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灘の酒造業
1 在方酒造業地灘
2 日本酒のルーツ
3 江戸積みの酒
4 近世前期の酒造地域
5 近世前期の灘酒造業
6 酒造働人の出稼ぎ
7 灘の江戸積み酒造業の興り
8 摂泉十二郷の成立と天明8年の株改め
9 灘・今津の酒株
10 樽廻船と新酒番船
11 江戸の酒問屋
12 文化文政期の灘酒造業と上灘郷の分裂
13 天保3年の新規株
14 宮水と水屋
15 屋の酒荷物積み出し状況
16 幕末の灘酒造業
17 摂津十二郷の解散
18 酒の自由営業
17 摂泉十二郷の解散
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  摂泉の江戸積み酒造家が仲間を組織し、十二郷のうちで大坂三郷の酒造行司から酒造大行司を選び、酒造大行司が、新旧酒造地域の利害の調整および江戸酒問屋との交渉にあたるというのが十二郷成立当初からの慣行でした。しかし、新興の灘酒造業の驀進的な展開によって、伸びようとする灘郷と、その勢いを押さえようとする9郷の対立の激化が表面化し、さらに上灘郷内の分裂という十二郷の存続が困難な状況のなかで明治維新を迎えましたが、明治四年、十二郷は集会の上、下記3カ条の規約を申し合わせ、仲間の結束を再度確認しあっています。
一、 大政一新後万端変革があり、酒造業についても同じであるが、今後新たに規則の改正などがあっても一郷の料簡をもって軽忽の商業を致すまじきこと。
一、 十二郷一統の申し合わせに決して違背しないこと。
一、 我が儘な船積み方は致すまじきこと。
  このような申し合わせを行っています。しかし、すでに仲間としての結束はなくなり、違反したからといって、何ら罰則が行われることもありませんでした。また、堺郷のように市場を九州に広げるもあり、大坂三郷は酒の多くを大坂市中で販売し、灘五郷・伊丹・池田は東京積みを専らにする等、各郷の利害も異なり、行動を同じくすることはもはや困難な状態となっています。このようななかで、今津・西宮郷が十二郷組合解散を決し、各郷に報じました。
従来十二郷組合諸談事向万端御承知の通、申し合せ来たり候処、とかく我意相募り苦情を醸し、当今の形勢に相振れ候哉、不取締につき、以来盛大の御趣意に基づき県庁御公用の外郷別存寄、自由の権利をもって、御同前商業勉強致したく候につき…
  もはや各郷の足並みをそろえることは無理であるので、今後は自由に商売をしたいと述べ、さらにこれを問屋にも知らせました。 
兼ねて御承知の通り、古来十二郷組合諸事談合致し来たり候処、当今に至りとかく苦  情相募り論争苗間なく、商業上はなはだ差し障り(略)不都合千万につき、まず当分  十二郷解散、郷々自由の権をもって商業盛大勉強致したく種々談判の上、当今津・西  宮熟談相遂げ永世不朽の条約取り替し候間、以来諸談事向、外郷に拘わらず両郷より  御文通申し上げるべく候条、この段きっと御採用くだされたく候
  明治7年8月に今津・西宮でこのような取り決めをし、事実上十二郷は解散しました。 ちなみに今日の灘五郷は、文政11年(1828)に上郷が分裂した東組(青木・魚崎・住吉)・中組(御影・石屋・東明・八幡)・西組(新在家・大石)の三郷と今津郷、それに衰微した下郷(二つ茶屋・神戸・走水・脇浜)にかわり西宮郷を加えて「灘五郷」といい、これは明治19年に摂津灘酒造組合が設立されてからの名称です。