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更新日:2019年11月1日

3.屯田病院と二本松古墳

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菊水町10丁目と房王寺町の間で、バス道に北から旧西神戸有料道路が合流してきます。そこは峠のような地形で、西方は苅藻川の、東方は旧湊川の流域の谷筋です。旧有料道路の筋から鵯越交差点の南に続く尾根筋は、旧湊川と苅藻川の分水嶺で、バス道の南から会下山西方一帯は屯田山(とんでんやま)と呼ばれていました。屯田山の南はしの尾根には、昔、松の大木が2本あって、二本松(にほんまつ)と呼ばれていました。
江戸時代の夢野村では、二本松の山上にあった古墳を宝塚(たからづか)と呼んでいました。大昔、ここに高貴な人が葬られ、たくさんの金銀財宝が埋められているといい、村が衰えて家が三軒になるようなことがあったら、この宝物を掘り出して村の復興に当てるようにと伝えられていたのです。
大正2年に結核の治療に関する法律が出されると、神戸市では屯田山に結核療養所建設を決め、大正7年秋に「屯田療養所」が開設されて、困難な状況にあった多くの患者を救うことになりました。俗に「屯田病院」と呼ばれたこの施設は、昭和に入って夢野丘陵に住宅が開発されるようになると、移転が計画され始めました。太平洋戦争中の昭和18年療養所は多井畑の療養所とともに日本医療団に統合され、患者は転院していきました。
屯田療養所の建物は昭和20年の空襲の被害をまぬがれ、残っていました。戦後復興期にこの建物は、空襲で家を失った人々や疎開先から神戸に帰ってきた人々の当座の集合住宅として再利用されました。
鵯越小学校の6年生の時、私はここで生活している級友の家を何度か訪ねたことがあります。昭和35年のことですから、戦後15年も屯田病院の建物は人々の生活を支えていたわけです。その跡地は今、福祉センターになっています。
また、宝塚は昭和2年に配水場が建設された時に発掘され、竪穴石室や副葬品が見つかって、会下山二本松古墳と名づけられ、近年の調査で前方後円墳だったことが解りました。

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