造税として、売値の5パーセントを課税する。
この「清酒濁酒醤油鑑札収与並ニ収税方法規則」によって、これまでの酒造家の営業特権は廃され、免許料を納めれば誰でも自由に酒造業を営むことができるようになりました。