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更新日:2019年12月6日
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神戸の水道は、明治33年(1900年)に日本で7番目の近代水道として給水を開始して以来、給水区域の拡大と施設の整備充実により質量ともに安定した給水のための努力を重ね、平成12年(2000年)に給水100周年を迎えました。水道局では、100周年を記念して、式典や各種の記念事業を実施しましたが、その一環として、この100年間の水道の歴史について市民の皆さまに理解を深めていただくため、「神戸市水道百年史」と記念写真集「100年の歩み」を刊行しました。
ここでは、写真集の内容を中心に、この100年間の水道事業の歩みを簡単にご紹介します。
慶応3年(1867年)12月に神戸港が開港し、神戸には全国から人が集まり産業が栄えましたが、その一方で不衛生な井戸水の使用によりコレラなどの伝染病が流行し、水道布設の機運が高まりました。
水道布設にあたっては巨額の費用が問題となりましたが、明治26年(1893年)に、内務省の雇工師であったイギリス人技師バルトンの設計による水道布設計画が市会を通過し、神戸に近代的な水道が建設されることになりました。
水源には布引谷と烏原谷が選ばれ、給水区域は生田川と湊川の間(旧生田区のほぼ全域)、計画給水人口は25万人とされました。
開港当時の神戸港
工事中の布引貯水池のえん堤
完成した烏原貯水池
明治30年(1897年)5月に始められた水道創設工事は、佐野藤次郎技師を中心に、全員日本人の手で進められ、明治33年(1900年)には奥平野浄水場で待望の通水式が行われました。神戸の水道の誕生です。
奥平野浄水場での通水式
わが国では、横浜市、函館市、長崎市、大阪市、広島市、東京都に次いで、7番目の近代的水道の誕生でした。通水式の後も、烏原貯水池えん堤の建設などが進められ、明治38年(1905年)10月には水道創設工事全体が完成して竣工式が行われました。
給水開始後、水道利用家庭は増加を続け、新しい水源が必要になりました。明治44年(1911年)の調査で、武庫川支流の千苅川が水量・質ともに良好で淀川から水源を求めるより維持費が少ないことが判明し、水源として設計を開始しました。
その後も幾度か設計変更を余儀なくされ、第1回拡張工事が完成したのは大正10年(1921年)3月、実に10年の歳月をかけた大工事となりました。
完成した千苅貯水池えん堤
こうして完成した千苅貯水池は現在でも神戸市内で最大の貯水池として、北区の北部を中心に水を送り続けています。
第一次世界大戦に伴う好景気で、神戸には多くの産業と人口が集まり、水需要も2倍に伸びました。この急激な需要増に対応するため、大正15年(1926年)に着工された第2回拡張工事では千苅貯水池えん堤のかさ上げや会下山配水場の新設などが行われ、1日最大給水量はそれまでの97,000立方メートルから171,200立方メートルに増強されました。
水道筋での送水管布設工事
その後も続いた阪神間各都市の慢性的な水不足の解消のため、昭和11年(1936年)7月に、阪神間の3市13町村で阪神上水道市町村組合が設立され、淀川を水源とする拡張工事が進められることになりました。この市町村組合は、現在では「阪神水道企業団」に名称を変え、神戸・芦屋・西宮・尼崎の4市の上水道を支えています。
1938年(昭和13年)7月3日から降り始めた雨は、4日夜半までに191.4ミリに達しました。その後も5日午前から正午頃まで41.5ミリもの豪雨が続き、総雨量は460ミリにも達しました。この集中豪雨は、水道が復旧するまでに約3ヶ月を要するという大災害をもたらしました。
水道施設は千苅から上ヶ原への導水管、上ヶ原から神戸市内への送水管をはじめ多くの配水管が寸断されたほか、北野・奥平野浄水上場が泥に埋まり、布引・烏原貯水池にも泥や流木が堆積するなど、壊滅的な被害を被りました。
復旧作業は、県下各市町村、諸団体のみならず、大阪、京都など県外都市からも救援隊がかけつけ、献身的な活動を続けていただきました。
布引貯水池復旧作業
また、戦争の影も次第に忍び寄ってきました。神戸では、阪神上水道市町村組合を通じて淀川水源から受水するため、昭和16年(1941年)12月に第3回拡張工事に着手していましたが、戦争が日増しに激化する中、昭和19年(1944年)には工事中断を余儀なくされました。
神戸大空襲
神戸の水道は、空襲で配水管網などに大被害を受け、終戦時には漏水率が80%にも達していました。戦後の再出発は、まず漏水防止の応急処置から始まりました。
焼け野原となった市街地
中断されていた第3回拡張工事は昭和26年(1951年)に再開され、須磨・垂水地域での人口の急増に対応するため、垂水区名谷町まで延長17キロの送水トンネルを掘ったり7つのポンプ場を新設するなどの工事が行われ、昭和35年(1960年)にはすべての工事が完了しました。
妙法寺接合井連絡管工事
その後も、市域の拡大と給水人口の増加に対応するため、第4回拡張工事(1960~1968年)、第5回拡張工事(1967~1978年)、第6回拡張工事(1975~1997年)が相次いで実施されました。また、北神水道や六甲山上水道、工業用水道なども整備されました。
第5回拡張工事の送水トンネル貫通
昭和60年(1985年)には、全市域の給水ネットワークが完成し、給水開始後85年の歳月を経て、念願の「市民皆水道」が達成されました。
皆水道達成記念式典
平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、神戸市に壊滅的な被害を与え、水道も大きな打撃を受けました。市街地全域が断水した中、1日でも早く水を届けるため、水道局では他都市の支援や市民の協力を得ながら、不眠不休で給水活動と復旧作業を続けました。全市で応急復旧を完了させたのは、地震からちょうど3ヵ月後の4月17日のことでした。
継手が抜け出た配水管
全国からの応援給水
この地震の教訓をふまえ、平成7年(1995年)7月に、災害・事故に強い水道づくりを目指した「神戸市水道施設耐震化基本計画」を策定しました。この計画に沿って大容量送水管や緊急貯水槽の整備などの基幹施設整備事業等が進められています。
大容量送水管工事
緊急貯水槽
神戸の水道は、創設以来さまざまな困難を克服しながら、市民生活の向上と都市の発展を支えるために拡張を重ね、平成12年(2000年)に給水100周年を迎えました。
100周年記念式典
100周年を記念して、水道に対する理解をより深めていただくとともに市民とともに今後の水道について考えていく機会とするため、記念式典、シンポジウム、水の科学博物館のリニューアルオープンなど、市民参加のさまざまな記念事業を実施しました。
水の科学博物館リニューアルオープン
また、これまでの水道の歩みを詳細に記した「神戸市水道百年史」(B5判・約1,200ページ)を発行しました。市民の皆さまには、中央図書館をはじめ各区の図書館や生涯学習センター等でご覧いただくことができます。どうぞご利用ください。
神戸市水道百年史
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