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更新日:2019年11月1日

兵庫区:2.震災で消えた聖徳太子

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湊川公園の東北の一画に、立派な石の台座に乗った馬の銅像があります。大震災で破損するまでは、この馬の上にりりしい聖徳太子の銅像が乗っていました。

太子創建と伝えられる法隆寺が、奈良時代には今の会下山を所有していたと前回述べました。中世以来の太子信仰や明治以降の学校教育によって聖徳太子への敬慕の念が広まると、神戸では会下山が太子の聖地だと考えられるようになりました。太子を敬い、善行を積もうとする人々は、神戸積徳会を組織し、今の川崎病院西門の西、つまり会下山の東山腹に修養場を設けて、江戸時代から兵庫津(ひょうごのつ)にあった薩摩藩浜(はま)本陣(ほんじん)の門を移築していました。

一方、兵庫の船大工町に住んでいた篤志家の岡田磯八は、大正十年に会下山を望む湊川公園に立派な聖徳太子像を建立し、市に寄贈したのです。騎上で剣を握るその像は、蘇我氏と縁の深い太子が馬子(うまこ)に味方して、物部守屋(もののべのもりや)の軍と戦う、つまり『日本書紀』に初めて登場した時の若い太子の姿でした。大正時代から昭和の初めの兵庫では、聖徳太子は身近に広く慕われる存在でした。私の出た会下山幼稚園でも「花(はな)美(うつく)しい会下山に 楽しく集(つど)う私たち」と歌い始める園歌の三番に「お太子さまを鑑(かがみ)とし 直(なお)い子供になりましょう」という歌詞がありました。

私が同園園児か鵯越小学校入学のころでしたから昭和20年代末だったと思いますが、祖母が「悪いことをする者がおる。聖徳太子さんの刀が盗まれた。銅は値(ね)が高いから」と憤慨していたのを覚えています。湊川公園の銅像の剣が盗難に遭ったのです。

その時から長らく騎上で手持ち無沙汰だった太子像が、震災で破損して、今では馬だけになってしまったのです。積徳会の門も震災で大破して撤去されました。それより以前に、人口のドーナツ化現象と少子化で会下山幼稚園も閉園になり、兵庫の聖徳太子ゆかりのものが無くなりつつあります。

※湊川公園のリニューアル工事に伴い、現在聖徳太子の馬の銅像は一時撤去しています

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