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更新日:2021年3月22日

用語 人物等

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W.K.バルトン

明治20年イギリスから来日し、内務省衛生局雇技師兼工科大学講師となった。明治22年内務大臣山縣有朋の「上下水道敷設に関する令達」に基づき、神戸市も他都市とともに、バルトンにその調査設計を委嘱した。

バルトンの明治25年の設計により、創設水道が神戸に布設された。その後、名古屋・広島等の上水道布設にも尽力し、明治29年台湾に渡る。この地において、基隆・台北等の水道設計に当ったが、風土病の冒すところとなり、明治32年8月5日、その地に客死した。

堰堤

ダムのことです。

佐野 藤次郎

名古屋出身。明治24年東大土木工学科を卒業。約3年間大阪市水道に奉職。
明治29年神戸誌の創設期水道を着工するにあたり吉村長策工事部長を補佐するため、嘱託技師となった。明治30年3月、次席粕谷素直技師の退職に伴いそのあとを継いだ。

明治38年7月、神戸市を退職、韓国水道局技師長に就任。4年を過ごすが、その間も神戸市嘱託として神戸市水道の建設に献身。水道用コンクリートの発明によって博士号を受けた。

大正8年5月、鹿島市長は大神戸市建設のため、都市調査部を設け佐野を部長に据えた。

烏原貯水池大堰堤の設計に当ってはインドの新工法を視察研究し、現在に見られるような石堰堤を築き上げた。

隧道

トンネルのことです。

粗石コンクリートダム

ダムを造るにあたり、当時、高価であったセメント量を節約するとともに、堰堤重量を増すため、石を3割程度混入しました。

濁度

水の濁りの程度を示します。水質基準は2度以下です。

分水施設

上流から流れてきた水を、ダムに入れるか放水路(生田川)に流すか分ける施設です。

雨が降った後など、濁度(水の汚れ)が高い時などは、貯水池に水を入れずに、放水路(生田川)に流しています。

H.S.パーマー

英国生まれ。来日当時、陸軍工兵中佐(のち少佐に進級)の軍籍にあった。水道建設に造詣深く広東及び香港の上水道を計画。明治16年2月、日本に来遊して横浜水道を計画し、20年9月これを完成させた。

19年に大阪水道も計画。この頃、神戸からも依頼を受けて水道の調査に当った。

25年神奈川県雇を拝命、天文・測量の仕事やロンドンタイムスの通信員となるなど広い分野で活躍。東京で没し青山墓地に葬られる。

水野 広之進

慶応2年9月15日、山口県佐波郡右田村に生まれた。家は山口藩士。明治20年家卿を脱して東京に走り攻玉社塾に入って23年卒業。さらに東京物理学校の業も終え下関市の土木課に勤務中、明治30年ごろ、神戸市が水道布設の大業を起こすことなり、このとき乞われて水道課に勤務。その後水道課長にも就任し、技師課長の名声を高めたが、のち故あって神戸市を退く。大正11年3月まで在職した。

吉村 長策

大阪府生まれ。明治18年工部大学校助教授になるが、翌年には長崎県から招請されて水道工事計画のため長崎県技師となる。明治24年に長崎で日本最初の上水道専用ダムである本河内高部堰堤(アースダム)を完成させている。明治25年には大阪市へ移り、水道副工事長として水道計画を担当している。(大阪市の水道は明治28年に完成)明治26年神戸市に招かれ、神戸市水道工事長として、佐野藤次郎らを指揮して日本初の重力式コンクリートダムの五本松堰堤を計画させる。

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