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更新日:2019年11月1日

ごろごろ、神戸2「第48回 海に帰す」

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まぶたを閉じた暗闇の中でしばらく時間を数えて、ふたたびまぶたを開いた時に、一瞬のまぶしさとともに外界の輪郭がよりくっきりするような感覚をおぼえる。外にいる時でも部屋にいる時でも、子供のころからしょっちゅう私は目をつむっていた。ほんの十秒ほどしか続かないのだが、まぶたを開いた時の色濃く鮮やかに見える(そしてすぐに消えてしまう)世界が好きだったからだ。

妄想はふくらんで、今いるのは仮の世界で、自分にはもっとふさわしい場所があり、それがほんの数秒だけくっきりとあらわれるあの架空の町なのだと思い始める。いつも見える工場や団地の向こう側には一面の大海原が広がっている。それは、ここではないどこかへの逃避願望と言ってしまえば簡単に片がついてしまうけれど、あの背後に広がる海は私だけのものだという小さな支えとなった。

最初の一人暮らしに失敗した時、その頃はまだ大阪に住んでおり、ろくに働いてもいなかったので、人に車を借りてよく舞子や朝霧まで、海岸沿いの国道を走った。大阪から出発するとどこかしらで渋滞に巻き込まれ、それがまたよい。部屋にうずくまっていると罪悪感や焦燥感にとらわれるが、渋滞なら室内でじっとしているような状態にも関わらず「移動中」という免罪符があるような気がして、堂々とじっとしていられる。

車の中ではヴァン・モリソンが70年代に出した何枚かのアルバムをカセットテープに入れて、飽きもせずに聴いていた。『Listen to the Lion』という長い歌の中には、英語のわからない私にも聞き取れるくらいにゆっくりと
I shall search my soul
という言葉が繰り返される。塩屋、舞子、朝霧のあたりは車で走っていると真横に海がせまっていて、午後の波が太陽に照らされてきらきらと光るのが見える時、大好きな『Fair play』という歌をかけた。

18歳の時に船で石垣島に行って輝く緑青色の海を見た時に、子供の頃から探していた場所はここだろうと思い込んだ。将来は必ず南の島に移住するのだと思っていたが、それから四半世紀、そんな日は来そうにないどころか、何に縛られているわけでもないのに東京に長く暮らして、いまは身軽さとは無縁の状態で神戸にいる。ここ数年は移動への願望そのものがすり減ってなくなってしまった。

探したいのは魂というほどの、大げさなものではない。ただ美しい景色を見たり、自分が生きているのだという事を考えたりするだけで体が熱く、呼吸が早くなってしまう。若い頃、その程度には焦がれていたのだろう。

最近は子供が海に連れて行けとうるさい。砂浜に行くと靴と靴下を脱ぎ、小さな貝殻を広いあつめ、どのような基準があるのかわからないけれど、綺麗な貝殻を見つけた時には「うみにかえしてくるね」と言って波打ち際に歩いて行く。去年の夏は同じ場所で、波がこわくて水の近くに行けなかったことを思うと、毎日は単調な寸劇が繰り返されているように見えて、確実に変化していっているのだと思う。

「えいっ」と声に出してふりかぶり、手に握った貝殻を不器用に放り投げる。少し離れて様子を見る私にはそれが無事に海に投げ込まれたのか、届かず砂浜に落ちたのかはわからない。それでも満足した様子で立っているところに、小さな波がやってきて、あわててこちらに走ってくる。しゃがんだ私の肩に手を置いて、子供は海を見ている。私も同じ海を見ながら、小さな子供を通して新しく人生を生きなおしているような毎日だ、そんな風に思う。けれどそれは所詮気のせいだ。

大人になって、海に対してセンチメンタルな心象を勝手に託す事をやめたように、子供の背中にも何も託してはいけない。ただ私はつかの間、よりそって生きることを学ばせてもらっているだけだろう。そんな風に思い直して、貝殻を海に帰しに行く小さなうしろ姿を見ている。

貝殻を海に帰しに行く子ども

文と写真 平民金子

写真を撮ったり文章を書いたりしています。1975年生。東京か大阪かメキシコにいましたが、現在は神戸在住。

神戸市広報課より

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