千苅貯水池のあゆみ

ここから本文です。

第1回拡張工事での築造

明治38年(1905年)に神戸市の水道創設工事(布引と烏原が水源)は完了しましたが、水需要の伸びは予想以上で、数年後には早くも水不足に陥りました。
水道拡張のためには不可欠な新たな水源を調査した結果、(当時の)神戸市の北東約36キロメートルにあり水量・水質ともに良好な武庫川支流の千苅川に貯水池を建設することになり、明治41年(1908年)から本格的な水源調査を開始しました。
明治43年(1910年)に全国的な大水害が起こったり、なかなか国庫補助がつかなかったことなどから着工できませんでしたが、計画変更等を経て、大正3年(1914年)5月に着工し、5年の歳月を要する大工事の後、大正8年(1919年)5月10日に完成しました。

千苅堰堤の構築以前(大正3年12月撮影)

堰堤基礎工事中の洪水(大正4年4月撮影)

堰堤構築の初期

堰堤工事中の発電所その他(大正4年8月撮影)

堰堤構築の初期(大正4年11月撮影)

構築中の堰堤

堰堤工事用の軌道

堰堤工事中の架空索道(大正5年10月撮影)

堰堤工事用の軌道

完成した千苅堰堤の外面(大正8年4月撮影)

完成した千苅堰堤の内面(大正8年4月撮影)

千苅放水ずい道出口及び量水池(大正8年4月撮影)

千苅水源羽束川の量水開渠(大正9年3月撮影)

千苅水源波豆川の量水開渠(大正9年10月撮影)

第2回拡張工事でのかさ上げ

第1回拡張工事中に起こった第1次世界大戦(1914年~1919年)によりヨーロッパ全土が戦場となったため、日本とアメリカに各種資材の注文が殺到し、いわゆる大戦景気を迎えました。この時期に、神戸港を持つ神戸市に多くの産業が立地し、人口も急激に増加しました。
このため、第1回拡張工事が完成した翌年の大正11年(1922年)には、もう給水能力いっぱいの水が使われる状態になっていました。
この水需要の増大に対応するため、千苅堰堤を6.06メートルかさ上げすることにより、貯水量を2倍にしました。また、併行して、千苅導水路の増強工事や上ヶ原浄水場の急速ろ過池の新設工事などを行いました。その結果、給水能力は2倍近くに増強されました。このための一連の工事を、「第2回拡張工事」といいます(1926年~1932年)。
そのうち、千苅堰堤のかさ上げ工事に要した期間は、昭和4年(1929年)4月~昭和6年(1931年)8月でした。
千苅貯水池の水位が上がることにより、波豆川上流で県道が水没することになり付け替え工事が行われたほか、羽束川と波豆川にあった量水開渠も水没するため、新たに上流部に量水渠を建設しました。

かさ上げ前の千苅貯水池

かさ上げ工事中の千苅堰堤

かさ上げ完成直後の千苅堰堤

清之瀬橋(県道)の付け替え工事(波豆川)

清之瀬橋(県道)の付け替え工事(波豆川)

善明寺橋の付け替え工事(羽束川)

付け替え後の善明寺橋

昭和30年代後半の風景

千苅浄水場が稼動を始めたのは、昭和42年(1967年)からです。昭和30年代、まだ千苅貯水池の水は、上ヶ原浄水場だけで浄水されていました。

堰堤から見下ろす(まだ千苅浄水場への導水管がない)

貯水池見学の人たち

貯水池見学の風景

平成6~7年の異常渇水

平成6年(1994年)は夏から異常渇水に見舞われました。平成7年(1995年)1月には、千苅貯水池の貯水率は18%に、2月末には過去最低の貯水率11%を記録しました。

水位の低下した千苅堰堤付近(平成6年)

干上がった貯水池上流部(平成7年3月)

千苅ダム百周年パネル展示

千苅ダムが2019年に百周年を迎えるのを記念して、平成31年4月6日(土曜日)に千苅貯水池広場にてパネル展示を行いました。
パネル展示で使用したパネルデータをまとめましたので、以下のリンク先をご覧ください。

パネル展示データ(PDF:13,712KB)

お問い合わせ先

市政、くらし、各種申請手続でわからないことは神戸市総合コールセンターにお電話ください

電話 078-333-3330 Fax 078-333-3314

このページの作成者

水道局施設課 

〒650-8570 神戸市中央区加納町6-5-1 神戸市役所4号館8階