文書名
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ヒョーゴ・ニューズ (The Hiogo News)
ヒョーゴ・シッピングリスト (The Hiogo Shipping List)(複写) |
摘要
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「ヒョーゴ・ニューズ(The Hiogo News)」「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド(The Hiogo and Osaka
Herald)」の植字工であったポルトガル人フィロメノ・ブラガ(Filomeno Brage) が1868年4月23日に創刊した。毎木曜日に1回発行され、定価は月額2ドル(メキシコドル)であった。同紙は米国領事館の公示掲載紙に指定されている。「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」と熾烈な販売競争がおこなわれたが、当初は「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」紙が優勢であった。この後経営は転々としていたが、長崎で「ナガサキ・タイムズ(Nagasaki
Times、1868年創刊の週刊英字新聞紙)」を発行していたフランク・ワルシュ(Frank Walsh)が発行責任者となり、W.J.ジョンソン(W.J.Jhonson)が編集者となった頃から形勢は徐々に逆転してきた。水・土の週2回発行となり、「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」を凌ぐようになった。「ヒョーゴ・ニューズ」は紙面を斬新で読みやすく、充実したものに改革した。また船舶の出入港表(「The
Hiogo Shippning List」)を月1ドル、隔日での発行をはじめた。こうして「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」の廃刊後は神戸の英字新聞として独占的な地位を占め、明治10年(1880)1月3日には日刊紙となった。これにより「ヒョーゴ・ニューズ」は横浜の「ジャパン・ヘラルド(The
Japan Herald)」などとともに日本における代表的な外字新聞と称されるようになった。
しかし、明治14年(1881)4月29日に新たに日刊「コーベ・ヘラルド(The Kobe Herald)」 が出現、明治24年(1891)10月2日には「ヒョーゴ・ニューズ」
に対抗して日刊「コーベ・クロニクル(The Kobe Chronicle)」 が創刊され、三紙対立の時代に入る。そして「ヒョーゴ・ニューズ」
はこの「コーベ・クロニクル」との競争に敗れ、コーベ・クロニクルの ロバート・ヤング(Robert. Young)に買収されて「ヒョーゴ・イブニング・ニューズ(The
Hiogo Evening News)」と改題(夕刊)した。しかし、まもなく火災で全焼、「コーベ・クロニクル」 に合併された。(明治38年(1905)1月)
当館ではヒョーゴ・ニューズ1868年4月23日〜1871年/1876年〜1888年、ヒョーゴ・シッピングリスト1875年〜1879年までの分について閲覧できる。 |
備考
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・原本は天理大学附属天理図書館、神戸市立博物館
・上記については、「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド(一)」『神戸市史紀要神戸の歴史』(第4号,1981)、伊吹順隆「神戸と新聞−明治前期−」(『市史編集ノート』第2集,神戸市史編集室,1960)、堀博・小出石史郎共訳・土居晴夫解説『ジャパン・クロニクル紙ジュビリーナンバー 神戸外国人居留地』(神戸新聞総合出版センター,1993)を参照した。 |