お問合せ ホーム
神戸市文書館
利用案内 刊行物 収蔵資料 検索 展示の案内 神戸史跡地図 神戸歴史年表 リンク
合戦と武具
源平時代の戦士
源平時代の防御用の武具
源平時代の攻撃用の武具
馬具と馬
源平時代の戦闘
3.源平時代の攻撃用の武具
<<源平特集トップへ

(執筆・ 近藤 好和)


弓箭
 つぎに攻撃用の武具に移る。まずは弓箭からである。弓射騎兵である源平時代の武士にとって、弓箭はその存在の象徴である。 南北朝期以降、打物騎兵が成立し、弓射騎兵は衰退して、弓箭は騎兵よりもむしろ歩兵の武具となることはふれたが、攻撃具としての重要性はかわらないどころか、 むしろ増加したともいえるし、また理念的には中世を通じて弓箭は武士を象徴する武具であり続けた。これは鉄炮伝来以後も同様であった。
 こうした弓箭は、弓と矢、そして矢を収納して携帯するための容器からなる。矢の容器はふつうはあまり意識されないが、刀剣でいえば、鞘に匹敵する弓箭の重要な要素である。



 木製弓と、木に苦竹(まだけ)という竹を張り合わせた伏竹弓(ふせたけゆみ)がある。木製弓は古代以来の弓で、中世以降は伏竹弓が主流となるが、木製弓もそのまま使用され続けた。
 伏竹弓には、木と竹の合わせ方で、外竹弓(とだけゆみ)・三枚打弓(さんまいうちゆみ)・四方竹弓(しほうちくゆみ)・弓胎弓(ひごゆみ)などの種類がある。伏竹弓で最初に成立したのは外竹弓である。 これは弓の背側(弦を張る側とは逆側)に竹を張り合わせた弓である。その成立は十二世紀初頭頃と考えられ、源平時代には成立していたらしい。 やがて、腹側(弦側)にも竹を張り合わせて木を竹で挟んだ三枚打弓が成立する。三枚打弓がいつ成立したかは不明で、源平時代に成立していたかどうかも不明だが、 遺品や発掘品によると、中世でもっとも一般的であった伏竹弓は三枚打弓のようである。 四方竹弓は中世後期に成立した木の四方に竹を張り合わせた特殊な弓、弓胎弓は中世末期に成立し、現在の弓道でも使用されている木と竹を複合的に組み合わせた弓である。
 こうした日本の弓に共通する特徴は、七尺以上の長寸である点(中世では七尺五寸が定寸)と、弓把(ゆつか)(弓射の際に握る部分)が真ん中よりも下端(本弭(もとはず)という)寄りにある点である。 これらの特徴はいずれも木製弓に由来している。

伏竹弓三種(復元)(國學院高等学校蔵)  木製弓は、梓・槻・檀(まゆみ)など(現在の名称とは必ずしも一致しない)の強靱な木質を持つ樹木を材料とするが、これらの材質は撓らず、無理に引くと折れてしまう。 弓と弦の間の距離が長いほど、弓の威力は強くなるのが道理であるが、弓が撓らない木製弓では、この距離を少ない撓りで確保するために、弓が長寸となった。
 また、木は、幹側を本、梢側を末といい、木製弓は、本を下端、末を上端として使用する。そこで、弓の下端の弦を掛ける部分を本弭、上端の弦を掛ける部分を末弭(うらはず)という。 しかし、若い梢側(末)は幹側(本)よりもよく撓る。そこで、弓把を弓の真ん中に置くと、弓の撓りがいびつになるために、弓把を本側に置いて撓りが均等になるように調整した。
 さらに、木製弓では、弓の腹の中程から本弭に掛けて浅い溝(樋(ひ)とよぶ)を入れた。これも本末の弾力を均等にするための処置である。 樋をのぞく以上の木製弓の特徴が、伏竹弓にも継承されたのである。
 伏竹弓が竹を張り合わせるのは、弓に弾力を持たせてより撓らせるためである。したがって、同じ寸法ならば、伏竹弓のほうが威力もあり、矢の飛距離も出るはずである。 しかも、木製弓は弦を外した状態では湾曲していないが、伏竹弓は弦を外しても湾曲している。 しかし、伏竹弓の弦を外した状態での反りは裏反りといい、この湾曲のままに弦を掛けるのではなく、弓を押し撓めて逆の湾曲を作って弦を掛ける。 だからよけいに強い弓となるのである。
 軍記物語では、弓に対して「何人張り」という表現を用いるが、これは弦を張るために弓を押し撓めるのに必要な人数で、伏竹弓の強度を示しているのである。 また、伏竹弓は、木と竹の分離防止と装飾を兼ねて籐を巻いた。籐の巻き方に数種類あるが、弓全体に籐を等間隔で巻いた重籐(しげとう)がもっとも愛好された。
 なお、日本の弓は長寸だから、扱いにくい(特に馬上では)という意見もある。しかし、弓把から下は短寸であり、長寸なのは上である。 だから、長寸だから扱いにくいという意見は当たらないし、本当に扱いにくかったならば、日本の弓が時代を問わずに長寸であるはずがない。 そもそもこうした問題は訓練次第でどうにでもなる問題であろう。 長寸だから扱いにくいという意見は、弓の構造をよく理解していない、しかも現在感覚に基づく机上の空論に等しいといえる。
伏竹弓三種(復元)
左から、重籐弓、
弓把から上を二所籐、下は籐を蜜にまいた本重籐(もとしげどう)弓、
二所づつ点々と籐を巻いた
二所籐(ふたところとう)弓
(國學院高等学校蔵)




 弓箭は様々な目的で用い、使用目的によって矢の種類が異なる。 軍陣用を征矢(そや)、狩猟用を狩矢(かりや)(野矢(のや)とも)、歩射の競技用を的矢(まとや)といい、騎射の競技である笠懸(かさがけ)や犬追物(いぬおうもの)で用いる引目矢(ひきめや)などもある。 それぞれ鏃や鏃相当部分の形状に特徴があり、それにあわせて矢羽の矧ぎ方(枚数)が異なっている。
 鏃の形状は多彩であるが、それを機能で大別すれば、「射通す」・「射切る」・「射当てる」・「射砕く」の四種類となる。 征矢は細長い「射通す」機能を持った鏃、狩矢は扁平な「射切る」機能をもった鏃をそれぞれ用いる。また的矢は鏃ではなく、平題(いたつき)を用いる。 平題は、木や鹿角でできており、円柱状で先端が扁平となっている。だから、的矢は的に刺さるのではなく、当たるだけ、つまり「射当てる」ものなのである。 この的矢の機能を軍陣に応用したのが、楯などを「射砕く」機能をもった征矢であり、その鏃に鉄製の金神頭(かなじとう)などがある。 その先端もむろん扁平である。
 狩矢には鏑(かぶら)を入れる。鏑は、中が空洞で先端に複数の小孔が開いた球形のもので、矢を射ると小孔から空気が入って音響を発し、その音響効果で逃げる獲物を射竦(いすく)めるのである。
 狩矢の鏃のうち二股の形状で股の内側に刃のついた狩俣(かりまた)という鏃があるが、この狩俣に鏑を加えた狩矢を特に鏑矢(かぶらや)とよび、狩矢の範疇を超えて神聖な矢と理解され、 軍陣でも征矢の表差(うわざし)(後述)として一・二隻携帯し、戦闘開始の矢合わせで最初に射る矢となり、また、神事である流鏑馬でも用いた。
 表差とは、容器に収納した主目的となる矢を中差(なかざし)というの対し、それに一・二隻加えられた別種の矢のことをいう。 つまり軍陣や狩猟ではそれぞれ征矢や狩矢が主目的の矢つまり中差となり、征矢が中差の場合は、鏑矢や的矢が表差となり、中差が狩矢の場合は、征矢が表差になるのである。
 鏃を加えずに、引目(ひきめ)(響目とも)という大型の鏑だけを取り付けた矢が引目矢である。笠懸の的や犬追物の標的である犬を傷つけないために、これも「射当てる」ための矢である。
 つまり一般的には矢は標的に刺さるものと考えるのがふつうであるが、標的に刺さる矢というのは征矢だけなのである。
鏃各種(國學院高等学校蔵)
鏃各種  拡大
左から、鳥の舌、柳葉(やないば)、槇葉(まきのは)(以上、征矢尻)、狩俣、平根(以上、狩矢尻)、鏑矢(復元)、引目矢(復元)
(國學院高等学校蔵)

矢羽各種(鷲羽)(國學院高等学校蔵)  矢羽は小鳥以外の尾羽や翼の羽(保呂羽(ほろば)という)を、羽茎から半裁して矢に取りつけた。鳥は、中世では鷲・鷹・鴾(とき)(朱鷺)を最上とし、他は雑羽(ぞうのは)として一括された。
 矢の名称は矢羽に用いた鳥名や羽の斑文を付けて表現されたが、鷲以外は鳥名でいい、鷲は斑文でいった。 これは鷲以外の鳥は鳥ごとに斑文が一定しているが、鷲は一羽ごとに斑文(黒斑と白斑の配色)が異なるためである。 鷲の斑文のうち、中世でもっとも愛好されたのは、黒斑と白斑が交互に配色される切斑(きりふ)であった。
矢羽各種(鷲羽)  拡大
左から、
本白・妻黒・薄部尾・糟尾・白糟尾
(國學院高等学校蔵)

 矢羽の矧ぎ方には三立羽(みたてば)と四立羽(よたてば)がある。三立羽は、羽三枚を半裁し、羽の表裏を揃えて鼎(かなえ)状に矧いだ。これは矢を旋回して飛ばすための処置である。 これに右旋回と左旋回があり、前者を甲矢(はや)、後者を乙矢(おとや)といい、この二隻は必ずワンセットとなった。だから、征矢と的矢は携帯する矢数が必ず偶数になる。
 四立羽は、垂直方向に幅の広い大羽(おおば)二枚を加え、水平方向に幅の狭い小羽(こば)二枚を加えたもので、大羽と小羽が飛行機の垂直尾翼と水平尾翼と同じ働きをし、 矢が旋回せずに飛ぶのである。
 三立羽は征矢・的矢・引目矢に用い、狩矢は四立羽である。これは鏃と鏃相当部分の形状に対応している。 征矢では、細長い「射通す」ための鏃を旋回の力によってより深く抉り込ませるために三立羽なのであり、的矢や引目矢は平題や引目が円柱状だからである。 狩矢では、矢が旋回して飛んでは射切る機能が発揮されない。そこで、矢が旋回しないように四立羽とするのである。
写真 矢羽の矧ぎ方
 なお、狩猟の大きな目的に動物の毛皮を取ることがあり、征矢のように深く刺さってしまうと、矢を抜くときに毛皮を傷めてしまう。 そこで、毛皮を傷めないように、狩矢には射切る機能をもった鏃を用いるという。だから、狩矢では動物の胴体は狙わず、首や足などを射切るのである。
 矢の長さを矢束(やつか)という。矢束は手量(たばか)りといって、握り拳の数で表現する。一握り拳(指四本)を一束(いっそく)とし、半端は指一本を一伏(ひとふせ)として数え、中世では十二束が標準という。


容器
逆頬箙(國學院高等学校蔵)  中世では、箙(えびら)と空穂(うつぼ)があり、源平時代では、空穂はもっぱら狩猟用で、軍陣では主に箙を用いた。 箙は、方立(ほうだて)とよぶ箱の部分と、その背後に立ち上がった端手(はたて)とよぶ枠組からなり、方立の上面には筬(おさ)とよぶ竹の簀の子をはめ込み、そこに鏃を差し込み、 端手に取り付けた前緒(まえお)や矢把ね緒(やたばねお)などの紐で矢を束ねた。箙全体を猪の面の毛皮で張り包んだ逆頬箙(さかつらえびら)が中世ではもっとも愛好された。
 なお、さきにもふれたように、箙などの容器は背中に背負うと誤解されることが多い。しかし、背中では矢を引き出せない。どの容器でも、右腰に負うのが正しいのである。
逆頬箙  拡大
(國學院高等学校蔵)



刀剣
 刀剣は刀身と外装からなり、外装は柄(つか)と鞘(さや)といくつかの金物からなる。
 太刀は、鞘に取り付けられた足金物(あしがなもの)・帯執(おびとり)・佩緒(はきお)という装置で、刀身の刃側(鑓などをのぞき、中世以降の日本の刀剣は片刃が基本である)を下に向けて 左腰に佩く(吊り下げる)外装様式の刀剣をいう。刀身は鎬造(しのぎづくり)という造り込みで、湾刀(わんとう)(彎刀)といって反りがあるのを特徴とする。機能は打撃や斬撃である。 この太刀は打物騎兵・歩兵にとっては主要武具であるが、弓射騎兵・歩兵にとっては、矢を射尽くした後に使用する補助的・二次的な武具である。
沃懸地酢漿草文兵具(いかけじかたまみもんひょうぐぐさり)太刀
(奈良・春日大社蔵)  拡大
赤銅造太刀(奈良・春日大社蔵) 菱作太刀(外装)(奈良・(奈良・春日大社蔵)
  赤銅造太刀(外装)
(奈良・春日大社蔵)   拡大
菱作打刀(外装)
(奈良・春日大社蔵)  拡大

 腰刀は、中世では単に刀ともいい、また鞘巻(さやまき)などともいう。栗型(くりがた)・返角(かえりづの)・下緒(さげお)という装置で刃側を上に向けて左腰に差す外装様式で、刀身は平造(ひらづくり)を主とする短寸・無反りの短刀である。 主機能は刺突であり、また相手の首を掻いたり、自害でも使用する。特に源平時代には。 のちにふれるように組討戦(くみうちせん)という相手の生首を取り合う格闘戦が盛んになったが、それは腰刀で行う戦闘である。
 打刀は、外装は刀様式で、刀身は湾刀、刀身の造り込みは、当初は平造であったが、室町時代には鎬造がふつうとなった。機能は太刀と同じく打撃・斬撃である。
 源平時代では、検非違使の下部(しもべ)や、僧籍にある者、または武士の従者のなかでも童などの低い身分のものが打刀を使用し、武士とよばれる身分ではあまり使用されていなかった。 これが室町時代には、打刀が刀剣の中心となり、やがてその長短(大小)二本差しが流行し、豊臣秀吉の刀狩令を経て、近世武士身分の象徴となっていく。
 なお、江戸時代以降は大小二本差しの大を刀といい、小を脇差(これも脇差しの刀の略称)といった。つまり刀の理解は、中世と江戸時代では異なっている。 中世では腰刀(短刀)、江戸時代では打刀なのである。
 長刀は、現在では薙刀と表記するのがふつうであるが、これは江戸時代以降にもっぱらとなる表記で、中世では長刀の表記がふつうである。 長い柄に薙刀造(なぎなたづくり)という独特の形状の刀身からなり、遠心力を利用して振り回して使用する武具である。
 源平時代では、主に歩兵や悪僧が使用し、馬上使用はみられなかった。しかし、南北朝期からは、打物騎兵の成立に対応して馬上使用(つまり騎兵使用)もされるようになる。 現在では女子の武具と認識されているが、そのように認識されるのは江戸時代からである。
 なお、鑓とともに柄が長いので長柄(ながえ)と総称し、狭い意味で打物といえば、長刀を指す。