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古文書

>>江戸時代 >>近代・現代 >>居留地関係文書 >>雑誌(明治〜昭和初期)

 近代・現代
>>4
文書名
前田一郎家文書
解題
 前田家は、北区淡河町野瀬(旧播磨国美嚢郡野瀬村)の旧家である。綿屋の屋号をもち、昭和初期までは酒造りを営んでいた。当館が本文書を借用した際のご当主であった一郎氏で9代目とされる。文書は平成22年に一郎氏のご遺族より寄贈された。
 文書は、内容から大きく三つに分けられる。その一つは近世文書で、文化期(1804〜17)以降の黒子川筋の新堰設置をめぐる野瀬村と有馬郡屏風村との争論に関する文書、および正確な時期は不明であるが淡河村周辺の絵図からなる。これらは野瀬村の村方文書といえるが、前田家が近世野瀬村の庄屋等を勤めたかは現在のところ不明であるため、その伝来の由来は明らかではない。
近世文書以外は、明治後半から昭和期にかけての前田家の経営に関わる文書で、大きく二つに分けることができる。ひとつは、明治30年代から昭和期にかけての前田本家(熊市・敬助)の経営に関わる帳簿類で、呉服・染め物ほか諸物品の通い帳や小作料収入に関わる帳簿が含まれる。そして今ひとつは、前田熊市を原告とし、明治25年(1892)に始まった貸米請求訴訟に関する裁判史料(訴状・予審尋問書・答弁書・控訴状・参考人調書・判決書等)である。なお、この前田熊市は、改進党に加盟し、明治13年11月の第2回県会議員選挙に美嚢郡から初当選して以降、断続的に明治23年まで県会議員を務め、兵庫県における自由民権運動の中心人物のひとりとして知られるが、本文書中には彼の県会議員としての活動や民権運動に関わる文書は含まれていない。
備考
・閲覧可/複写可
・兵庫県における自由民権運動の中心人物としての前田熊市については、『新修神戸市史 歴史編W近代・現代』を参照。


文書名
八多中自治会文書〈寄託〉
解題
 北区八多町中地区の中自治会が地区内持ち回りで保管してきた文書群で、全502点。平成23年に同自治会より寄託を受けた。中地区は明治以前は摂津国有馬郡中村で、明治22年(1889)の市制町村制施行にともない周辺8か村が合併して発足した行政村八多村の大字となり(明治30年区制実施により中区)、昭和26年(1951)に神戸市兵庫区八多町の大字、昭和48年に北区八多町の大字となって現在に至る。
 文書のうち、作成年代の判明しているもので最古は延宝7年(1679)、最新は昭和33年(1958)の文書である。 ただし大正3年(1914)付の「日給簿」は昭和55年度まで使用されている。年代的には近世のものは少なく、明治以降のものが大半を占め、特に昭和に入ってからのものが多い。
 内容としては、近世では、文書中最古となる延宝7年の「摂津国有馬郡中村検地帳」を始め、名寄帳、年貢免状・皆済目録、ため池の築造や土砂留普請・水論など水利に関する文書、村の講に関する文書などがある。明治以降では、まず、村(大字・区)の行財政運営に関わって、地租改正に関する文書、ため池・堰堤や道・橋の整備修復に関する文書、山林の管理・保護や利用・売買に関する文書、村内集会の決議録、戸長役場の諸帳簿・書類の目録、風規改良規約などのほか、、協議費など毎年の村の経費とその村内での負担配分に関わる帳簿類を綴ったものが大正13年以降昭和33年に至りほぼ間断なく残されている。また、行政村八多村との関係にともなうものとして、村役場から中区あてに到来あるいは役場と区の間でやりとりした文書を綴った「重要文書綴」(昭和7〜28年)・「往復文書綴」(昭和5〜26年)、八多村の自治内容奉告書(明治45〜大正6年)・事務報告書(大正8〜昭和3年)、同じく歳出入予算書(昭和2〜17年)、八多村報(大正15年〜昭和5年)、八多村経済更生計画書(昭和8年)などがある。さらに、八多村農会の事業概要(大正9年)や大正3年から昭和55年にわたり中区での農作業の手間賃を記した「日給簿」といった農業関係文書、関東大震災や但馬・奥丹後地方の震災(大正14年・昭和2年)への義援活動に関する文書なども興味深い。
備考
・閲覧可/複写可
・中地区を含む八多村〜八多町については、『八多村誌』(1933)があるほか、近年、『八多町誌』(2008)が刊行された(ともに当館で閲覧可)。


古家実三〔ふるいえ じつぞう〕関係文書(昭和2年兵庫県会議員選挙書類)
解題
昭和2年(1927)、古家実三が加西郡区から労働農民党公認の県会議員候補として立候補した際に発行したビラやポスターを中心とする文書群で、全51点。
古家は、明治23年(1890)、兵庫県加西郡下里村坂本(現加西市坂本町)の農家に生まれた。幼少時に父を亡くし、苦学の末兵庫県立第一神戸中学校(現県立神戸高校)に進むも病気により中退。その後、神戸市三宮駅前で古書籍販売業を経営しながら労働運動・社会運動を展開、大正12年(1923)の兵庫県青年党への参加を皮切りに、神戸サラリーマン・ユニオン(大正14年)、労働農民党神戸支部(大正15年)、新労農党神戸支部(昭和4年)、神戸地方左翼労働組合連盟(昭和5年)、総評関西地方評議会(昭和6年)などの結成に中心人物として関わるとともに、昭和2年および6年の県議選に出馬した(いずれも落選)。また、加西郷土研究会を主宰するなど、郷土研究でも知られる。昭和41年没。
 文書の内容としては、県会議員選挙の心得、古家の立候補宣言書および政見発表演説会開催予告ポスター・同ビラ、加西郡愛国青年連盟の推薦書、加西郡各村別有権者数調、選挙運動費用精算届、労働農民党兵庫県連の県会議員選挙に関する調査報告書・態度声明(ビラ)など。昭和2年の県議選は、衆議院議員選挙法が改正され、男子普通選挙が実現してから初めての県議選であった。本文書からは、加西郡区での選挙活動の様子や、選挙公約の内容などをうかがい知ることができる。また、選挙後、労働農民党兵庫県連が作成した調査報告書は県下の選挙動勢をまとめており、当時の県内の政党や候補者の実像、民心の動向などを知る上で興味深い。
備考
・閲覧可/複写可
・古家の伝記については小野寺逸也「故古家実三氏略年譜」(『兵庫史学』47号、1967)・『近代日本社会運動史人物大事典』(日外アソシエーツ、1997)、昭和2年の県議会選挙における古家の戦いの詳細については須崎愼一「古家実三の歴史的位置を考える―加西郡県議選を中心に―(上)(下)」(『古家実三日記研究』第3・4号、2004・2005)参照。また、古家実三は、日露戦後から晩年の1960年代まで膨大な日記を残しており、当館に昭和2年の県議選に関わる部分など一部の複写が架蔵されるほか(『古家実三氏日記』1〜4)、その全容の翻刻が古家実三日記研究会『古家実三日記研究』において進行中である(2011年3月現在第9号まで刊行。当館でも閲覧可)。


山田出張所旧蔵文書
解題
本文書は、かつて北区山田出張所(現山田連絡所)に保管されていた文書群で、全64点。内容としては、明治初年、現在の神戸市北区山田町にほぼ相当する山田庄 13か村が、庄内にあった中一里山の所有権を南麓の38か町村と争った訴訟に関わるものである。中一里山は、六甲山地の西部、山田庄の南部にあたる東西に長い広大な林野で、近世初期の慶長 9年(160)〜10年、やはり山田庄の村々と南麓の町村の間でその利用をめぐる大きな争論があったことでも知られている。両者の紛争は明治5年(1872)の明治新政府による地券(壬申地券)の発行を契機に、いずれがその交付を受けるかを廻って発生し、明治 7年月、山田庄側により兵庫裁判所に提訴された。そして同所での判決を不服とする山田庄により大阪上等裁判所の控訴審に持ち込まれたが、明治9年11月27日の判決で山田庄側の敗訴となって確定した。
 文書は、現状から大きく二つに分けられる。一つは、「古文書在中/保存無期/兵庫区山田出張所」と表書きされた袋に納められた 24点である。これらは、山田庄13か村が両裁判所に証拠文書として提出したもので、ほぼすべてに朱筆で番号と大阪上等裁判所判事が閲覧したことを示す署名捺印がしたためられている。また、袋入り以外の文書 40点には、@中一里山の所有権の主張の根拠となるような内容を持つ文書、A明治7年以来の訴訟に際して、裁判所に提出した書類の下書・控、訴訟関係者(代言人=弁護士など)との間で交わされた書簡類等、B訴訟後の中一里山内の耕地の取り扱いに関する文書が含まれている。なお、前者には、応永 5年(1395)、山田荘と隣接する押部荘・淡河荘が荘界について争った際、室町殿足利義満が下した裁許の執行を管領斯波義将が摂津国守護細川満元に伝えた「管領斯波義将施行状」の原本が含まれている(義満の裁許状にあたる「足利義満下知状」の写しも現存)。後者の中では、慶長期の争論に際し、当地の領主であった豊臣氏の奉行人片桐且元が下した裁許絵図(同内容のもの 2点あり)が、写しではあるが貴重である。
備考
・閲覧可/複写可
・明治7〜9年の訴訟での原告・被告双方の主張の要点と、明治9年11月27日付で控訴審の大阪上等裁判所から下された裁決書は『山田村郷土誌』(1920)に収録されている。また、近世初頭以来の中一里山の利用をめぐる歴史については、『新修神戸市史 歴史編V近世』および『同 産業経済編T』にまとまった記事が掲載されている。


公文録(兵庫県関係分複写)
解題
 公文録は明治元年(1868)から明治18年(1885)の間に太政官が授受した公文書を各省庁別、編年順に編纂したもので、原本は国立公文書館が所蔵し、現在、重要文化財に指定されている。当館では兵庫県関係部分のみ収集しているが、開港場、居留地、鉄道敷設に関する文書のほか、輸出入物品表まで収録されており、明治期における神戸の港や都市の実態を明らかにする上できわめて重要な史料といえる。
備考
・閲覧可/複写可
・原本は国立公文書館

下川家文書
解題
 明治27(1894)年〜昭和30(1955)年の文書、162点。下川家は熊内町五丁目の自宅の他に葺合町苧川外・生田町三丁目・脇浜町二丁目や割塚通六丁目などにも住宅や借家・店舗を所有していたようで、本文書には大正〜昭和戦前期を中心としたこれらの住宅の建築工事(新築・改築・修繕など)に関連した文書が多数含まれる。また、後年になっての貼り紙や書込みもあり、相続時に所有物件の把握のため整理されたことが推測される。
 青焼き図面も数多く、家屋平面図のみならず附近見取図もあり、当時の住宅事情を知る手がかりとなるだけでなく、地図資料との併用により詳細な景観復元にも活用されることが期待される。また点数は少ないが借家経営(家賃書付)や不動産売買関係の史料もある。 古書店より購入した。
備考
・閲覧可/複写可
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