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更新日:2019年11月1日

ごろごろ、神戸3「第18回 いつもよりあたたかかったので」

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お寿司

元町商店街の西側の始まりである6丁目。その手前の横断歩道で子供を肩車し、信号が青に変わるのを待っていると、横から声がかかる。「にいちゃん西元町の駅ってどこやろ?」見ると知らないおばあさんで、私は正面を指さし「そこやでほら。信号渡ってすぐのとこ」と答えた。「にいちゃんわたし関西ビル探してるんやけど、わからへん?」昔ならさすがにそんな細かいビルの場所まではわからへんわ、とでも答えていたんだろうけど今はスマホがあるぞ。「よっしゃ。ちょっと待ってな」とポケットに手を入れたところで初めて、その肝心のスマホを家に置き忘れてしまったことに気付いたのだ。「西元町の駅のすぐ近くらしいんやけどねえ……」まったく、よりによってこんな日に道を聞かれるなんて。いちおう近くの案内板を見ても当然ビルの名前などは書かれていない。スマホさえあれば地図アプリですぐに案内出来るのに、でもその日は外に出るといつもよりあたたかかったので、家を出た直後にわざわざ引き返し厚手のダウンジャケットから薄手のコートに着替えて、その時に脱いだダウンのポケットにスマホを入れたまま外に出てしまったのだろう。周囲を見渡して、同じように信号待ちしている中で、誰かスマホを見ていてかつ道を聞きやすそうな人がいないかと思ったけれどそういう感じの人はおらず、おばちゃんあきらめてくれ、今日はそういう運命なんやでという気持ちで「役に立てんでごめんなあ。携帯電話ないからわからへんねん」とその場に彼女を残し信号を渡ったら、なんと商店街入ってすぐ目の前のビルに大きく「関西ビル」と書かれているではないか。さすがにこれは引き返して教えてやらないと寝覚めが悪い気がするぞと来た道を戻り、いま渡ったばかりの横断歩道の信号を再度待つ。子供はなぜか機嫌よく私の頭をパシパシ叩きながら喜んでいる。あのおばあさん逆方向に歩いて行った気がするけど見つかるんかいなと青信号を小走りで渡り、探してみた結果なんの苦労もなくすぐに発見出来たのは、近くのコンビニで外国人の店員さんに声をかけていて両者ともに困惑している様子がわかったからだ。「おばちゃん関西ビルあったわ。ついてきて」これで3度目の同じ信号を待っている間、おばあさんは財布を取りだして、肩車していた子供に「お菓子買ってね~」と100円玉を手渡そうとしていた。それを受け取ってよいものやら判断しかねている子供に私は笑って声をかける。「儲かったな。もらっとき。バイト代やで!」「にいちゃんありがとうね。えらい親切にしてもろて」「お菓子代儲かったからええわ。ここやでここ、入口階段やから。ほな気いつけて」別れて私たちはそのまま商店街を歩いて元町駅に向かう。人の少ない電車に揺られて新長田の駅に着くと、開演まではまだしばらくの時間があったから、駅前の100円ショップへ。時間をつぶすためのおもちゃでも買ってやろうと思い「なんでもええで欲しいの選び」と言うと子供はおもちゃではなく生活雑貨のコーナーに行き絶対にこれが欲しいのだ、これじゃないとイヤなのだと水まき用の柄杓(ひしゃく)と灯油ポンプを手にしてキッと私をにらんでいる。きみなあ、買ってもええけど飽きるなよ、ずっと飽きるなとは言わんけどせめて家に帰るまでちゃんとこれで遊んでくれよと求められるがまま、水まき用の柄杓と灯油ポンプを買い与えたはいいけれど、案の定店を出た瞬間に「これ、今はいらないよねえ」と言われて、今の時期の子供には逆らうとすべてがぶちこわしになるのを知っているから「そうやんな。いらんやんな。おれが持っとくわな」、結局私が使う用もない水まき用の柄杓と灯油ポンプを手に持って、外に出ると会場にはぞろりぞろりと人が集まり始めていた。いま私たちは一応の平和な時代の中で、たとえば政治的な主張の違いや時には些細な口の利き方なんかで、誰かのことを嫌いになったり好きになったりしている。インターネットだと一瞬でも気にくわないと思った人は簡単に視界から切り離して二度と目にすることのないように出来る。誰とでも仲良くなる必要なんてまったくないけれど、それでも私たちが切ったり離したり捨てたりしたそのひとにもそのひとの、代わりのきかない人生がある。たとえうっとおしいやつでも、たとえ好きなやつでも、どんなやつであっても全部ひっくるめて世の中には誰にも侵害されてはならない個人の大切な日常があり、そういうのを全部、今このようなうだうだした思考を巡らせている私や、肩に乗っかっている子供も含めていきなり、挨拶もなしに、突然、根こそぎ奪ってしまうのが災害というものだ。みんなの怒ったり笑ったりつまらなそうにしていたりするなんでもない時間の連続が突然ぷっつりと奪われてしまうこと、それが災害というものなのだ。そんなことを思っていると中学生たちの挨拶と、1分間の黙祷があって、私はそれが終わるとここまで大人しくしていてくれてどうもありがとうごぜえます、ありがとうごぜえますと三歳児に深く感謝する。そして、演奏が始まったのだった。しかしなんということか。せっかくここまでなんとか無事にたどり着いたにも関わらず歌が始まるやいなや子供が「この歌おじさんたちきらい」などと言い出したのである。もうちょっと、もうちょっとだけ聴こうと周囲を歩きながら懸命に説得する。「はやくおうち帰ろうよ。歌おじさんきらいって言ってるでしょ」アメ食べる?「もう、おうち帰るよ」いやちょっと待ってくれ、この人らすごい人なんやで、アメ食べへんか?「歌おじさんきらい。トラベジ(カゴメの子供向け野菜食応援ソング)歌わないでしょ」「トラベジは歌わんかもしらんけどトラジは歌うかもしれん。有名な朝鮮民謡。美空ひばりもカバーしてるよ」「歌おじさんきらい。おうち帰ろうよ」と子供もゆずらない。もうちょっと、ほんまもうちょっとだけ、せめて満月の夕まで聴かせてよ、僕はなんというか、あのとき十代で、何をしてよいのか、何をしに来たのかもよくわからない、役に立たない駄目なボランティアだったのだと思う。ある日テントに入って何もせずにふてくされて寝ていると音楽が鳴り始めて、うっせえなあと隙間から彼らの歌う民謡を聴いていた、そんな24年前のふてくされ斜にかまえて、目の前の光景に思考停止してしまった、そんな日常も、いま真面目に目をつぶって黙祷している、きみを連れてこの場所に立っているこの日常も、全部がつながっている。だから、満月の夕だけは聴いていこう、いつもの店で刺し身を買い、めんどくさいからベンチで食べ、帰って風呂に入り、メシを食ってそのあとはだらだらと映画を見て、たぶん焼酎を飲んで寝る、そうやって平凡に生きていることの愛らしさとか、普段あらためて言葉にすることもないようなたわいなさの意味をつい意識してしまう、たとえばほら、今日はいつもよりあたたかかったからスマホを忘れてね、とかそういう小さなことの連続が僕らの今ここにいる証なんだ、ほら、ほら、演奏が始まったよ。

文と写真 平民金子

写真を撮ったり文章を書いたりしています。1975年生。東京か大阪かメキシコにいましたが、現在は神戸在住。

神戸市広報課より

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