お問合せ・刊行物申込 ホーム
神戸市文書館
利用案内 刊行物 収蔵資料 検索 展示の案内 神戸史跡地図 神戸歴史年表 リンク
収蔵資料
収蔵資料のあらまし
古文書
新聞
神戸市行政資料
図書・文献類
古文書

>>江戸時代 >>近代・現代 >>居留地関係文書 >>雑誌(明治〜昭和初期)

 江戸時代
>>2
文書名
阪上脩家文書(植田家文書)
解題
摂津国菟原郡岩屋村の植田家は、江戸時代から明治にかけて岩屋村庄屋、副戸長、年寄を歴任した家であり、阪上家はその分家である。
 寛政元年の田畑名前帳(複写)は植田家に残る文書で、これには岩屋村村民各戸の田畑面積や米の収穫量が記録されており、巻末には岩屋村全体の田畑総面積と総収穫量が記されている。
 天保14年の宗門人別御改帳には、岩屋村住民の名前、年齢、続柄が列記してあり、村民の菩提寺が明記されている。
 宗門人別御改帳は、岩屋村には切支丹はいないということを切支丹奉行竹垣三衛門に報告する帳簿であり、村民の菩提寺とその宗旨(浄土真宗や禅宗)が明記されている。
備考
・閲覧可/複写可


文書名
辰巳太郎家文書
解題
 文化〜天保期を中心とした、二ツ茶屋村・神戸村関係の村方文書38点。二ツ茶屋村に関しては検地帳・屋敷の境界絵図・田地への引水確認のため花熊村と取り交わした一札・上納銀勘定帳など、土地や利水、貢租に関連するものが大半である。神戸村に関しては触留帳、人数増減帳などがある。そのほか二ツ茶屋村が福原庄六村と争った大龍寺看坊争論一件、また摂河泉糠買上願一件など、訴訟関連の文書も含まれる。
備考
・閲覧可/複写可


文書名
柴田剛中〔しばた たけなか〕文書(複写)
解題
 幕末に兵庫(神戸)開港にあたった外国奉行(兼兵庫奉行・大坂町奉行)柴田剛中に関する史料188点。
 柴田剛中は文政6年(1823)に江戸小石川に生まれた。徒目付、評定所留役助、評定所留役を経て、安政5年(1858)外国奉行支配組頭となり、江戸・神奈川間を往復し神奈川開港に尽力した。文久2年(1862)には、兵庫等の開港市延期の遣欧使節の組頭として派遣されて一行の要となって働き、帰国直後外国奉行並、ついで翌年11月には外国奉行に就任した。そして慶応3年(1867)5月13日に大坂町奉行、7月9日に兵庫奉行の兼帯を命ぜられ、兵庫開港・大坂外国人居留地問題の解決の任にあたった。兵庫(神戸)については、運上所や埠頭・居留地の造成、西国往還の付け替え工事(徳川道の造成)などを進め、12月7日、大坂・兵庫開港市の式典を迎えている。慶応4年(1868)1月、鳥羽・伏見の戦いが勃発、将軍徳川慶喜の大坂出帆で在坂の外国代表が神戸に移動すると、柴田は運上所の建物を外国代表に委譲し、江戸へ向った。同月に全ての役職を罷免され、4月に依願隠居したあとは上総国に退き、明治政府に出仕しなかったが、政府から外交上の問題についてたびたび諮問をうけ、上京してこれに答えたという。明治10年(1877)没。
 本文書群は『公私日載』と題する日記のほか、幕府の外交官としてかかわった諸記録(海防や外交に関するもの)、蝦夷、摂津・和泉、畿内、神戸兵庫、横浜の地図、肖像写真などからなる。
備考
・閲覧可/複写可
・柴田剛中の来歴・業績については、君塚進「柴田剛中とその日載」(『西洋見聞集』岩 波書店、1974)、『新修神戸市史 歴史編V 近世』、『明治維新人名辞典』(吉川弘文館, 1981)、『兵庫県大百科事典』下(神戸新聞出版センター、1983)を参照した。


文書名
神田兵右衛門〔こうだ ひょうえもん〕家文書
解題
 江戸時代後期から明治期までのおよそ400点余りの文書である。
 内容は大別して(1)借家関係史料(借家請け状など、享和年〜明治6年(1801〜1873))、(2)その他近代史料(江戸時代史料も含む)にわけられる。(1)では神田家が在町の出在家町にとどまらず、兵庫津内各所に多くの町屋敷を所有し、借家経営をおこなっていたことがわかる。(2)では領収書や公私にわたって取り交わした書翰が多数を占めている。雑多な内容であるが、江戸時代の手形銀不渡りについての訴訟文書が比較的まとまっている。
 神田兵右衛門は、播磨国印南郡大塩村の大庄屋梅谷庄左衛門の次男として生まれ、安政3年(1856)に兵庫津出在家町神田家の養子となった。神田家は屋号を岩間屋とし、干鰯商などを営んでいた。
 幕末期、神田兵右衛門は、出在家町年寄、兵庫商社取締役世話掛をつとめた。兵庫商社とは、兵庫開港にあたり、幕府が日本人側商人の資金力を結集し、独占的に貿易にあたらせるために大坂や兵庫などの有力商人を結集させた「商社」である。この兵庫商社の組織原理や資金調達法は、近代の会社企業の萌芽形態として評価されている。
 近代に入ってからは会計官御用掛、市政局下調役、神戸通商為替両社頭取並などをつとめたほか、明治4年(1871)には兵庫津名主、同6年に第2区(兵庫)区長となった。その後県会議員に当選、神戸市が発足すると市会議員に選ばれ、初代市会議長をつとめた。
 幕末〜近代にかけて、神田兵右衛門は兵庫のいわゆる名望家として活躍しており、同文書群ではそのような兵右衛門の姿の一端を垣間見ることができよう。
備考
・閲覧可/複写可
・神田兵右衛門については『新修神戸市史 歴史編V 近世』、『兵庫県大百科事典』上(神戸新聞出版センター,1983)を参照した。
・兵庫商社については、柚木学「兵庫開港と兵庫商社」(『酒造経済史の研究』有斐閣、1998)を参照した。
>>2
>>3 >>4 >>5