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刊行物目次
歴史編T 自然・考古
歴史編U 自然・考古
歴史編V 近世
歴史編W 近代・現代
歴史産業編T 第1次産業
歴史産業編U 第2次産業
産業経済編V第三次産業
産業経済編W  総論
行政編T 市政のしくみ
行政編U くらしと行政
行政編V 都市の整備
生活文化編
  
新修神戸市史生活文化編?T
第一章 概説
第一節 近代神戸の生活文化の形成を考えるために2
第二節 近代神戸の都市イメージとその変容7
「モダン」な都市神戸というイメージの形成をめぐって7
神戸開港と神戸区の運営主体8
清国・清国人に対する劣位に対抗して12
社会的文明化の極致としての新しい町「神戸」15
「神戸」と「兵庫」18
「国体」と都市イメージの結合と矛盾19
「自治」の拡大と「歴史意識」の拡張23
モダンな都市「神戸」の成立26
おわりに─新修神戸市史編纂と阪神・淡路大震災28
第二章 地域と生活
第一節 兵庫津のくらし─生活・活動の空間と人々の営み─34
絵図にみる都市空間の変遷34
暮らしの拠点となる都市空間   元禄図にみる兵庫津の都市空間
明和図にみる兵庫津の都市空間
明和図系絵図にみる兵庫津の都市空間の変遷  寛政図  安政図
都市空間の把握49
尼崎藩領下の兵庫津における屋敷地境界の把握
屋敷地境界の確定にむけて  明和上知と水帳・水帳絵図の導入
兵庫津人口の変遷と社会構造の変化62
兵庫津の人口と家持・借家
比江新地の家持・借家人別帳にみる人口動態
他国者の流入と無人別の増加
兵庫勤番所の治安維持76
大坂町奉行所─兵庫勤番所体制下での治安維持80
造船のまち兵庫─近代への展望─86
第二節 和田岬周辺部のまちなみの形成91
神戸の産業発展の萌芽91
兵庫津のその後  明治初期の和田岬  産業発展の概略
官営兵庫造船所  新川運河  川崎造船所
山陽鉄道和田岬支線  石油倉庫・和田倉庫株式会社
火薬庫の移転   鐘淵紡績株式会社兵庫工場
兵庫運河  湊川の付替  三菱神戸造船所  和田神社の移転
川崎兵庫分工場  三菱電機株式会社  神戸市電の敷設
大正期の発展の影響
企業進出と都市整備事業110
和田岬周辺部の市街化  市街地整備事業  都市計画
和田岬周辺部での事業  三菱工場敷地西側の道路敷設
和田岬周辺部の新道開削事業  東尻池村での新道開削事業
鐘紡の道路拡幅事業
くらしの変化121
三菱の福利厚生施設の建設  鐘紡の社宅街の形成
地主の土地経営と長屋街の形成  保育  小学校  公衆浴場
周辺部の街並みの特徴  空襲
第三節 有馬温泉の発展と課題140
はじめに140
有馬温泉とは  有馬温泉「一年のはじめ」─入初式
明治・大正時代の観光と有馬温泉144
新しい観光の芽生えと有馬の行政
「鉄砲水」(炭酸水)と炭酸温浴場
共同浴場(本温泉)等温泉施設の変遷と「六甲山鳴動」
外国人と保養地(杉本ホテルなど)  有馬保勝会
明治・大正時代の有馬への道
「温泉番付」と保養地としての有馬の発展
有馬鉄道(後、国鉄有馬線、昭和十八年廃止)
吉田初三郎の「絵図」に見る有馬の繁栄
有馬温泉の昭和時代(戦前)155
昭和時代のはじまり
交通網の整備、神有電鉄の運転と自動車運送事業
戦時下の有馬温泉  文人に愛された有馬温泉(戦前)
有馬温泉の昭和時代(戦後)158
戦後の神戸市と有馬温泉の状況   有馬温泉観光協会設立と有馬
六甲摩耶地区の観光開発と有馬温泉   高度成長期から低成長へ
有馬温泉観光協会の活動  有馬町マスタープラン
バブル経済の到来と有馬温泉  文人に愛された有馬温泉(戦後)
有馬温泉の平成期(阪神・淡路大震災以降)172
震災と有馬温泉   震災復興への「官・民の取組み」
有馬温泉・下呂温泉・草津温泉提携締結など
「健康づくりプログラム」と「有馬温泉ゆけむり大学」
新・有馬マスタープラン(有馬温泉まちづくり基本計画)
交通網の整備─高速道路網の充実
ビジット・ジャパン・キャンペーンと外国人観光客の増加
現在の有馬温泉の取組み
有馬温泉の主なイベント181
有馬大茶会  沙羅の花と一絃琴鑑賞会  有馬涼風川座敷
有馬温泉散歩(平成後期)184
神戸電鉄「有馬温泉駅」〜「金の湯」
「温泉寺」〜「銀の湯」
「炭酸泉源公園」〜「鼓ヶ滝」〜「金の湯」
「湯本坂」〜「有馬温泉駅」    有馬温泉・泉源めぐり
有馬温泉の課題と展望193
有馬温泉の課題─住民の立場から
有馬温泉の課題─温泉観光地経営の立場から
有馬温泉の課題─泉源管理の立場から
おわりに─有馬温泉の展望
第四節 六甲山の開発199
アーサー・グルームの時代(一八九五年〜一九二〇年頃)199
「あさが来た」と「べっぴんさん」  茶屋と郵便局
山上の駐在所  天然氷とスケート場  六甲山のスキー場
企業による開発(一九一〇年〜一九四〇年頃)208
明治から大正にかけての企業の進出  アクセス整備
別荘分譲の本格化とホテル、カンツリーハウス、高山植物園
六甲山上の苦難〜そこからの復興(一九五〇年前後まで)216
水害と第二次世界大戦
阪急、阪神、六甲越有馬鉄道の共同経営  六甲山小学校
六甲山自治会の発足(昭和二十九年)と自然公園法(昭和三十一年)221
自治会の発足   国立公園編入による開発の制限
戦後の別荘分譲
高度成長期(一九五四年〜一九七三年頃)からバブル時代
  (一九八六年〜一九九一年頃)
224
十国展望台、人工スキー場、六甲有馬ロープウェー
上水道整備  山上道路整備とモータリゼーション
ボウリング場、六甲山牧場、フィールドアスレチック、ジンギスカン
ポートピア博覧会と六甲山  バブル景気と六甲山上
バブル崩壊と阪神・淡路大震災(平成七年〈一九九五〉)235
オルゴールミュージアム
阪神・淡路大震災からの復興236
六甲ガーデンテラス  六甲摩耶観光推進協議会
新しい六甲山開発の時代へ239
山歩きブーム   山上の三大夜景スポット  近代化産業遺産
六甲ミーツアート  新たな山林の管理  通信環境の改善
放置された建築物や老朽化した案内看板の再整備
第五節 水上生活245
はじめに245
はしけ生活147
「水上児童ホーム」の設立251
実践の内容255
実践についての自己評価275
実践に対する社会的な波紋の広がり277
塩谷寿雄『河童の園』  演劇『河童の園』七景
丸川栄子『海の子の家』  陳舜臣『神戸 わがふるさと』
おわりに281
第六節 第二次世界大戦前の地域を支える団体・組織285
神戸における都市社会の成立285
市制施行以前の地域社会  学区の誕生
市制下の学区と小学校費  衛生組合
都市化の進展と住民団体・組織298
学区廃止問題  衛生組合の事業  青年団の成立
方面委員制度  協同組合の発足  在郷軍人会
昭和初期の住民団体・組織314
衛生組合から町会へ  昭和初期の青年団運動
救護法による窮民救護  生活協同組合運動の発展
戦時期の住民団体・組織326
火防組合の設置  神戸市銃後奉公会  町内会の発足
神戸市青少年団の結成と女子挺身隊
第七節 阪神・淡路大震災と地域コミュニティ337
地域コミュニティとまちづくり337
震災前の地域コミュニティ
町内会  神戸市婦人団体協議会
ふれあいのまちづくり協議会  まちづくり協議会
震災後の地域コミュニティ
まちづくり協議会  防災福祉コミュニティ
神戸市婦人団体協議会
まちづくりの事例紹介
真野地区(長田区)  野田北部地区(長田区)
六甲道駅北地区(灘区)
ボランティア・NPOと地域コミュニティ361
震災前のボランティアの状況
震災ボランティア  神戸市役所のボランティア対応
震災ボランティアからの展開
地域で活動するボランティア・NPOの事例紹介
コミュニティ放送局FMわぃわぃ(長田区)
認定NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸
(CS神戸)(東灘区)
市民を中心とした鎮魂と震災経験の継承369
鎮魂と震災経験の継承活動の事例紹介
NPO法人「阪神淡路大震災一・一七希望の灯り」(HANDS)
神戸ルミナリエ  「しあわせ運べるように」
第三章 くらしの変化と余暇
第一節 衣生活とファッション文化の歴史378
洋装化の歴史─明治の開港以来379
紳士服の発展と神戸洋服   上流夫人の洋服と庶民の和服
子供服と制服の変化
洋裁教育と服飾店の発展─第二次世界大戦前後の時代395
神戸における洋裁学校の始まり
戦時中の衣服─国民服と婦人標準服、もんぺ
戦後における洋裁学校の再開と服飾店の発展
神戸のファッション文化の発展─二〇世紀後半より413
デザイナーの活躍と欧米ファッションの受容─終戦から一九五〇年代にかけて
ファッション雑誌の発展と「ニュートラ」の流行─一九六〇年代から七〇年代
神戸の衣生活とファッション文化の発展
第二節 食生活の変化428
開港と西洋文化の許容そして西洋料理の定着428
開港と食  食肉処理場の設置  肉食の奨励
牛鍋とすき焼き  牛肉の消費量  文明開化後の西洋料理
『豪商神兵 湊の魁』から見る洋風化
開港後の食生活と新しく生まれた食440
新聞にみる外国人の生活(『神戸又新日報』から)
新聞の家庭欄に見る食生活の変化  公設食堂の設立
戦中・戦後の食生活 食糧難の時代447
食糧の国家統制と戦時の食生活
戦後復興と食生活の回復・改善
学校給食の開始と体格向上(学校給食に見る食生活の変遷)
現代の食生活459
食料供給の年次推移  食生活改善
食物摂取の年次推移と体格(国民栄養調査、厚生省)
飽食の時代(昭和四十五〜五十四年)と日本型食生活の見直し
神戸の食生活の変遷474
日常食と行事食  神戸の食生活の特徴
第三節 スポーツのメッカ495
乗馬495
開港地・神戸の乗馬ブーム
神戸乗馬倶楽部の設立と当初の活動  学生馬術の育成
高校馬術と昭和・平成期の神戸乗馬倶楽部
日本初のゴルフ場 〜六甲山の開祖グルーム〜500
ロンドンから神戸へ  山荘「一〇一」と日本初のゴルフ場
初のゴルフクラブ誕生  キャディは小学生
神戸・阪神間はゴルフの先進地
ジェントルマンが創ったスポーツクラブ 〜KR&ACと創設者シム〜506
スコットランドから  日本初、総合型スポーツクラブ
スポーツと演劇のメッカ  ボランティア活動
居留地の返還  阪神・淡路大震災
ボート・レガッタ〜大賑わいの敏馬浜〜515
ボートレースの始まり
インターポート・マッチ(港都対抗スポーツ大会)
日本人のレガッタ  神戸高商の校内大会
「考古学の父」六甲山へ初登頂 〜大阪造幣局のガウランド〜519
市民に息づく六甲登山や毎日登山 〜ドーントとワーレン〜522
三日に一度  厳寒の六甲登山  スケートとスキー
シーズン制  「神戸っ子」も活躍  欧米人が道案内
『INAKA』  六甲山からアルプスへ  「毎日登山」
六甲全山縦走 〜神戸ならではの大企画〜532
前史  全山縦走始まる  全国的な大会へ
神戸が伝えたラグビー精神 〜神戸のエブラハムと京都の香山〜535
神戸初のラグビー  京都と神戸のラグビー
「ミスター・ラグビー」  ラグビーのメッカ「東遊園地」
日本のラグビー精神  日本国籍取得
サッカー(フットボール) 〜御影師範と神戸一中の活躍〜546
日本初のサッカーとKR&AC  御影師範と神戸一中
神戸勢全国大会で活躍  サッカー王国復活
日本初の女子サッカー
10建築家ヴォーリズとバスケットボール 〜隠れたその貢献〜552
バスケットボールの誕生  ヴォーリズと近江八幡
バスケット・コート  大正デモクラシー  スポーツの大衆化
11バレーボール 〜神戸に日本協会を置く〜557
バレーボールと神戸  女子バレーボールの隆盛
神戸に日本協会  「日本のバレーを世界のバレーに」
第四節 布引・諏訪山遊園等(遊園史)561
布引遊園地561
布引の滝周辺の歴史  布引遊園地の開発経緯
わが国の近代公園制度制定に関与  布引遊園地施設の内容
茶屋と歌碑  布引遊園地のその後と雄滝茶屋
川崎本邸・徳光院  六英堂・川崎正蔵銅像  布引温泉
布引ハーブ園・布引カントリークラブゴルフ場   
諏訪山遊園地589
諏訪山温泉  諏訪山遊園地  金星台、諏訪山動物園
第五節 神戸で育まれた文化599
池長孟と南蛮美術─港都の華─599
兵庫の大コレクター池長孟  養父・池長通の影響
牧野富太郎のパトロンとして
池長と牧野─まじわらない道  植物標本の返還
紅塵荘の建築からコレクション収集へ
熱狂的なコレクション収集  豪華図録『邦彩蛮華大宝鑑』
美術館開館への準備  池長美術館の開館
育英商業学校長を退職  神戸市への委譲
再生─市立神戸美術館として
『南蛮美術総目録』刊行を最後に  神戸市立南蛮美術館へ改称
美術館閉館から神戸市文書館へ  神戸市立博物館への統合
小磯良平と神戸市立小磯記念美術館636
(1)国際港都・神戸に生まれる
異国情緒に満ちた環境  詩人・竹中郁との出会い
基礎を築いた中学時代
(2)東京美術学校在学中(大正十一年〜昭和二年)
華やかな顔ぶれの同級生仲間  藤島武二との師弟関係
岸上良平から小磯良平に
(3)フランス滞在期(昭和三年〜昭和五年)
憧れのパリへ  古典主義習得への決意
(4)帰国後の充実期(昭和五年〜昭和十二年)
帝展騒動と新制作派協会の結成  アカデミスムを貫いた独自性
(5)日中戦争、太平洋戦争期(昭和十二年〜昭和二十年)
歴史画制作に取り組む決意   戦争画制作への苦悩と苛立ち
(6)戦後の出発(昭和二十年〜昭和二十七年)
愛おしい家族の肖像画  「女性像」の画家への新たな模索
(7)東京藝術大学教授時代(昭和二十八年〜昭和四十六年)
日本洋画界への愛情  理知的で実験的な試み
具象絵画への回帰
(8)晩年の展開(昭和四十六年〜昭和六十三年)
西洋絵画の正統を日本の洋画に
昭和を代表する洋画家として
(9)神戸市立小磯記念美術館の開館とその後の歩み
遺族からの小磯作品の寄贈と記念美術館の開館  開館後の歩み
関西学院と神戸の近代化679
原田の森キャンパスの誕生と変遷
神戸におけるモダニズムの形成
ミステリーの系譜  焼け残った礼拝堂
第四章 ミナト神戸の宗教とコミュニティー
第一節 総論:神戸の宗教とコミュニティー706
「ミナト神戸」の軌跡と外国人コミュニティー708
「ミナト神戸」の開港と居留地の形成
神戸市の発足と変遷  神戸の外国人コミュニティー
「ミナト神戸」開港以前の宗教とコミュニティー714
神社  仏教
「ミナト神戸」開港以降の宗教とコミュニティー:キリスト教の成立と展開718
カトリック教会、正教会、聖公会  プロテスタント教会
「ミナト神戸」開港以降の宗教とコミュニティー726
中国人コミュニティー  インド人コミュニティー
ユダヤ人コミュニティー  神戸モスク
宗教とコミュニティーの関係736
宗教とコミュニティーの関係  地域社会における宗教の役割
第二節 ミナト神戸以前745
ミナト神戸の神道とコミュニティー745
(1)神戸の神道の背景と全体像
神社数と神道の存在感  神道の略史と神社本庁、金光教
日本文化に繋がるその他の神道  神戸の神社と祭神
(2)「国際宗教都市」神戸の神社
開港と西洋文明の流入  北野天満神社と外国人コミュニティー
(3)神戸の祭りと神道
「みなとの祭」から「神戸まつり」へ
神事としての「みなとの祭」と神戸のまつり
(4)地域に生きる神道─阪神・淡路大震災と神社の取り組み
生田神社の取り組み  湊川神社の取り組み
長田神社の取り組み  金光教の取り組み
天理教の取り組み
ミナト神戸の仏教とコミュニティー777
(1)仏教信仰の略史と神戸
寺院数と仏教の存在感  平安時代までの仏教略史と神戸の寺院
神戸の寺院と平安時代以降の仏教の歩み
(2)神戸の開港と仏教への影響
仏教の公的役割の変化  キリスト教宣教の仏教への影響
仏教の新しい動きと神戸の排耶運動
(3)近代仏教を象徴するモダン寺
仏教の近代化  本願寺神戸別院(モダン寺)の略史
モダン寺の原初  焼失からモダン寺への変身
広義のモダン寺新聞の家庭欄に見る食生活の変化  公設食堂の設立
(4)生活に密着する神戸の十三仏信仰
十三仏信仰とは  十王信仰と十三仏信仰の成立
「十三仏めぐり」の歴史
(5)神戸の「十三仏めぐり」の実際
十三仏・菩薩と十三の寺院
転法輪寺・天上寺・如意寺(第一番〜第三番)
太山寺・性海寺・大龍寺(第四番〜第六番)
石峯寺・能福寺・念佛寺(第七番〜第九番)
多聞寺須磨寺・無動寺・鏑射寺(第十番〜第十三番)
第三節 神戸の宗教とコミュニティー809
神戸のキリスト教とコミュニティー809
(1)神戸のカトリック教会、正教会、聖公会
カトリック教会のパリ外国宣教会  ハリストス正教会
聖公会の英国海外福音伝道会
(2)NCC系のプロテスタント教会
アメリカン・ボード  米国南メソヂスト監督教会
米国の北部バプテスト教会と南部バプテスト教会
在日大韓基督教会と神戸中華教会
(3)福音派系のプロテスタント教会
米国南長老教会の宣教  ノルウェー・ルーテル伝道会
バックストンと日本伝道隊
(4)地域社会に仕える働き
キリスト教NGOの働き  賀川豊彦の働き
神戸の冬を支える会・外国人救援ネット
神戸のユダヤ教とコミュニティー847
(1)ユダヤ教の特色について
ユダヤ教の基本的信条  通過儀礼
シナゴーグと安息日  祝祭日
(2)神戸のユダヤ人の歴史:開港から一九三〇年代
一八六〇年代のユダヤ人
一九〇〇〜一九一〇年代の神戸のユダヤ人
一九二〇年代の神戸のユダヤ人
一九三〇年代の神戸のユダヤ人
(3)神戸のユダヤ人の歴史:難民滞在から戦後
杉原千畝とユダヤ人救命ビザ
神戸のシナゴーグを中心とした対応
シナゴーグの焼失と再建  阪神・淡路大震災以降
(4)神戸にシナゴーグが存在する意義
反ユダヤ主義とドイツのキリスト教界の取り組み
世界のキリスト教界(WCC)のユダヤ教徒との対話と共生の取り組み
神戸のシナゴーグの存在意義
神戸に暮らすインド人の宗教879
(1)神戸におけるインド人コミュニティーの歴史
開国から大正期まで  昭和初期から終戦まで
戦後から昭和六十年頃まで  昭和末期から現在まで
(2)神戸のインド人コミュニティーの特徴
三つのエスニック・グループ
共通する性格と相互の関係
(3)神戸におけるインド系の宗教施設とその信仰
ジャイナ教寺院  ジャイナ教の信仰
「アヒンサー」の教え  ヒンドゥー教寺院
ヒンドゥー教の信仰  スィク教寺院とその活動
スィク教の信仰
神戸のムスリム・コミュニティーとその信仰 909
(1)戦前の日本ムスリム史と神戸ムスリムモスク
日本におけるムスリムの増加
昭和初期までの国内ムスリム史
神戸ムスリムとモスクの建立  神戸モスクの完成
神戸モスクでの活動の開始
(2)第二次世界大戦以降の神戸モスク徴
戦中・戦後  現在に至るムスリム人口の推移
阪神・淡路大震災と在神ムスリム
震災以後のムスリム社会  神戸モスクの諸活動
(3)イスラームの信仰と実践
イスラームとは  ムハンマドと聖典クルアーン
信仰と六信五行
(4)神戸のムスリムの暮らしと信仰
ムスリムの二大祭り  食物規程とハラール
結婚と結婚式  葬式と墓地
神戸の華僑コミュニティーにおける宗教と文化941
関帝廟  諏訪神社と大龍寺
神戸基督教改革宗長老会  神戸中華同文学校
第五章 風俗
第一節 遊廓史972
明治前期の福原遊廓972
(1)福原遊廓の開設
兵庫津の遊所  福原遊廓の開設  「遊女町之図」
福原遊廓の空間構造  南京茶屋  ラシャメン
中国人と福原遊女  つるをめぐる争論
外国人妾と身請け  開業当初の福原遊廓  福原遊廓の移転
新福原遊廓  『新福原細見之図』  遊女数
(2)) 芸娼妓解放令と福原遊廓
芸娼妓解放令  「本人望」  遊女貸座敷規則・娼妓芸妓規則
芸娼妓解放令後の福原遊廓  明治六年法令と芸娼妓解放令
再び集娼へ
(3)新川遊廓
新川遊廓の設置  新川遊廓の移転  娼妓数・出身地
明治後期から大正期の遊廓1004
(1)統計書にみる遊廓
貸座敷数・娼妓数  娼妓の出身地  外国人遊客
遊客の消費金額  接客数
(2)自由廃業運動
自由廃業訴訟  長谷川楼抱娼妓の廃娼顛末  救世軍
娼妓の待遇改善
(3)大正期の新川遊廓
兵庫署による新川遊廓調査  身売りの理由
本籍地・年齢・前職・教育経験  前借金・娼妓の収支計算
昭和期の遊廓1029
(1)神昭和期の福原遊廓
『福原遊廓沿革誌』  遊興料  娼妓の廃業
娼妓の属性  娼妓の教育経験  娼妓の生活と希望
(2)聞き書きのなかの福原娼妓
田淵スマ  幼少期  身売り  福原遊廓へ住替え
通信教育で学ぶ  恋  年季明け
(3)日中戦争期以降の福原遊廓
「慰安所」の設置と福原遊廓  「慰安婦」の移送
「慰安所」の経営と福原遊廓
アジア太平洋戦争期の福原遊廓  赤線
第二節 繁華街の形成1045
開港後の神戸における市街地形成1045
市内のにぎわいの場の形成1047
寺社境内を中心としたにぎわい  湊川神社周辺のにぎわい
湊川新開地の形成
商店街の誕生1056
商店街のにぎわいと「元ブラ」の誕生
市内商店街の立地  商店街の「現代化」
資料
「地域の伝統行事」1065