西求女塚古墳は、古墳時代前期に築かれた前方後方墳です。現在は、海岸線から遠くなっていますが、この古墳が築かれたころは、海岸からほど近いところで、海を行き交う船からその姿を望むことができたでしょう。
この古墳の埋葬施設は竪穴式石室でしたが、慶長元(1596)年の伏見地震で崩壊していました。その崩壊した石室石材の間から、12面の青銅鏡や数多くの鉄製品などが出土しました。それらの出土品は、国の重要文化財に指定されています。
9片に割れてしまっていますが、ほぼ原型を保った状態で出土しました。図像は全体にやや鈍く、神像の顔など細部が鋳出せていないものもあります。それぞれ 4体の神像と獣像が描かれていることから、「四神四獣」鏡とされ、銘帯には「吾作明竟・・・」の銘文があります。同じ型式の鏡には、出土地不明鏡(泉屋博古館所蔵M24鏡)、奈良県黒塚古墳19号鏡があります。
鏡は小さく割れていますが、鋳上がりはたいへん良く、図像の細部にいたるまで明確に観察できます。「三神五獣」とは、鏡の中に神像が三体、獣像が五体描かれていることです。図像の周囲には「吾作明竟…」で始まる銘文が刻まれています。同じ型でつくられた鏡は、西求女塚古墳10号鏡、京都府椿井大塚山古墳M32鏡、岐阜県(伝)可児町出土鏡、千葉県城山1号墳鏡があります。
完形ではありますが、部分的にヒビがみられます。鋳上がりはあまりよくなく、図像はやや鈍いものです。鏡に鋳出された図像は、神像が5体、獣像が4体あり、「五神四獣」鏡と呼んでいます。銘文には、「陳是作・・・」ではじまる40文字の主文と、方格に書かれた「君・宜・高・官」の4文字が書かれています。同型の鏡には兵庫県牛谷天神山古墳鏡があります。
内側には四体の獣の上に乗った神像や脇侍が描かれています。獣像のうち黄帝と伯牙、西王母の乗る獣像は、頭に角があることから龍だと思われます。東王父が乗る獣像は、頭に角がないことから、虎だと思われます。一番外側には、雲車という乗り物を操る仙人と霊獣や、それに乗った小さな仙人などが描かれています。
内側には二体の神像と獣像が描かれ、神像の両脇には何かを捧げる羽人(小さな仙人)が描かれています。左にいる獣像の頭の両側には、角のようなものがあり、龍だと思われます。一方、右の獣像には耳が描かれていることから、虎だと思われます。その周囲には「田氏作明竟…」で始まる銘文が刻まれています。