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貿易に使われた宋船の模型 福岡博物館蔵
(神戸市立博物館発行
『日中歴史海道2000年』より)
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平安時代の前期には、遣唐使の廃止や唐商船の来航制限に見られるように、日本の外交は著しく消極的なもので、中国との交易は低調であったが、
978年、宋の太宗が中国を統一して政情が安定化すると、宋の商人が多数日本に来航し、日本商船も多くが宋へと進出していった。このような流れの中、
平氏も早くから中国との貿易に積極的に関わっており、清盛の父平忠盛は、長承2年(1133)、肥前国神崎荘の預所であった時、大宰府の許可を得ずに、
博多で宋人と直接貿易を行おうとして問題になっている。清盛は安芸守・播磨守に就任することで瀬戸内海沿岸に拠点を形成。
また大宰大弐となり、大宰府の官人を平氏家人に組織し、日宋貿易の最重要拠点を確保していた。清盛はさらに瀬戸内海航路を整備し、
大輪田泊を改修することで、宋船が直接輪田まで入港できるようにし、福原を拠点に貿易を進めた。
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