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更新日:2019年11月1日

1.豊かな歴史を秘める会下山

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天平19年(747)の法隆寺の古記録に、同寺が宇奈五岳(うなごだけ)という山を所有していたとある。記録によるとこの山の東は弥奈刀川(みなとがわ)、南は加須加多(かすかた)池、西は凡河内寺山(おおしこうちのてらやま)、北は伊米野(いめの)と万葉仮名で記されている。東に湊川、北に夢野があるのなら、会下山(えげやま)のことだと想像がつく。市立神港高校の南麓にかつて皿池(さらいけ)という池があり、その名の薬局もあった。1300年前にはカスカタ池といったのだろう。宇奈五岳の西に凡河内という豪族にまつわる寺のある山が記されているのだが、今、会下山西方に古代からの寺院はない。しかし、会下山の西、二つ目の谷筋には江戸時代に寺池という溜池があって、それが町名になっている。この寺池町の北、丸山中学付近から奈良時代の瓦が出土し、その北東に房王寺(ぼうおうじ)という地名が現存する。これらを凡河内寺の遺跡や遺物だと考えると、奈良時代に法隆寺領だった宇奈五岳を、今の会下山と断定していいだろう。

昭和45年に会下山から、松田均氏がサヌカイトの剥片で作られた国府型ナイフを見つけている。市内最古の旧石器だ。会下山は中世に湊川の戦いに際して楠木正成が陣取ったとされるから、兵庫で最も長い歴史を持つ場所はこの山だとも言える。
私は昭和27年から二年間、この山の名を冠した会下山幼稚園に通った。当時の会下山は今のようには整備されておらず、山頂部はなだらかな小丘が連続して、中央部に東郷平八郎筆の楠公陣所の碑と遭難した船員の慰霊碑とが小さな城址のように存在していた。南西の低い一画は月面のクレーターのような窪地が沢山あって、崖の断面で粘土を探す子供やお尻の下にムシロの断片などを敷いて丘の斜面を滑り降りる子供たちが歓声をあげていた。民家に隣接する山の東方には熊笹が密生していて、松本通の方に下る山の東南の中腹には扉を閉した大きな洋館風の建物があったが、それが牧野富太郎植物研究所の名ごりだと知るのは、ずっと後のことであった。

兵庫区会下山出土ナイフ形石器の写真 松田均氏が採集した石器(神戸市立博物館所蔵)

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