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古文書

>>江戸時代 >>近代・現代 >>居留地関係文書 >>雑誌(明治〜昭和初期)

 近代・現代
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文書名
畠山一郎文書
解題
 明治後年から昭和初年にかけての文書68点。イギリスの貿易商社サミュエル・サミュエル商会に勤めていた時の記録が主で、兵庫県から同商会へ交付された肥料輸入営業許可証・同商会通信状などがある。また、ほかにも絵はがきやクリスマスカード、アルバムも含まれている。
備考
・閲覧可/複写可


文書名
直木太一郎資料
解題
 太平洋戦争期である昭和16年(1941)4月、兵庫県では米穀の割当配給制度が導入された。県下ではそれ以前から米穀卸売業者・小売業者・産業組合配給部門などそれぞれにおいて米穀配給機構の準備が進み、組合を結成していたが、統制団体の厳格かつ一元的な配給組織の必要性が認識されたため、同年9月にはそれら三者の組合が合同して兵庫県米穀配給組合を設立した。その初代理事長に就任したのが、卸売業者の代表であった直木太一郎である。同17年2月、食料管理法の制定(実施:同年7月1日)に伴い、米穀以外の食料をも配給する機関として、新たに食糧営団が設置されることとなり、直木はさらに、同営団の理事長に就任した。
 同資料は、昭和16年(1941)から同30年(1955)にかけて発行された新聞等を中心とする文書群であり、(1)『米穀食料新聞』・(2)『米穀食糧営団報』などがまとめて存在する。
 (1)は当時の神戸市兵庫区松屋町にあった米穀食料新聞社が発行した夕刊専門の日刊紙である。(同資料群には昭和16年12月7日〜昭和18年5月1日分が存在)創刊の状況は定かではないが、戦局が厳しくなったため、昭和18年5月1日には自発的廃刊にいたった。
 (2)は昭和19年5月17日に創刊された週刊紙であり、兵庫県食糧営団が発行。同18年に営団の機関紙としての役割を果たしていた(1)の廃刊を受けての創刊であった。同資料群には1号−74号(昭和19年〜20年)がある。
 その他、兵庫県パン協同組合が発行した新聞(非売品)である『協友』(第5号−42号)、昭和30(1955)年1月1日〜翌31年12月24日付の『兵神日報』、昭和26年(1951)8月21日〜同年12月18日付の『実業通信』なども含まれる。いずれも戦時下〜戦後にかけての兵庫県の食糧事情や食品業界の状況を知るうえでは貴重な新聞史料であるといえよう。
備考
・閲覧可/複写可
・兵庫県の食糧営団については、『新修神戸市史 産業経済編T 第一次産業』を参照した。


文書名
西田弥右衛門家文書
解題
 明治20年代後半〜30年代の文書、26点。西田家はもともと兵庫で網元をしていたが、同文書群はそのときのものである。大半は西田弥右衛門にあてた金銭借用証文、地所売渡証書などである。これらの証書から、地所については官有地の払い下げも含め、和田崎町・今出在家町といった兵庫の地所や近隣の御崎村の畑地を積極的に買収していたことがわかる。
 他に、兵庫県漁業組合事務所の『漁業事蹟』と題する冊子がある。『漁業事蹟』では、漁猟区域に関する歴史や慣習のほか、主要漁獲物、漁獲の道具などについて概説されている。これによると、それまで入会慣習があった須磨・駒ヶ林・兵庫の漁場については、明治17年(1883)にはじめて規約を結ぶことによって明文化したこと、さらに漁業関係の事務を担うために兵庫県神戸市兵庫漁業組合を結成、事務局を設置していることなどがわかる。他にも主要な漁獲物は、鰯・いかなご・黒鯛(チヌ)・ボラ・ハモ・海老・アナゴなどで、それらを獲る漁具は主に「マカセ網」などを使用していたことが記されている。
 平成6年に西田稔氏より寄贈された。
備考
・閲覧可/複写可
・神戸市域の漁業については『新修神戸市史 産業経済編T 第一次産業』を参照した。


文書名
入江孝次郎家文書
解題
 本文書は、兵庫切戸町の材木商であった入江孝次郎の関係文書群で、全180件258点。
 年代が明らかなもので明治27年(1894)〜大正6年(1917)に及ぶ。
 入江は安政5年(1858)明石町に生まれ、明治22年頃来神、当時材木用達商であった神田直五郎の店に入った。のち独立して兵庫切戸町に材木問屋入江商店を開店。大正期には神戸市材木同業組合評議員となり、同業組合が法人に改組した翌年の大正2年には組合長に就任している。こうして財界で活躍する一方で、入江は明治37年4月から大正10年4月まで(水上浩躬市長から鹿島房次郎市長時代)神戸市会議員(湊西区選出)を務めた。
 以上のような入江の経歴も反映して、本文書群は内容から大きく2つに分けられる。 ひとつは、明治後半期の材木問屋入江商店の勘定書や売買契約書などを中心とする材木売買に関係する文書である。このうちには、明治29年から始まる神戸市の水道事業への材木の納入や、鉄道局への枕木の材料となる材木の納入についての契約書などが含まれており、入江が神戸市や国の大規模な公共事業に深く関わっていたことがわかる。また、これらの文書から、神戸市の大企業のひとつである川崎造船所との関係もうかがわれる。
 ついで、いまひとつは入江の市政との関わりあるいは市会議員としての活動を示す文書である。前者については、神戸市貿易品品評会委員の嘱託、軍人遺族救護義会の神戸市常務委員就任、日露戦役時の神戸市奉公会の軍事後援事業への協力などに関する文書があるほか、あるいは後者に属するかもしれないが、明治39年に水上市長から入江にあてた神戸港改良についての意見を求める書簡が残されていることが注目される。一方後者については、市会議事に関する公文書類(議案書・報告書・「神戸市庁舎新築平面図」など)が60点以上含まれるが、大正6年の分のみに限られ、また入江自身の個人的な文書ではなく、すべて神戸市議会が発行した印刷物である。
備考
・閲覧可/複写可
・入江孝次郎の伝記については、山内青渓編『兵庫県人物列伝 上』(1914年)を参考にした。


文書名
亀井せつ家文書(高橋勝弥日記)
解題
 本文書は、亀井(旧姓・高橋)せつ氏(当時川西市在住)によって当館に寄贈されたもので、亀井氏の祖父高橋勝弥氏の日記1点(若干の付属文書あり)。
  表紙には「日誌 明治廿八年ヨリ明治卅年迄記ス」とあるが、内容は明治31年(1898)1月1日から明治32年9月17日までの記事である。勝弥氏は本籍は兵庫県但馬国出石郡出石東條町拾番屋敷士族で、文政11年(1828)8月28日の生まれ。市内東川崎町(?)に戸主で神戸郵便電信局に勤務していた息子渉氏、渉氏の妻せい氏、長女まち氏、次女せつ氏(本品寄贈者)とともに寄留していた。なお、日記の期間中、 明治31年11月25日に北逆瀬川町145番へ、翌32年7月21日に湊町2丁目62番へと転宅している。  
 記事は、横半帳の料紙にほぼ毎日びっしりと記される。内容としては、自身の健康・買い物・食事・家族の動向・法事・交際・寺社参詣など、日常の身辺雑事が大半を占めるが、明治時代後半の神戸で生活する家族の様子が生き生きと綴られており、当時の風俗や慣行・世相などをうかがい知ることができる。
備考
・閲覧可/複写一部不可(家族履歴関係)
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